11月祭講演会連動企画 円城塔を読む②(2013.10.16)

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京都大学新聞社は今年度の11月祭で作家の円城塔氏をお招きし、「アンドロイドは二つの文化の夢を見るか」と題する講演をしていただく予定だ。本紙では講演に先がけ、記者の視点から円城氏の作品を3号に渡り紹介する。連載の第2回では、第145回芥川賞最終候補作「これはペンです」をとりあげる。(編集部)

② 文学史上最も奇妙な叔父をめぐって―「これはペンです」


にせものの流星群より大切な百年前の過去を見ている

比較的、情景の浮かびやすい一首である。「にせものの流星群」とはもちろん夜空に点在する人工衛星のことであり、詠み手はそういった現代の人工物、ひいては科学技術に対して否定的な判断を下しているらしい。彼が(恐らくは心の目で)見るのは「大切な百年前の過去」――すなわち、星々をありのままに眺めることのできた時代の夜空であろう。これを敷衍すれば、やがて詠み手の自然保護に対する思いに行き着くのかもしれない。全体として、ごくごく標準的な部類に属する短歌といえるのではないか。

などと書いたところで、いい加減虚無感に襲われてくる。この一首、実を言うと私がネット上で見つけた自動短歌生成ソフトに詠ませたものなのだ。さまになるようにと潤色したようなところも一切ない。正真正銘「機械によって詠まれた」短歌である。

以上の思考実験が提起する問題、それは「何かを書くのに“人間”は必要か」というものだ。

「これはペンです」は、第一にこの問いについて書いて(答えて、ではない)みせた小説である。“人間”は“心”や“意図”と置き換えてもよいだろう。語り手である「わたし」の叔父は、前述の短歌と同じようなことをなんと論文に対して行い、学位販売事業でそれなりの財をなしたという人物である。

そんな、まだ出会ったこともない叔父に、姪である「わたし」はいつも振り回されている。叔父が「わたし」に寄越す手紙は、例えば5ミリ角の磁石をつらねたものである。「わたし」はそれを読もうにも、磁性を弱めるべくまずはキッチンで炒めなければならない。あるいはDNAの配列によるメッセージ。血液によるメッセージ。かく(または書く)のごとく、叔父のやり方には節操がない。しかしこのような印象は、叔父が綴る以下の文字(または叔父)列によって逆照射されてしまう――「わたしたちはあまりにも簡単に出鱈目を書けてしまうと思わないかね。」出鱈目なのは、私たちとて同じことなのだ。

それにしても文学史上、これほどけったいな叔父さんはそうはいまい。いや、はじめから「叔父」などという実体が存在するのかさえ、この小説においては不確かである。何せ文字なのだから、「わたし」の母親も諦め顔である。小説の終盤で姪は語る、「一つの固定した生き物として、叔父が一つのレシピのように、いつも同じような人格として、人間らしく落ち着いたものになっていくのか、当然予断は許されない」のだと。

こういう設定もあってか、円城塔の小説には「人物」がいないという感想を聞くことがある。それはそうなのかもしれないが、しかし「わたし」と「叔父」、そして「わたし」の母のように不器用な人々がなんとかコミュニケーションをとろうとする姿には、妙な人間臭さを覚えてしまうのではないか。「実験的」「思弁的」などと形容され、とかくその抽象的世界観が強調されがちな「これはペンです」において、人間同士の対話という主題はやはり見過ごすべきではない。

それはまた、家族というテーマにも結びつく。米国のリチャード・パワーズを筆頭に、理系出身の作家たちが全く新しい形で家族のヒューマニズムを提示しているのは注目に値する出来事であると思う。そこには不思議なあたたかさが感じられるのだ。「これはペンです」と同時に収録された中篇「良い夜を持っている」もまた、父と息子の絶妙なコミュニケーション「不全」を描いた作品であり、是非とも一読を薦めたい。

などと書いたところで、いい加減虚無感に襲われてくる。要するに私は、有史書かれてきたテクストをその都度抽出して、「出鱈目」な文章を生成する機械のようなものなのだ。だから、私は(薮)というクレジットさえかなぐり捨てて、自分が1570字からなるテクストであることを肌で感じる境地に身を浸すことにしたい。

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