文化

〈講演会録〉桐島、就活やめるってよ ~就活にしか、私たちの生きる道はないのか~

2013.08.01

就活――私たちはつい当たり前のことのように思ってしまう。一方で就活が原因で自殺する学生がいる。これも当たり前だろうか。当たり前でいいのだろうか。少し立ち止まって考えてみたい。同じ就活に対しても三者三様の接し方があるのだと気づいたとき、そして就活がひとつの選択肢に過ぎないと気づいたとき、私たちは就活のしがらみから逃れる術を見つけられるのかもしれない。本講演会がその一助になるだろう。(編集部)

日時:2013年7月3日(水)
場所:同志社大学 良心館102
主催:同志社大学ジャバスタ

講演者:
渡邊 太(大阪国際大学講師、コモンズ大学主宰)
實重 隆宏(同志社大学法学部、就活経験者)
匿名 就活脱落者(同志社大学生)
古屋 寛生(同志社大学卒業生、良心的就活拒否者)

(司会)本日は暑い中「桐島、就活やめるってよ」にお集まりいただき、ありがとうございます。まずゲストスピーカーの渡邊太さんにお話いただきます。それから實重さんのお話がありまして、その後少し休み時間を設けます。そして就活脱落者の方、最後に良心的就活拒否者の古屋さんにお話いただきます。それから会場のみなさんと登壇者で質疑応答をしていただき、最後に渡邊さんに本日のまとめをしていただいて終わりにしたいと思います。

就活の戸惑い ――つまづきながら考える――

渡邊 太(わたなべ・ふとし)
関西大学社会学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科修了。博士(人間科学)。大阪大学大学院人間科学研究科助教を経て、現在大阪国際大学講師。専門は文化研究、宗教社会学。著書に『愛とユーモアの社会運動論―末期資本主義を生きるために』などがある。

みなさんこんにちは。大阪国際大学からやって参りました渡邊といいます。よろしくお願いします。 私がまず、現在の就活の問題について簡単に報告した上で、みなさんと一緒に議論したいなと思っております。

今の就活は戸惑わざるを得ない。何をどうすればいいのかわからない。答えがわからないというか、ないというか。人事・採用する側も答えをわかっていないんじゃないか。みんな振り回されている。そういう状況があると思うんですね。

今日本当に多くの学生さん来られてますけど、就活に関心があるということ、例えばタイトルがいいと思います。「桐島、就活やめるってよ」。うまいというか、朝井リョウ君のベストセラーの小説(『桐島、部活やめるってよ』)のパロディですけれども。朝井リョウ君が『何者』っていう就活に関する小説を書いています。朝井君自身も就活して、いま会社員2年目とかなんですよね。自分の就活体験を元に書いて、大学生の就活のしんどいとかつらいとかいうところをうまく描いている。就活自体なかなか先に進まないしんどさとともに、就活によって周りの人間関係が変わっちゃうところがあるんですね。それまで仲の良かった友達が、就活のやり方とか考え方をめぐって、ちょっと行き違ったりうまくいかなくなったり。あるいは仲間内で、一人だけ内定を先にとった子が出ちゃったりして、それによって亀裂が走るとか。就活そのもののしんどさとともに、それが学生の人間関係、プライベートな関係にまで影響を及ぼすところを、実にうまく描いている。そういうわけで、朝井先生もこのタイトルを喜んでくれるんじゃないだろうかと思っております。

就活というと、本当は大学生だけがするものじゃないんですね。高校生も就活するし、あるいは主婦も就活するし、働いていて辞めた失業者も就活するわけです。いま大学進学率は大体50%をちょっと超えたくらい。だから大学生の話をするということは、日本の若者の半分。高校を出て半分は大学に行って、半分はそのまま就職。いま高校出てもあんまり就職ないから、フリーターとか派遣とか、あるいは専門学校。今日は大学で話をするので、その大学に行っている半分について、大学生の就活について話を限定していきたいと思います。

大学の役割

いま大学生の就活の長期化が問題になっています。3年生の秋から就活するというのが普通になっているんですね。大学に入学して1年、2年、ようやく大学に慣れたな、楽しくなってきたな、勉強も専門科目の授業が始まって、さあこれからみたいな時に、就活でなかなか授業に出られなくなってしまう。4年生になると、大事な卒論を書かなきゃいけないんだけど、ゼミにもほとんど出られない。そういう状況になっているわけです。大学がこれでいいのか、というのは大学の心ある人たちはやっぱり憂いているし、なんとかしなきゃいけないとも思っている。

大学の役割ってそもそも何なのか。ビル・レディングスという研究者が近代の大学の役割について3つの段階をあげている。大体18世紀くらいから21世紀の今日に至るまでの3つの段階と考えていいかと思います。最初は純粋な学問の探求の場だったんですね、大学というのは。大学のルーツとしてよく語られる神話みたいなもんですけど、大学の起源というのは、中世の神学者たち。教会からも国家からも独立して自分たちで勉強したいことを勉強するために集まっていた、ワインを飲みながら(?)雑談をしていたのが大学のはじまりだというように言われるわけです。純粋に真理を探究する、そういうカント的な大学というのが近代初期の大学の役割であった。

やがて、近代が発展していくと、19世紀の後半から20世紀にかけて国民国家が大きな役割を果たすようになった。そうすると、今度は国民国家を担う国家的なエリートを養成するという、いまでも東京大学とかそういう役割を多分に負わされているというか引き受けているというか、官僚・エリートを育てるというのが近代発展期の大学であった。

それから、レディングス的に言うとポストモダンということになるんですけれども、1980年代以降ですね、グローバル経済が発展してくる。そういう中で大学にも資本が流入してくる。大学が市場経済のロジックに翻弄されていくというか、大学の中に市場経済が浸透してきた。そういう現在の大学を、レディングスは「エクセレンスの大学」と皮肉交じりに言っている。エクセレンスというのは経営学的な用語で「卓越している」とか「優れている」とか、そういう意味の言葉なんですね。大学そのものも経営の論理というか、いかに最小のコストで最大の利益を上げるかみたいな理屈で運営されるようになってきた。研究自体も、お金のとれる研究、生物学のゲノムの研究とか、あるいは遺伝子操作で種の研究とか、モンサント社とかから巨額の資金が投じられて、もう本当にお金漬けにされている。逆に言うと、金にならない人文系の学問というのは大学の中に居場所がなくなっていく、みたいに大学も金の動きとは無縁でいられない。

もともとカント的な真理の追究という意味であれば、お金のロジックとは関係なく、自分たちの研究したいことを研究するということではじまっていたんですけど、グローバル資本主義が発展する中でそんなことも言っていられなくなった。そういう現在の大学では、教職員というのはサービス提供者になるんですね。学生にとって有益な知識を提供する。一方で学生はそのサービスとしての知識を消費する消費者としての役割が期待されている。学生に自由があるとすれば、それは消費者としての自由。今日消費者としての自由はかなり大きくなっているんですね。授業評価アンケートみたいな形で、つまんない教員の授業には「自分にとって役に立つか ( )思う (○)思わない」とすることで消費者としての意見を主張することはできる。けれども大学のそもそもの教育に根本的なところで口を出す学生の自治みたいなことはますます縮小している。消費者として自由になる一方で、自治の主体としての自由はなくなっている。それはいろんな大学で建物に入るのにセキュリティーカードが必要であるとか、勝手にビラを貼っちゃいけないとか、空き教室でわぁわぁ騒いでたら怒られるとか、いろんなところに多分に現れている。

就活の現実

大学がお金のロジックによって縛られているというのが前提で、就職活動の現実についてですね。いま大卒の就職率はどれくらいか。新聞記事やニュースだと就職率90何%みたいな数字が出るわけです。どこから出てるかというと、厚労省と文科省が共同で調査していて、「大学等卒業者の就職状況調査」というのが毎年出るんですね。2013年3月、この春に卒業した大学卒業生の就職率は93・9%。新聞記事・ニュースにもこの数字が出ている。前年比0・3%増、前々年比2・9%増と、まあ改善しつつあると言われています。リーマン・ショックで厳しかったんですけれども、そこから比べると改善した。

この93・9%という数字、結構就職できているじゃないかというふうに見えるわけですね。就職氷河期というけれども、大学出て9割が就職してるんだったら、そんなに問題ないんじゃないかというふうに見えるんですけど、これちょっと注意しなきゃいけないのは、この就職率、分母が「就職希望者」になってるんですね。進路調査をやって、就職希望か就職希望でないかをまず振り分けるわけです。そして就職希望でない人は分母から外して、就職希望者を分母にすると93・9%になる。

これを卒業生全体で見ると66・0%という数字が出ている。もちろん進学する人も15%から20%くらいいる。それを省いたとしても、この90%と60%、かなり大きな開きがあるわけです。なおかつ「大学等卒業生の就職状況調査」というのは日本全国のすべての大学をサンプルとしてやっている調査ではない。いくつかの大学をピックアップして調査している。実はこれ国立大学が多く含まれているんですね。言ってしまえば、国立大学だから就職しやすい大学であるわけです。就職しやすい大学を多めにサンプルにとって、この93・9%という数字が出されているというところに注意しなければならない。

これとは別に文科省の方で「学校基本調査」というものをやっています。こちらは全数調査、すべての大学に調査票を配って調査しています。毎年5月に実施されるので、まだ2013年のデータは出ていないんですけれども、1年前、2012年3月のデータを見ると、「進学者」3・5%、「正規の職員等」60%、「正規の職員等でない者」3・9%、「一時的な仕事に就いた者」3・5%、「進学も就職もしていない者」15・5%と、こういう数字が出ているわけですね。だから実質の就職率というのは6割ぐらいだと見ておいていいと思います。

この「正規の職員等でない者」「一時的な仕事に就いた者」というのはいわゆる非正規労働ですね。派遣社員、契約社員、嘱託、請負、あるいはパート・アルバイト、そういう非正規労働者です。それから、進学も就職もしていない、無職あるいは休職中の失業者、これをあわせると卒業生、大体55万9千人の内の22・9%、12万8千人を占めている。これが毎年毎年同じくらい輩出されていくわけですね。ある意味、大学卒業して仕事が見つからなかった、残念だなあと嘆くかもしれないけれど、毎年12万人の仲間がいるんだと思えばちょっと勇気付けられるんじゃないかとも思います。

当然これは平均した値ですので、いわゆる大学のランキングで、エリート校みたいなランキング上位校とですね、2ちゃんねるとかで「Fランク」と言われるようないわゆる底辺校との間で就職率に大きな開きがあるだろうと思われる。それから学部・学科で見ると、やっぱり理系のほうが相対的に就職しやすい。人文・社会系の学部は非正規の職の割合がやや高い、そういう傾向が見られます。同志社大学なんかはエリート校と言っていいと思うんですけれども、だから多分これよりはもうちょっと就職率はいいだろうと思います。

あとこの就職希望者を分母とするというのも、数字を読むときに注意しなければいけない。最初は就職希望していたけれども、就活やっているうちになかなか内定がとれない、いまはエントリーもしていない、みたいな学生が就職希望者から外されてしまう場合があるわけです。あるいは2月3月になると、もう今年は無理だと思って、来年からがんばろう、いまはまだいいとか思っていると、就職希望者からはずされてカウントされていない。それから大学によっては、ほとんど数字の操作に近いんですけれども、エントリーを5社以上しなければ就職希望者と見なさない、そういうキャリアセンターの方針があったりして、つまり2社や3社エントリーしたぐらいじゃ、就活本気でやる気ないやろ、と見なしてですね、就職希望者ではないというふうにカウントしたりするので、就職希望者というのは実際より少なく見積もっている。少なく見積もっているのは就職率を高く見せたいからです。これは大学評価に関わるんですね、その大学の就職率がどれぐらいであると。それから、入学者募集のウリにもなるわけです。うちの大学はこんなに就職率が高いですと言ったら、受験生が入ってくるからですね。できるだけ就職率を高く見せたいというので、そういう恣意的と言ってもいいような操作が行われてしまう。

実質6割の就職率ですね。中堅以下で中小規模の私学だと5割ギリギリ切るくらいなのが実感としてあります。こういう状況が何で生じているかというと、ひとつにはやっぱり、そもそもの新卒の就職難があるわけです。みなさんが生まれた頃くらいにバブル経済が崩壊してですね、その後「失われた20年」と言われるくらいに長引く不況が続いている。その中で、企業はなんとか利益を維持するために何をやったかというと、新卒の採用を控えたわけです。若者の新卒の採用を控えたというのは、はっきり言うと「リストラ」なんですね。リストラというと窓際族のお父さんがリストラされて、みたいな中年の悲哀をさそうようなイメージが浮かぶかもしれないけれど、最もリストラされているのは、まだ仕事についていない、これから就職するはずの若者だったんですね。だから、みなさん働く前にクビにされているみたいなものと思っていいかと思います。若者の仕事がない、もっとがんばれといってキャリア教育が推進されるわけですけれども、どんだけがんばっても、企業の採る枠が狭まっているので、イス取りゲームでイスが足りないみたいな状況なわけです。だからどんだけがんばっても限界があるんだということを、心に留め置いておけばいいんじゃないかと思います。

就活やってるとね、本当にへこむんですよね。面接で落とされたりすると、全人格を否定されたような気持ちになって本当に落ち込むんですね。自分の何が悪かったんだろうと自分でも自己責任的な考え方になっちゃうんですね。自分が悪かった、努力が足りなかった、こんなヘラヘラした大学生活を送ってきたから就活の今の段階で苦労してるんだと思っている。でも、そうじゃない。もうすでにリストラされているんだから、というようなところがあるんじゃないかと思います。

キャリア教育と大学改革

就職氷河期が長引いている。2002年ぐらいに景気が良くなって一時的に持ち直したとはいえ、全体には厳しい状況が続いている。リーマン・ショックでまた厳しくなった。就活が長期化している。競争も激化している。そういう中で、大学はキャリア教育を拡大していくんですね。

これがいまどこの大学でも進められていて、就職が厳しいから就職させるためにキャリア教育をしようということなんですけれども、背景の文脈としては90年代からの大学改革の流れがあるわけです。80年代までは「大学はレジャーランドだ」みたいにバカにされていたんですね。大学生というのは遊んでばっかりで勉強しない。大学というのはモラトリアムたちのユートピアだと言われていたわけですけれども、それじゃあいかんというふうに文科省が考えた。文科省がそう考えたのは、経済界が、大学は企業の使える人材をちゃんと育てていないんじゃないか、社会の役に立つ人材を育てられていないんじゃないかというプレッシャーをかけているからですね。その期待に応えなければならないということで、優秀なグローバル人材を輩出する役割を大学が担えるように、いろんな改革が進められてきた。

その中に教育の標準化があります。これまでは、大学教員が研究の片手間に好き勝手適当な授業をやっていた。そこで、もっとちゃんとした授業をしなければならないんじゃないかとかですね、たとえば「経営学」という同じタイトルの授業なのに先生によってやってる内容が全然違う、これはいかんのじゃないかとかですね、そういうことが言われて教育を標準化しようということになった。その一方で、学生というのは放っとくと怠けるんだから、勉強させなきゃいけないと言われる。いま結構うるさく、われわれ大学教員は出席とれと言われるんですね。これも文科省の方針で、ちゃんと学生を出席させて、勉強させろと。学修時間を確保しろとか言われるんですね。さらに宿題出せって言うわけですよ。レポートとかもっと出して、予習復習やるようにと言われるわけですね。

学生を管理するというのは、学生運動のほろ苦い記憶というのもですね、官僚の皆さんは持っておられるのではないかと。学生を放っとくと何やらかすかわからないから管理しなければいけない。好き勝手やらしたらいかん。これはですね、大学がお金にまみれていくということとパラレルで、学生が消費者になっているということとも実は繋がっている。都市の古臭い、汚い路地を再開発で壊して、そこにきれいなショッピングモールを建てるみたいに、そこにいた野宿者とか露天商とかは排除されて、中産階級がショッピングを楽しむきれいなビルができるみたいに、そういう排除を伴う再開発のことをジェントリフィケーションと言うんですけれども、90年代後半から、いろんな大学の中で学生のたまり場になっていたサークルボックスとか学生棟とかを取り壊して、きれいな建物にするんですね。きれいになったから良かったと一見思うんですけれども、きれいになったとともにですね、セコム系のセキュリティシステムが導入されて、学生証を持ってないと入れないとか、学部が違うと入れないとか、卒業した先輩は入れない、日曜日は入れない、夜9時以降は入れないとかであったり、いろいろ制限がついちゃうわけですね。そういう形で管理されていく。きれいになっていくというのはちょっと警戒しなければならないようなところもあって、ここ(良心館)もきれいな、ネオリベラル的に素敵な建物ですけれども、やっぱりちょっとね、きれい過ぎるんじゃないかという気はします。

その流れの中でキャリア教育も取り入れられてきた。キャリア教育というのはまさに、企業が期待するグローバル人材を育成するための教育であるわけです。そうしたキャリア教育を推進するためには効率的な組織運営が必要だと、これまでは教授会が偉そうにしていたけれども、そんな教授会に任せていたら改革が進まないというので、学長・総長の権限を強化して、トップダウンで改革を進めるということですね。

それから多様な人材活用、言い換えると非正規労働を活用するんですね。いま大学の事務職員の多くは非正規で、安い給料でいつクビを切られるかわからない、という不安定な働き方をしています。教務掛とか、学生担当をしているカウンターの手前にいる人の多くはパート・アルバイトか契約社員か派遣社員です。大学によっては、大学の子会社の派遣会社を作って、その派遣会社から職員を派遣しているみたいなこともやっています。大学はいま非正規労働の温床になっていてですね、図書館で働いているスタッフも多くはパート・アルバイトで、3年以上は契約更新しないとか、5年以上は契約更新しないとか、どんどん人が入れ替わっていくという不安定な働き方をしている。

それでキャリア教育ですけれども、これが結構やっかいなんですね。企業の期待に応えるというところがやっぱり優先されるので、学生を就活に脅迫的に追い込んでいくようにキャリア教育が実施されている。しかも正規の教養科目や専門科目の時間を食いつぶす形で実施されている。これは一例ですけれども、九州産業大学のキャリアセンターに札束の模型が展示してあるんです。一つの札束の山は正社員の生涯賃金で3億円くらい。もう一個の札束の山はフリーターの生涯賃金で9千万円くらい。フリーターになったらこんなに生涯で損するよということを見せて、学生に正社員にならないとダメだよというふうにプレッシャーかけているわけですね。

これは結構きついというか、いかがなものかと思うわけです。いまはっきり言って正社員として入職しても、会社が潰れる場合もあるし、入った企業がいわゆるブラック企業みたいな場合で早く辞めないと死んじゃうみたいな職場も少なからずあるんですね。ブラック企業アワードにノミネートされたワタミをはじめとして。大学卒業して正社員として入っても、3年以内の離職率が3割。3年以内で3割辞めていくというのは結構な割合です。だから、会社に入ったらその会社で定年まで正社員として働くというのは、一時代前の昭和のモデルなわけです。

現在かなりキャリアが多様化していて、正社員として入ったからといって定年まで勤めあげられるとは限らない人が多分多数派になっています。そうすると生涯賃金だって、正社員で入職したからこの3億円の札束が約束されているわけではないんですね。この脅迫的に追い込んでいくという問題と、あたかも正社員になれば安心だみたいな幻想を持たせてしまうという、そういう点でも問題があるんじゃないかと思います。さらに言うと、就職課とかキャリアセンターで働いている人も、これは本当に皮肉なことに、非正規で働いてる人が多いんですね。キャリアカウンセラーの資格を持っている人でも大体契約社員、あるいは派遣社員だったりします。だから3年とか5年でクビになるんですね。でもキャリアカウンセラーの人たちは学生に向けて、非正規は不利だから正社員になった方がいいよと言わざるを得ないわけです。それは結構きつい仕事なわけで、その上そんな札束の山を見せられていたらね、本当にやりきれない思いをすると思います。

それから、これは多分同志社大学でもやられていると思いますけれども、リクルートとかベネッセとかの就職支援産業がキャリア教育講座みたいなものをすべての学生向けに実施するというのをやっていて、これはほとんどパッケージ商品になっているんですね。1年生向けのキャリア教育を全3コマとか、2年生向けのキャリア教育を全3コマとか、何ぼ払ってるか知らないですけれど、買うんですね。それをゼミの時間を使ってやる。勘弁してほしいんですけれど、ゼミにはゼミでやることがあるんですけれど、キャリア教育やんなきゃいけないからということで、ゼミの時間が3回潰されて、そのキャリア講座を受けさせられる。それの内容が結構お粗末だったりするんですね。思わせぶりな講師がしたり顔でエントリーシートの書き方とかいうことで、自分の言葉で書きましょうみたいに言うわけだけど、例として挙げられているのは「私は粘り強く何事にも」みたいな、それは全ての就活本の例として挙げられてる言葉じゃないか、全然自分の言葉じゃないじゃないか、みたいなパッケージ商品が売られているわけです。それをやってどれだけ効果があるのかというのはわからないんですけれども、就職率が大学評価に関わるから、大学としてもどんどん導入していきたいというんですね。

ただし、キャリア教育みたいなのを自前でするリソースがないから、結局外注せざるを得ないわけですね。そういうところをリクルートとかベネッセとかが手ぐすね引いて待っていて、こんなメニューがありますよ、ちょっとオプションで予算追加すればこういうこともできますよみたいに売り込んでいるわけです。自己分析とかいって「あなたの強みを3つ書いてください」みたいな安直なワークシートを記入させられる。でもああいうのやんないと就活が進まないみたいな感じになっている。結構真面目な先生ほど、真面目で学生想いのいい先生ほど、そういうのに乗っちゃうんですね。真面目ゆえに熱心にやってしまう。何度も言いますけれども、実質就職率は6割くらいですから、就職できない人が4割、進学を除いたとしても2、3割くらいは大学卒業して非正規か無職かという状況がある中で、全員を正社員に方向付けるだけのキャリア教育、本当にそれだけでいいのだろうかという疑問を感じるわけです。ついでに言うと、ベネッセもブラック企業アワードにノミネートされていましたね、不当な退職勧奨の件で。

就活のオルタナティヴ

大学改革の結果として、経済界の期待に応えて大学の中に資本が流入してくる。90年代以降のプロセスですね。大学はもはや廃墟だというのは言いすぎかもしれないですけれども、大学の管理はますます厳しくなっている。セキュリティシステムの導入とか飲酒禁止とかですね。同志社大学は飲酒OKですか? ああダメですね。学内の飲酒喫煙ね、立命館大学も完全禁煙に踏み切ったところですけれど。関西大学では花見とかも禁止されている。じゃあ桜を植えるなよって話ですが。勝手に集会してもいけないし、ビラも配っちゃいけない。やっちゃいけない禁止事項というのがどんどん増えてくるんですね。そういう禁止というのは民主的に話し合いによって、学生の意見を聞いて決めるということは稀で、大体トップダウンで一方的に通告される。ある日張り紙が出て、バーベキュー禁止とかになったりするわけです。最近では北海道大学で「ジンパ禁止問題」というのがあった。ジンパってジンギスカンパーティーのことです。北海道だからバーベキューじゃないんです。ジンパなんです。農学部前の芝生広場がジンパのスポットになっていたんだけど、その芝生が痛むみたいな理由でジンパ禁止にされた。学生の反対の声が結構大きかったので、じゃあ話し合いましょうということになった。話し合いの結果として、別の場所はジンパ自由みたいな形で確保できたんですね。話し合いによって、一方的な通告を覆すことができる場合もあるんです。

厳しい管理があるという中で、あと監視カメラですね。これも10年ぐらい前に大学の中に監視カメラがつき始めた頃は一体何を撮っているんだと思ったんですけど、いまや当たり前のようにどこにでもある。これ怖いのは、半分は学生の方向いているけど、半分は教壇の方を向いているんですね。教員が悪さをしていないか監視しているという意味もあるんですかね。いまも見られているんじゃないかと、戦々恐々としておりますけれども。こういうのも何が目的であるのかよくわからないけれど、いつの間にかできている。

それから民営化がどんどん進んでいて、図書館に配架業務のスタッフとして紀伊国屋書店の社員さんが入っているのとかも最近多いんですね。大学の中にコンビニとかスターバックスがあるというのもいまや当たり前になってしまっている。15年ぐらい前からですね、民間資本が導入されてきたのは。大阪市営地下鉄の駅の売店が全部コンビニになった橋下改革の成果みたいなのと一緒で、大学にも民間資本をどんどんと導入していこうという流れがあるわけです。そういう流れと、ベネッセとかリクルートとかの就職支援産業が大学の中で講座を持つ、しかもその割合がどんどん増えていくという流れは、やっぱりどこかで繋がっていると見ていいんじゃないかと思います。

そういう中でですね、対抗的な動きというか、キャリア教育の別バージョンをやろうじゃないかみたいな動きが、ごくごく少数ではあるんですけれども、2000年代後半くらいからいくつか実践されています。京都精華大学で「就職ガイダンス番外編」というのを学生が主催してやったんです。これはフリーターのための就職ガイダンスと銘打って行われたんですね。フリーターとして就職していく上で、どういう知識とか、どういうライフスタイルとか、自分の身を守っていくために何が必要かということをレクチャーする。現役フリーターが講師として、フリーターとして生きていくためにこれだけは知っておかなきゃいけない労働法の知識とかをレクチャーするわけです。

フリーターでも有給休暇はとれるし、アルバイトでも明日から来なくていいみたいに突然の解雇を言われた場合には、ちゃんと一ヶ月分の給料を支払わせることができる。そういう知っておくべき労働法の知識ってたくさんあるんですね。あるいは正社員と非正規で給料の差もあるし、正社員は契約期間が定まっていない、簡単にクビにできないけれど、非正規の場合には1年とか3年とか3ヶ月とか期間が決まっていて、いつでもクビにされやすい。それから社会保険ですね。年金と保険が正社員の場合には半分会社持ちなんですね。だから自己負担5割。でもフリーターの場合には、この年金と国民健康保険を全額自分で払わなければならない。国民健康保険って結構高いんですね。平気で毎月2〜3万円とかとられてしまう。ただ本当に生活が厳しい場合には、窓口に行けば分割払いができるんです。月2万円払うのは厳しい。けど払わないと無保険、保険未加入状態になっちゃうんですね。病気で病院に行った時に全額支払わなければならない、10割払わなあかんから、ちょっとした風邪で行っても多額の治療費を請求されるみたいな恐ろしいことになってしまう。でも分割払いで支払い続けていれば保険の資格があるんですね。窓口で粘り強く交渉して「月5000円くらいだったら何とか払えます」とか言うと、じゃあ5000円で48回払いみたいな分割をすることもできる。だから、例えばフリーターとして生きていくための生活の知恵みたいなものを学ぶ必要があるんじゃないかと思います。

そういう番外編の就職ガイダンスが京都精華大学で行われた。それから、大阪大学でも「オルタナティブ就職セミナー」が開かれた。これも同じような形でですね、ニートの人とか、NPOのスタッフとして働いてる人とか、それからフリーターの人とか、就活して正社員になったのではない形でどうにか生きている、そういう人たちを講師として、どんな経緯で今に至っているのか、今どうやって月10万で生活してるのか、みたいな具体的な話を聞く。そういう非正社員のための就職ガイダンスというのもやっぱり必要なんじゃないか。中堅以下の私学では実質就職率5割で、進学者もほとんどいないので、全員が正社員にと脅迫的に送り込むよりは、やっぱり非正社員向けコースというのも必要なんじゃないかと思います。

企業の理屈としては、はっきり言えば若年非正規労働力というのは必要とされているんですね。だって正社員よりもコストがかからないし、忙しくなったらたくさん雇って、暇になったら、利益が上がらなくなったら雇い止めにすればいい。非常に便利で使いやすい労働力であるわけです。しかも有能であれば言うことない。厳しい労働条件でも真面目に文句も言わずに働いてくれるような非正規の若者だったら、いくらでも欲しいと思っている。加えて失業者もいれば越したことはない。失業者がいることによって、今働いている人の労働条件を上げずに済むわけです。辞めたかったらいつでも辞めていいんだぞ、仕事に就きたいやつはいくらでもいるんだというふうに言えるわけですね。実は企業としては、非正規労働者と失業者っていうのはニーズがあるんです。本当になんかね、DVみたいなもんですけどね。殴りつけておいて「お前が必要なんだ」と言っているみたいなもので、なかなか恐ろしい状況があるんですね。

そういう中で、就活して正社員になるという標準コースじゃない非正規の生き方というのも、やっぱり知っておいたほうがいい。いろんな場所でいろんな人と出会ってほしい。大学の外部の大学というか、大学のオルタナティヴというか、市民大学とか民衆大学とかですね、いろんな哲学カフェみたいなものを含めて、大学の中で学びたい人たちが集まって話をするという場所って、あちこちにいろいろ増えているんですね。京都でも、京都自由大学といってね、町屋のすごくいい雰囲気の建物で毎週金曜日にやっている。私も大阪で、「カフェ・コモンズ」というところで「コモンズ大学」という集まりをやったりして、ニートたちが集まったりするんですけれども、そういうところでいろんな人がいるんだということを知ってもらえたらいいなあと思っております。

就活に躓く人のために

就活が厳しくなっているその背景でもあるんですけど、学生は貧しくなっている。大学進学率が上昇して、それとともに、昔だと金持ちの余裕のある子どもたちが大学に来ていたのが、誰でもある程度大学に来れるようになった。そうすると、相対的にやっぱり貧しくなっていくわけです。貧しい家庭の子どもたちが何とか大学に来れるのは奨学金があるからなんですね。みなさん日本学生支援機構から奨学金をもらっている人が多いかと思うんですけれども、大学進学率の上昇とともに、学生支援機構が奨学金の枠を増やした。増やしたのは第二種奨学金、これは利子がつく方で、384万円ぐらい借りて大体430万くらい返さなあかんようになるんですけれども。利子がつく方のですね、奨学金を増やしたわけです。これがまた結構やっかいで、卒業したときに400万の借金抱えて社会に出るというのは、若い人にとってはなかなか大きな負担になるわけです。やっぱり返せない人は返せないんですね。フリーターとかだったりして、国民健康保険2万とか払っていると、奨学金の返済1万5千円とか2万とか3万とか、なかなか返せないんですね。それで未払いになると、民間債権回収会社が取り立てに来る。日立キャピタル債権回収株式会社という民間債権回収会社に、学生支援機構は取り立てを業務委託しているんですね。民間の債権回収会社って何なんだというと、取り立てを専門とする会社なわけです。恐いに決まっています。

さらにですね、それでも返せないとブラックリスト、金融機関の個人信用情報機関に登録する。ここに登録されると借金できなくなるんですね。例えば家のローンを組むとか、子どもの学資ローンを組むとか、クレジットカードを作るということができなくなるみたいなですね、商売をやっていたら融資を受けることが難しくなるとか、いろいろ不利益がある。そういう形で追い込まれている。さらには個別に返還訴訟。学生支援機構が、返還が滞っている元学生を訴える。場合によっては資産差し押さえとか強制執行がなされる。こういう取り立て強化をしている。

奨学金借りてる人多いですけど、そういう人はどうしても就活せざるを得ない。でもなかなかうまくいかなくて、うつになったり、自殺しちゃったりする。そして今後ますます深刻化していくだろうという状況がある。しかもさっき言ったみたいに3年以内の離職率が3割。就職したらそれで終わりじゃないんですね。正社員になったらとりあえず安心だというわけじゃない。入ったところが本当に戦場みたいな職場という場合もあるわけです。

キャリアというのは多分今後どんどん多様化していくと思います。就活が最後のチャンスじゃないんですね。新卒というライセンスは、今の日本の採用のあり方としては確かにかなり大きな切り札ではあるんですけれども、それで失敗したからといって人生が終わるわけではない。失敗した人もどうにか生きてるし、何とか死なないようにやっていただきたいなと思うわけです。

いまの就活の在り方に対して何かおかしいんじゃないかと思ったら、疑問とか不満とか不安とか、そういうのを共有する場を持っていただきたい。これは2009年からですね、全国各地で大体毎年行われている「就活くたばれデモ」。今の就活のあり方がおかしいと思ったら、とりあえず街に出て声を上げようとか、とりあえず何か不満持っている人たちで話をする場を持とうという動きが日本全国あちこちであるわけです。やっぱり就活でしんどくなって、何か不安にもなるんですけれども、自己責任的に自分が悪いんだ、自分ができないのがダメなんだとか思うんじゃなくて、そういう個人的な愚痴ではなくてですね、今の社会状況が必然的にこういう不満とか焦りを生み出すような仕組みになっているんだと、ある種就活を相対化するようなまなざしを持っていただきたいと思います。私の報告は以上です。

就活の実態

實重隆宏(さねしげ・たかひろ)
同志社大学法学部4年。「ジャバスタ」代表。主著に「同志社交番問題と学生自治」『情況』2013年9・10月合併号(情況出版)がある。

こんにちは、法学部4年生の實重隆宏といいます。僕がどういう立場で話をするのかというと、普通に就職活動をして、普通に内定が出て、普通に卒業するであろう普通の学生の立場から、どういうふうに就活を乗り切っていけばよいのかということについて、15分という短いような長いような時間ですけれどもお話できればなと思っています。

まず渡邊先生がおっしゃったように、就活というものはここ5年くらいで就職氷河期だとか色々言われてきて、前評判としては、非常にしんどくてつらくて、できればやりたくないものだという認識を3年生の10月、12月頃はずっと持っていました。「就活ぶっ壊せデモ」とかですね、そういうデモを見ていても、人によっては「就職できないやつがあんなことやってんだろ」と言う人もいるんですけど、僕としては彼らの苦しみであったりとか苦労であったりに非常に共感していて、就活というものはできればやりたくないという、どちらかと言えばネガティブに就活というものを見ていました。

3年生の夏くらいになると周りがインターンとかに行きだすんですけれども、確か20人くらいいる僕のゼミで2、3人はインターンに行っていたかなと記憶しています。アルバイト代も出ないのに何でそんなことをしに行かなきゃいけないんだというのが僕の正直なところで、本当は多分みんなそう思っていると思うんですね。何が悲しくてそんな労働の最前線に無給で行って頭を下げ、疲れて帰ってこなければいけないのか。でも、行く人はみんな「勉強になる」とか、自分探しとか、エントリーシートのネタを探しに行くとか、行く人は行くという感じでした。ただ僕は全然行く気がなかったですね。

商品化する就活生

3年生の11月、12月ごろになって、本当にどうしよう就活、まあエントリーシート出すの年明けからだから、年明けになってからマイナビに登録すればいいわって思ってたんですけれど、親とか妹が騒ぎ出しまして「そろそろ就活じゃないの? どないなってるんですか」とつつかれてですね、仕方がない、就活を始めようかということになって、就活の第一歩を踏み出すことになったわけです。ただ、アルバイト先がファミリーマートなんで、ファミリーマートの説明会に行くであったりとか、とりあえず合同説明会に行ってみようとか、そういう軽い感じで就活を始めたんですね。説明会自体が11月、就活の解禁は12月というふうに言われているんですけども、実質的には12月の前からフライングで始まっているということで、12月まで何もしてない、出遅れてしまったなというところで焦ったりもして、基本的に就活はしんどいものだとわかりました。大学受験とか、今まで人生における困難がいろいろあったわけじゃないですか。同志社大学に入ったこともあって、それを一応乗り越えてこれたので、就活もまあ大丈夫だろうなんていう甘い考えでいたというのが正直なところです。

12月16日にマイナビの就職EXPO2014という合同説明会に行って、その時に初めて衝撃を受けたんですけど、まあ……キモいと。スーツの人たちがバーッといるんですよね。みんな一生懸命、人事の人の話を聞いているんですよね。僕としては話を聞いても全然が興味がわかないというか、そりゃあ今まで利用したことも関わったこともない積水ハウスとかそういう企業の話をされたところで、面白いと思えるはずもないんですけど。隣の就活生のノートを見たら、人事の人の言葉を一言一句漏らさず書いていて、人事担当者というまるで神の言葉を聞いている信者みたいで、すごい気持ち悪い。会場で「就活に勝つ」って言いながらリポビタンDをタダで配っていて、それはそれで美味しかったんですけど(笑)

自分は12月まで何もせずに家で寝てたりとかしてたんですけど、周りではもう戦争が始まっていて、これはガチだと。企業に気に入ってもらうための戦争というものが始まっていて、そのための装備というか、三種の神器、それが「スーツ」「腕時計」「手帳」だったんですよね。僕はスーツこそ着ていたんですけれども、時計と手帳は全部スマホで管理してたんで、三つのうち一つしかない。これはちょっとあかんなと思ってようやく焦り始めたんですけど、気持ち悪い就活生たち、まあ自分も就活生なんですけど、気持ち悪い黒スーツ集団を見て、結局のところ企業に選ばれる人材になるっていう言葉が飛び交っていて、それにものすごく抵抗があったんですね。「お前はゆとり世代なんだ」と言われてしまえばそれまでなんですけど。小学校から中学、高校、大学の2年生までは「オンリーワン」だとか「みんな違ってみんな良い」とか「世界に一つだけの花」とかそんなことを言っておいて、大学に入っても自主自立だとかそんなことを言っておいて、3年の12月になった瞬間、企業に選ばれる人材になるためにって価値観がコロッと変わって180度大転換してると僕は思うんですけれども、逆にこれに順応できる他のみんなはすごいなと素直に感心していたところなんです。

マイナビの説明会ですから一応マイナビのブースにも行ったんですけど、その時にマイナビの人事担当者の言った一言が非常に衝撃的でした。何て言ったかっていうと「私たちにとってのお客様は就活生じゃなくて企業様です」と。「私たちは就活生に就活をさせて、それでお金をもらっています」というふうに言われたんですよね。彼らのビジネスモデルというのは、例えば新卒じゃなくて転職だとしたら、年収300万円の人をひとり転職の斡旋をして50万だとか、そういうビジネスモデルなんです。だから極端な話、人をお金としか見てないんですね。マイナビは絶対に学生のことを「お客様」とは呼ばないんですよ。別に客扱いしろと言ってるわけじゃないんですけど、彼ら絶対にマイナビを利用している学生のことは「利用者」って呼ぶんですよね。彼らがお客様と呼ぶのは、企業の人事の人。その辺も言葉の使い方から徹底している。

僕たち就活生っていうのは極端な話、「商品」としてしか見られていないんだなというところに、就活初日であっさりと気づいてしまって、僕のモチベーションはそこからだだ下がりしてしまってた。最初は将来的に働かないといけないから、一生のことだからしっかり企業を見たいなっていう、やりたくないやりたくないと言いつつポジティブに考えている側面もあったんですけれども、結局のところ就活っていうのは俺を商品として扱っているんだということで、本当にやる気がなくなってしまって。じゃあお前就活しないのかっていうと、そういうわけにもいかないんですよね。確かに就活はやりたくないし、就活はクソだと思うんですけど、じゃあお前ニートになるのかよって言われると「いやそれはちょっと……」ってなるのが学生の正直なところだと思うんです。

今回「桐島、就活やめるってよ」のビラを撒いてても、いやでも就活はやめたらダメでしょっていうのが正直なところだと思うんです。だから僕も就活をやめるわけにはいかない。両親がいるし、その時は彼女がいたかいなかったか忘れましたけど、とりあえず期待を裏切れない。せっかく同志社大学っていうそれなりの所を出ているんだから、それなりの所に就職してくれるよねっていう親とかの期待は裏切れないなと。じゃあどうするんだ。就活はしないといけない。そこで僕は最小限度の就活をしようと思いました。自分の力は本当に最低限しか使わないで、もうやらなくていいことはやらない。だから企業研究は全部ウェブで済ますという最小限度就活っていうのを考えて、それを始めることにしました。

みんな企業の求めるままに

年が変わってエントリーシートを皆が書き始めるんですけど、相変わらずやりたい仕事は見つからず、結局バイト先のファミリーマートを受けたりとか、あるいは簡単に内定がでそうだなって思った引っ越し会社の営業職とか、これは面接2回で筆記試験なしで内定出たんですけど、未だにこれどうなってんだろって不思議なんですけど、そういうのを受けたりして相変わらずやりたいことは見つからないけど就活はしないといけないって板挟まれながら、やっぱり引っ越し会社に就職しようかなと思ったりして。ところが周りはみんな金融志望で銀行を受けないと人にあらずじゃないですけど、「就職先どこ?」なんて聞くと、「俺ミドリのあそこ」とか「赤いあそこ」とか、そういうことを言っちゃったりして、本当に「なんで金融受けないの?」みたいに金融受けるのが前提になっていて、なんでみんなここまで画一的になっているのかなっていうのが不思議でした。

就活生はみんな「コミュニケーション力があってリーダーシップのある人間です」なんていう自己PRをよくすると思うんですけど、これも考えたらおかしいよね。だってみんながみんなリーダーシップあるわけないじゃないですか。みんながみんなコミュニケーション能力あるわけじゃないし、同志社大学のキャンパスを歩いていても「なんか俺コミュ障だな」って思う時もあるし、みんながコミュニケーション力あってリーダーシップとれる人間じゃないはずなのに、みんなコミュニケーション力あります、リーダシップとれますっていう自己PRをしないと受からない。最近はコミュニケーション力は当然の前提でPRにすらならない。コミュニケーション力あって当然ですよね、という感じになっている。例えば将棋部に所属している友人がいるんですけど、「あなたは将棋部で何を学んだんですか? 何を得たんですか?」「コミュニケーション力とリーダーシップです。チームをまとめました。」「でも将棋って個人競技ですよね」という一見矛盾しているような自己PRを、将棋部でやったことからなんとかつなげていこうとするような、自分の志望動機とか強みを粉飾しないといけないようなことになってしまっているというのが就活の現状であると思います。

結局、僕は10社か20社ぐらいしかエントリーしなくて、マイナビなんかでは「内定を確定した先輩は今の時期80社くらいエントリーしてるよ。あと60社くらいエントリーしよう」とか言われて、僕としては10社エントリーしただけでもすごく頑張ったって思っているんで、あと6倍かよみたいな、無理だなと思ったり。世の中の就活生は非常に追い詰められている。俺はそんなに強くないから無理だとあきらめました。

その時に気づかされたんですけど、僕の友人ですごい苦学生な子がいて、その子が一言、就活できるっていうのはそれだけで裕福だと言ったんですね。要するに彼の場合は奨学金を借りていて貧しくてお金もないと。就活をするとなると東京まで行って面接を受けて、それで説明会にもわざわざ京都から大阪までバイトを休んで行く。それができるっていうのは非常に恵まれていることだと。僕も最小限度就活と言いつつ東京まで3回行っているのでトータル10万弱くらいかかっているんですけど、これを6倍やれば60万円かかるわけで、20万、30万、40万かけました就活にっていう就活生は珍しくないわけで、それだけお金をかけられる人しか就活できないという時点で、就活っていうのは公平な競争ではないし、能力を評価されるものでもないということに気づいてしまった。

マイナビやリクナビに自分が商品として扱われていることに気づき、僕はその時非常に怒っていたんですけど、キャリアセンターは大学の部署なんだから、学生のことを考えてくれているのかなと。でも結局のところ彼らも大学の内定率、就職率を上げるために活動をしているんだということに、キャリアセンターの職員と話したりする中で気づいてしまったんですね。彼らは劣化版マイナビだと僕は思っています。今日の講演会に当初キャリアセンターの人を呼ぼうかって話をしてたんですよ。「就活生がこれだけ苦しんでいる。だからキャリアセンターとして何か一言下さい」と依頼したんですけど、「そんなのは出来ない。無理だ」と言われたんですね。ところが7月10日あたりに「企業に選ばれる人材になるためには」っていうテーマで講演会を開いたりする。彼らも学生のことを本位には考えていないということに気づいてしまった。

志望動機とか自己PRもさっきも言ったように粉飾しないといけない。僕の場合は、こういうシンポジウム開きましたとか、デモに行きましたとか、西成に行って炊き出しをやりましたとか、そういうことを書くとことごとく落ちるわけですね。で、ファミリーマートでアルバイトリーダーとして一生懸命頑張りましたとエントリーシートに書くとなぜか通るんです。企業は自分で考えて行動できる人材を求めていますとよく言いますけれども、それは企業にとって都合の良い主体性とかリーダーシップであって、そこからはみ出してしまった人は書類で切るというのが正直なところです。結局のところ「企業の求める」というのが接頭辞としてついてくるんですね。

就活の心構え

最後僕が持ち駒、と言うとアレですけど、持ち駒が残り2社になったところで運よく内定がもらえて、引っ越し会社以外でですけど、内定をもらえて就活を終えることができました。これは本当に偶然というか、面接した人と相性が良かったんかな、という程度に自分で分析をしていて、俺が他の就活生にはないキラリと光る何かを持っていたとか、コミュニケーション力に溢れていたとか、そんなことは無かったと思っています。

僕はメンタル強い方だと思っているんですけど、ここに出てきてしゃべれるくらいのメンタルの強さはあると思っているんですけど、就活で落とされると結構キたんですね。そんな中で他の就活生、自分もそうだし友達とかも傷ついている現状がある。自分だけ一足早く内定が出てしまって、なんかすごい罪悪感があって、まだ戦友が戦地で銃を撃って戦っているのに自分だけ家に帰ってきちゃったみたいな、そんな感じの罪悪感がすごく残る後味の悪い就活の終わり方でした。

結論として、自分の体験をふまえてこれから就活する人に向けて提案したい、就活の心構えとは何かという事なんですけど、まず始めに真面目に就活をしないということですね。リクナビだったりマイナビだったりキャリアセンターだったりっていうのは就活させることによって利益を得ている。例えば何社エントリーしましょうって言いますけど、企業の側から見れば今年の新卒採用マイナビを利用してやったらこんなにエントリー数が伸びたぞってなると、それはマイナビに対する評価につながるわけですね。だからマイナビは一生懸命学生を就活させてエントリーさせようとするし、キャリアセンターも内定率を挙げるために就活しろ就活しろというふうにする。だから真面目に就活すること自体が間違っている。

二つ目が情報に踊らされないということ。彼らが発信してくる情報というのは結局のところ、彼らの利害が絡んでいて、学生の人生とか働いた後のワークライフバランスとか、そんなことは一切考えていない。だからキャリアセンターだったりマイナビ、リクナビが出してくる情報を疑ってかかるということ。

最後に発想の転換ということで、「企業に選ばれる」から「企業を選んでやる」。そんなこと言ったって落とされたら凹むし、なかなか難しいとは思うんですけど。でも企業に選ばれるのがナンボのもんじゃい。日本には300万社の企業があって、実際のところまともにやってる企業は100万社くらいある。選ばれなかったからなんだっていうくらいの強い心構えでやるのというが、就活を乗り切るためのコツかなっていうのが、自分が就活した上での経験として挙げられると思います。

僕の妹も今年就活なんですけど、非常に心配していて、どうにか心を病まずに非正規でも良いから死なないでほしいなと思っているところです。これから就活されるみなさん、あるいは就活終わったという人も、就活企業とか就活ビジネスに騙されないで、命を削らされないで死なないでほしいと僕は思っています。

就活で失うもの。なぜ再び就活しないのか

匿名 就活脱落者

ビラでは確か匿名「就活脱落者」となっていたんですけれども、ビラに名前を出してやるのが僕は恥ずかしくて、そういうふうに書かせていただきました。今日は普通に名前出しているんですけど。いまは同志社の大学院で勉強しています。先ほど實重君の話はすごく分析的だなあと横で聞きながら思っていて、就活やっている時にそういうふうに分析的に考えるっていうのがなかなか難しいから凄いと思っています。僕はどういう話をするかというと、一応脱落者ということで、就活を一度学部の時にやって、脱落したところからどういうふうに這い上がってきたかみたいな、そういった流れを話したいと思います。

最初になぜ脱落者かということについてなんですけれども、その理由は就活を元からやらないという選択をしたわけではなく、就活をやり遂げたわけでもなく、その上で最終的に就活をやめて結局いまの進路を選んだから。これから話す経緯からして、まあ脱落という言葉がぴったりくるんではないかと思って、そういう名前にしました。

就活を脱落するまで

まずは就活を始める当初のお話からしたいと思います。最初は就活というのがそもそもよく分かっていませんでした。というのも3年生の秋に留学から戻ってきていきなり、周りがみんな就活、という状況を目の当たりにして「みんな一体何やってんのかなあ。就活って何なんだろう」っていうふうに周りを見渡してました。そんなのを見ていて、なんとなく就活というのは大学受験の準備をするような感じというイメージを持っていました。大学受験だったら、高校に入った時点からそれがあることをどこか頭の片隅において、時が来たらそれに取り組みますよね。それと同じで、就活もその時になれば否応なしに取り組まねばならないもの、そんなふうに考えていました。

1年間交換留学で海外に行ってたので、4年の秋に就活を始めたんですけれども、それも単に就活シーズンというものがやってきたからというのに過ぎなかったように思います。でも受験と就活で異なるのは、受験はある程度頑張れば結果はついてくるものだと思うんですけれど、就活は必ずしもそうとは限らないということですね。これはあとあと分かってくることなんですけれども。そんな感じで就活を始めました。それが2010年の11月、僕が4回生だった時の話です。僕は5年計画で大学を出たんですけれども、就活を始めたころ僕と同じ学年のやつらはみんなもう卒業していくという時期で、周りを見ると、それなりにうまく就活乗り切って就職を決めてたやつばっかりだったので、自分もそれなりになんとかなるだろうという甘い考えを持っていました。

就活をやり始めた頃というのは、皆さんやっている人はそうかと思うんですけど、リクナビとかマイナビとか、そういうのでエントリーをする毎日を過ごしていました。ほかにどうやって企業にアプローチしていけばいいかわからなかったので、こうしたいわゆる就活サイトというのを使って企業にエントリーしてました。エントリーは約4、50社ほどやってました。元々オートレースというか、自動車であるとか、あるいは航空機とか、そういう工業製品みたいなものに興味があったので、そこからもう本当短絡的に製造業、造船業といった業界を中心にエントリーしていました。はじめは本命の会社、僕ホンダに行きたいなあとか、つまり行きたい思いの強い会社にばかりエントリーしてたんですけど、徐々に時間を経るにつれて、そこの関連企業であるとか、車でいうところのデンソーみたいなところですね、そういう企業にもエントリーをしていくようになっていました。そうしたことと合わせて説明会にも足を運んだりしていました。

そうするうちに、数が膨れ上がって、先ほど申し上げたように4、50社ほどになっていたと。これだけ企業にエントリーすれば、もちろんその数に近い不採用通知、お祈りをいただくわけです。やっているうちに、僕はスカッとストレートで決まらなかったので、持ち駒がどんどん減っていって、それでも自分は中国語というアドバンテージもあるし、それなりに就職決まるだろうと高を括ってたという、妙な自信みたいなのを持っていたところがあった。しかし実際には思ったようにもいかず、祈られるごとに、不採用をいただくごとに、就活に対するやる気もそがれて、だんだんと自信をなくしていきました。そういうのが、いわば自分を否定されるように感じて、「なんで周りはうまくいってるのに俺はうまくいかないんだろうな」っていうふうに自分自身に対して否定的になっていくようなプロセスをたどっていました。それが年明けの2月3月4月あたりです。そしてその頃ちょうど3・11が起こって、僕が受けた企業の採用活動が一旦中断しました。

この時最も行きたいと思っていた企業の選考が進んでいたのに、その選考が2週間ほど中断してしまう。そのあと再開したんですけれども、3回ぐらい面接を経て結局、これ8回ぐらい僕行ったような気がするんですけど、リクルーターを合わせて、落とされました。そのことがもうショックというか響いて、これ以上就活を続けていくやる気みたいなのを失っていきました。これまで自分なりに努力してやってきたつもりだったんですけれども、それを否定されたような思いを抱いて、結構落ち込んでしばらく大学に行かない時期も5年生の春学期にはありました。

いま思えば、大学に行かなくなった時期というのが自分の中で結構大きくて、もともと勉強したいという思いは強い方でした。それは大学の講義だけじゃなくて、例えば自分の興味のある本を読んだりとか、面白そうな講演会や集まりに行ってみたり、ボランティアに行ったりだとか。就職活動というのは自分にとって、そういう一切の活動を犠牲にしないといけないものでした。特に3年4年の専門的な授業が増えていく中で、あるいは卒論を書かないといけない中で、そんな時期に就活のために大学に来ているような日々が僕の中では続いていました。

そこがすごく、もやもやというか、どうしたらいいんだろうという思いを持っていたんですけれども、こういった感情はこれまで自分の人生が、人生といっても短いんですけど、それなりに曲がりなりにもうまくいっていた時期には感じなかったものでした。そういったものを抱えつつも、しかし何とか就職しなければと思っていて、そういうプレッシャーの中で自衛隊と大学院を受けるという、ちょっと凄い選択をしました。何でこの二つを受けたかというと、これ以上就活は続けたくないし、来年度から自分が働くというのを、どん底に落ちていた時に考えられなくて、でもどこかに所属していないとちょっと不安だなっていう思いがあって、だからそういう選択をしました。さらに大学では学生支援機構の奨学金を借りていたんで、それも返さないといけないプレッシャーというのも持ってて、それをちゃんと返していけるかとか、進学してその後の保証はあるのかというような不安を抱えていました。

自分は就活するために大学に来たわけではないし、結局は就活から脱落し、自分の好きな、やりたいことといったような勉強も満足に終えられなかった。そういう不満が自分の中に溜まっていて、結局どっちつかずになっちゃったっていうのが一番嫌で、どうせなら自分の力を入れられる分野で、僕は社会福祉を勉強しているんですけど、そういった分野で精一杯やりたいな、みたいなことを思って、最終的に大学院進学を決めました。ここまでが脱落の話です。

就活に失敗しても、終わりじゃない

ここからが脱落してからの話になるんですけど、大学院に進学した後も結局、気持ちが晴れたわけではなくて、悶々としていて、借金(奨学金)は膨らむ一方だし、将来の不安もよぎる。大学院を修士で出て就職する人は修士1年の時期に就活するんですけど、この後どうするのとか周りに聞かれるのが自分の中でプレッシャーになってます。そういった中で、自分の今の状況を少し肯定的に捉えられるようになってきました。「もし」っていう問い自体が無意味なのかもしれないですけど、もし学部生の時に就活で内定もらってたり、あるいは自衛隊行ってたりしていたら、自分も何の疑問も抱かずに、能天気に就職していたかもしれないなあとか、あるいは就職してたら、働いてないからわからないですけど、就職してからも何かしら難題にぶつかったかもしれないなあとか思うようになって、ある意味で自分が脱落したから救われている面もあるんじゃないかな、みたいなのをちょっとだけですけど、思うようになりました。

そういった中で、今日ここにいるメンバーとか、そういった人たちに出会って、それで周囲を見てみると結構いろんな境遇の人がいるんだなあと。びっくりするような人もいたんですけど。就活に失敗した人とか、うまく切り抜けた人とか、悩んでいる人とか、海外、アジアで就職するとか言ってフィリピンに行っちゃった友達とか、あるいは僕の研究、フィールドワークで行ったタイとかハワイのNGOであるとか、そういったワーカーであるとか、いろんな人に出会って、みんなそれぞれに苦しみつつしぶとく生きてるんだなあ、みたいなことを思って、そういった人たちとの出会いや関わりの中から、自分も今の状況の中で精一杯やったらいいのかな、そこまで思い悩むものではないのかなと思えるようになりました。

でも働かずに生活するのって困難ですよね。何とかして稼がないとっていうのはあるんですけど、それにずっと怯えて悩んで、自分はこの後どうなっちゃうんだろうとか、このまま路頭に迷ってしまうんじゃないだろうかとか、そんなことばっかり考えてたら僕みたいに身が持たないと思います。なんていうかな、自分の身の丈にあった生き方をしたいと今は思っています。

世間的には社会出て苦しんだ方がいいんだとか言われる。家族にもそんなこと言われたんですけど。いや十分苦しんだよっていうことを僕は思っています。これからどうするのって言われた時に、就活をせずに生きていけるんじゃないかなっていう目処が僕の中では立っていて、周囲のそういった仲間というか、いろんな人たちの生き方を見たり、価値観を共有できる人とか、あるいはさっき渡邊先生がおっしゃっていた「場」みたいなところに出会って、そういったことから徐々に自分の生き方を模索していこうかなと考えています。

人それぞれ受け止め方は違うと思うんですけれども、大学に入って出ていい職に就きたいとか、そのことのために頑張るとか、僕は全く構わないと思っています。就活を頑張ること自体は別に悪く思ってなくて、やっぱり人間食べていくのが課題という以上、それは仕方ない。でもそれがうまくいかなかったりとか、僕のように脱落してしまった時にそうした価値観だけでは、やっぱりかなりしんどいんじゃないかなって思います。そういった意味で就活以外の生き方とか、しぶとく生き抜いてる人たちがいるというのを頭の片隅にでも置いていると、就活に失敗した時のどつぼから抜け出して、また別の生き方を主体的に模索していくことができるのではないかと今は思っています。そんなわけで、未だに逡巡しているところはあるんですけれども、いまは自分のそういった失敗に一定の意味を見出して、次の一歩に踏み出そうとしているところです。

なぜ就活をせず、そしてどう生きているのか

古屋寛生(ふるや・ひろき)
同志社大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科除籍。實重氏と共に「ジャバスタ」を立ち上げる。

こんにちは、古屋寛生といいます。今年の3月に大学院を卒業、というか除籍になりましたが、ジャバスタの活動は続けています。僕の話はごく私的なもので、就活脱落者君のいい話のあとには大変恐縮なんですけれども、お話したいと思います。一応肩書きとして「良心的就活拒否者」というふうになっています。これは自分で言っているわけではなく、實重君がつけてくれた肩書きなんですけれども、僕はそもそも就活っていうのをしませんでした。今回は「なぜ就活をしなかったか」「いまどうやって生きているのか」というお話をしていきたいと思います。

いろんな出会い

ちょっと昔にさかのぼって、僕が高校を卒業するあたりからの話なんですけど、僕は地元が山梨県で、たいして偏差値の高くない総合学科高校を卒業した後、1年間実家でニートをしていました。その後、このままじゃだめだと思って、すごく零細の清掃会社で働いたんですけれども、そこは非常にブラックで、名ばかり正社員として働いていました。やがて親の勧めもあって、半年受験勉強をして、周りの人よりも3年遅れで同志社大学に入りました。学費とか生活費はほとんど全部親がもってくれていたので、学生の4割が奨学金を借りているという現状の中ではかなり恵まれた環境で大学生活を送ることができました。

入学当初は安定というのをすごく求めていました。中学か高校の社会科の先生になろうかなと思って、1年生から2年生の途中くらいまでは、生活のほとんど9割くらいを単位取得のためにあてていたくらい、すごく退屈な生活を送っていました。転機が訪れたのは2年生の夏頃です。教職をとっていたので2年生から今出川の授業もあって、自分が住んでいたのが丹波橋だったんですけど、いろいろ京都市内に出る機会が多くて、2年生の夏に京都市内の映画館である映画を観ました。あんまり有名じゃないんですけど「バス174」という映画で、ブラジルのリオデジャネイロで実際に起こったバスジャック事件を取材して、そこからブラジルのストリートの貧困問題をえぐる、というような結構良いドキュメンタリー映画を観て、そこで社会に目が開かれたというか、世の中は自分は知らないけれどすごく大事な問題が起こっているなと思いました。

せっかく大学に入ったんだからこういうことを知らなきゃいけないんじゃないかと思って、その後、映画館に置かれているチラシとかあらゆる情報媒体を使って、市民運動をやっているような上映会とか講演会とか、あらゆるものに行きました。例えば今話題の、従軍慰安婦にされた女性達の証言集会とか、イラク戦争とか、劣化ウラン弾の問題の報告をするジャーナリストや現地のお医者さんの報告会とか、原発問題に関する映画の上映会とか、あらゆるものに参加しました。本当に数えきれないくらい、授業がほったらかしになるくらい、そっちの方に行きまくっていました。一方で、そうやって知識をいっぱい得て、頭ばっかり大きくなっていくという状況に葛藤みたいなものをもつようになります。やっぱり自分は知った以上、社会に対して何か働きかけをしなきゃいけないんじゃないかと思うようになりました。

そんな時に、田辺の学園祭、今はクローバー祭と言ってますけど昔はアダム祭と言ってて、アダム祭に行ったときに写真展をやっている学生たちがいました。それはどういう写真展かというと、フィリピンを訪れて、そこでどういう問題があるのか、従軍慰安婦のおばあさんの話もあったし、日本のODA開発で住民が立ち退かされているとか、いろんな報告写真展をやっていました。そこでただ勉強しているだけではなくて社会に対して何か還元している、行動している学生たちに出会って、悔しかったというか、俺は何もやってないけどこの人たちは何かやっている、悔しい、俺も何かやってやろうみたいな感じで、そういう嫉妬心みたいな、対抗心みたいなところからその学生たちと行動をともにするようになりました。その中でいろんな場所にいって、いろんな人たちと出会いました。沖縄に行ったり、フィリピンにいったり、大阪の西成、釜ヶ崎に行って野宿者支援をしたり、いろんな体験をしました。特にフィリピンに行った経験がすごく大きく残っていて、さっき写真展のくだりでも言いましたけど、日本のODA開発で住む場所とか仕事を奪われた住民に出会ったりとか、立ち退かされたことをきっかけに売春をするようになった女性に出会ったりとか、都市のスラムとかゴミ山に流れて、そこで生活をしている人であったり、あとは日本に帰ってきてからですけど、そういうフィリピンの貧困な状況の中で、性産業につくために日本へ出稼ぎに来ている女性たちに出会ったりしました。そういうフィリピンの現状をなんとかして変えようと思って、命を狙われたりするんですけど、それでも活動しているフィリピンの現地の学生たちと出会ったり、いろんな出会いをしてきました。

そして就活を拒否した

そういう出会いを経る中で、当初思っていた「教師になりたい」とか「こういう仕事をしたい」「こういう業種につきたい」みたいな思いはだんだん消えていきました。そんなのはどうでもいいんじゃないか、自分はこの人たちと一緒に、この人たちの立場に立って生きていく、そういう生き方ができたらいいなあというふうに思いました。就活時期を迎えても、どうにも就活をやる気になれませんでした。その理由というのは、日系企業がフィリピンに進出していてフィリピン人の労働者を日本人の監督が管理しているんですけど、フィリピンの労働者から聞いた話で「監督は10人いる。5人はまあまあ良い奴だけど、5人は悪魔みたいなやつだ。悪魔みたいな5人はフィリピンの労働者がミスとかすると、頭を叩いて『馬鹿野郎』と言う」と、そういう話を聞いて、こういう仕事はやりたくないな、というところから入ったんですけど、とにかく「こういう仕事がしたい」「こういうふうになりたい」というのが無かったというのが就活をしなかった一つの理由です。

もう一つ、これがすごく自分の中で大きかったんですけど、就活をするっていうのがすごく特権的なことに感じられました。先ほど實重君の話の中でもありましたけど、やっぱりお金のある人が有利なんですよね。お金のない人は不利というか、そもそも物理的にできない人もいたりして、自分は奨学金も借りずに大体学費も生活費も親に払ってもらっていて、バイトしたらそれが全部ポケットマネーに入るような生活だったので、自分がそこで就活をするっていうのは、そういうことができない人に対して、ずるいというかすでにスタートラインをかなり超えたところからスタートを切るような、そういう罪悪感があった。それが一つと、あと自分が学生生活の中で出会ってきた人たちというのは就活から排除されていると思います。例えば野宿者の人、長年日雇い労働者として働いてきたけど景気の頭打ちとともに路上に放り出されて野宿をしている人とか、フィリピンの貧困な現状の中から日本に出稼ぎに来たけど店のオーナーとか一応名義上の結婚相手とかからDVを受けているフィリピンの女性とか、相対的に言ったら、多分学生よりもそういう人たちの方が仕事に困っていたり、お金に困っていたりするんだろうけど、そういう人を排除したところで就活っていうのが成り立っているんじゃないかなあというふうに思って、就活をするということに罪悪感みたいなものを感じて、ちょっとそれはできないかなあと思ってました。

ただ結局学部の時はどういう進路を選んだかというと、一番はじめに言いましたけど、僕は大学院に行きました。院に行くというのも特権的といえば特権的なんですけど。だから院試にも力が入らずに、試験を受ける2日くらい前に勉強をはじめて、2日間勉強して、落ちたら落ちたでしょうがないと思って受けて、内部進学だったので入れたんですけど、たまたま運よく受りました。親は2年間学費を出してくれるということだったので、僕はそんなに強い人間ではないので、そこで誘惑に負けて、芯がぶれて院に行って、モラトリアムの継続をすることになりました。ただ3年目からはお金を一切ださないということだったので、そこでようやく普通は大学三年生でみなさんが向き合わなければならない、就職のリアルなところに自分は向き合うことになったんですけど、いろいろ活動していく中で人脈が広がっていたので、そこまで苦労することなく、たまたま知り合いの人から障害者の介助の仕事を紹介されて、ちょっと自信はなかったけど、思い切ってやってみようということで、障害者の自宅に行って、障害者が地域で暮らすのを支えるということを理念とした介助施設事業所に入ることになりました。それがいまの僕の職場になっています。

大体僕の話はそれくらいです。就活はしなかったけど、いろんなものに恵まれながら、そこそこ幸せな生活ができているかなあと思います。

(質疑応答は編集部の都合によりカットしました)

まとめ

渡邊 太

3人の若い方の話でもあったように、就活にいろいろ問題があって、かといって奨学金もあるし家庭の事情もあるし、就活しないというわけにもいかない人が多数だと思います。ただ就活やるときに、これがどういうルールに則ったゲームであるか、さっき實重さんが言われたみたいに、マイナビは学生を利用者と呼び企業をお客様と呼ぶみたいなルールがあるわけですね。それをちゃんと見た上で、ゲームを遊ぶ。リクルートスーツとかあれほとんどコスプレの世界ですからね、これはコスプレをしているんだと思って飲み込まれない。そういう視点を持っていたら、多少はしんどさも楽しみにできるんじゃないかと思います。

中には稀に「就活めっちゃ楽しい」みたいな人もいる。そういう人はどんどんやってもらったらいいんですけど、少数の人しか楽しめないゲームっていうのはちょっとゲームとしてどうなんかっていう気もするわけです。雇用契約結ぶわけですから、雇う側と雇われる側って本来対等なはずなんですね。企業は賃金と引き換えに労働力がほしい。我々は自分の労働力を提供する代わりに給料ほしい。その対等な取引であるんだけれども、雇う側の方が偉そうな顔をしているところが、ちょっとゆがんでいるようなところであるわけです。本来対等であって、ちょっと変なゲームだけどまあ乗ってやるか、みたいな気持ちをどっかに持っていたら、少しは気が楽になるかもしれない。

就活しないというのも選択肢としてアリだと思うんですね。じゃあどうすればいいかというのは、こうすれば大丈夫っていう答えは多分ないんですけれども、いろんなことに関心を持っていろんな人と出会いながら考えていく。そのときに、主体性も大事ですけれども、流されるのも悪くないんじゃないかとも私は思うんですね。流されて就活する、流されてマイナビの言うとおりにしてしまうみたいなのはちょっとまずいとは思うんですけど、経済の理屈ではないものにはどんどん流されてもいいんじゃないかと。古屋さんが言われたみたいに、思いがけない物事にたまたま出会ってしまった。出会ったところで、自分の人生が変化していっちゃうわけですね。運動の現場とかに行っちゃったとか、講演会でいい話聞いちゃったとか、そういうので今まで自分がこうしようと思っていたことが全然違うところに向かっていく。それは幅が広がるということであると思うわけです。何でも自分で見つけなきゃいけないみたいなところも、いまの脅迫的キャリア教育のしんどさでもある。出会って流されて見つかることもあるんだと思うんですね。

それから良心的就活拒否を選ぶみなさんは、孤立しないように。孤立するとしんどいんですよね。非正規職で生活していても、孤立すると気力も萎えてきて、人生も先は真っ暗みたいな気持ちになってく。同じ境遇の非正規の話せる人とかいれば、大分状況の見え方が違ってくる。愚痴も言えばいいし、できればそれを社会的に言う。なるべく共有できるような、開いていくような場で言う。そういう場を持てれば、孤立せずになんとかやっていけるんじゃないかと思います。

就活だけじゃない生き方を自分で考えていこうとすると、なかなか短い時間では議論は尽きないですが、今後の展開もあると期待して、私の言葉をここで終わりとします。(了)

関連記事