〈庭園特集〉そうだ 京の庭、行こう。(2013.08.01)

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日本全国、寺社仏閣は数あれど名庭がこぞりもこぞって集まっているのは、ここ京都をおいてほかにはない。今回、編集部ではそんな京都の名庭の中でも意外と知られていない「とっておきの日本庭園」を紹介したい。鎌倉時代の初めから近代に至るまで、幅広い年代から特別素晴らしいと思われる庭園6つを独断と偏見で選抜した。幽玄閑寂な庭の世界へ、いざ旅立たん。
なお、庭園拝観に際しては、騒ぎ立てること、庭に勝手に立ち入ること、あるいは他の鑑賞者の迷惑になるようなことを決してせぬこと。庭園は聖域であり、単なる見世物ではないと心得ておくべし。また、マナーとして庭園を拝観する前に寺院の本尊に参拝しておこう。以上のことに注意して、気持ちよく庭園を鑑賞したいものである。(編集部)

東福寺「八相の庭」と光明院「波心庭」


重森三玲作 伝統とモダンデザインの融合


西庭「井田の庭」。市松模様にサツキが刈り込まれている。

東福寺本坊にある方丈の「八相の庭」は日本庭園の伝統にモダンデザインの要素を取り込んだ、近代日本庭園を代表する枯山水である。東福寺は臨済宗東福寺派の本山で1236年に開山。「八相の庭」は1939年に本坊方丈の四方に新しく作庭された。

さて、庭園について説明する前に、まずは近代庭園の革命児にして、この方丈庭園の作庭家、重森三玲(1896―1975)について簡単に補足したい。重森は日本美術学校で日本美術を学び、後に独学で日本庭園を研究、作庭するようになる。1930年から70年にかけ全国200以上の枯山水を作庭し、東福寺本坊「八相の庭」や松尾大社庭園は彼の代表作である。彼の手がけた庭はその独創性から「永遠のモダン」、「究極のアヴァンギャルド」と評されている。また、いけばなにも造詣が深く、勅使河原蒼風と「新興いけばな宣言」を起草し1949年には前衛いけばなの創作研究グループを主宰している。この頃には彫刻家イサム・ノグチとも交流があったという。なお、京都大学の正門より南東に少し入った所には重森三玲庭園美術館がある。

「八相の庭」のうち、やはり最も度肝を抜くのは入り口から入ってすぐ、方丈正面の南庭であろう。正面左手には、厳めしい4つの巨石群と「荒波」を表現した白砂で構成される四神仙島。一方の正面右手には、京都臨済宗の「五山」を表す苔に覆われた優美な築山。理想世界「四仙島」と、この世の現実風景「五山」、対照的な2つのモチーフが庭の中で「九山八海」のミクロコスモスを構成するように作庭されている。見るものを圧倒する黒々とした奇岩、綿密に計算された石組み、そして現代的感覚に裏打ちされた「過剰」なスケール感を是非とも鑑賞して欲しい。


方丈正面の南庭。写真の巌は手前より方丈、蓬莱、瀛洲、壷梁を表す。

西庭「井田の庭」には、幾何学的に配置された、サツキの植え込みが登場する。この市松模様風の独特の配置について、重森は著書の中で「古代中国の田制」の分割に着想を得たと言及している。植え込みの端面は、上記「五山」を区切る白砂の斜線と直交するように作られており、重森のち密な計算による作庭を思わせる。

北庭「市松の庭」は、「近来モンドリアン」とも称される極めて斬新かつ現代的な空間が広がっている。「市松の庭」は由来の通り、市松模様を構成するように苔と切石で「平面的」に作庭されており、「立体的」に構成される「井田の庭」と空間的に対になる。そのミニマルでストイックな空間表現は、なるほどピエト・モンドリアン(1872―1944)のような現代抽象絵画の影響を受けているのだろう。西洋のモダンアートと日本庭園の伝統が見事に融合した庭である。

東庭「北斗七星の庭」は、重要文化財である東司の柱の余石が利用され、石の配置は北斗七星を模している。庭のモチーフである北斗七星は宇宙不動の中心である「北極星(北辰)」をとらえる案内役として古来より考えられている。平面的な配置だけでなく、高低差によって石それぞれに個性が生まれている点にも着目したい。

さらに、重森は上述したこれら4つの庭のモチーフ、つまり四仙島(蓬莱、方丈、瀛洲、壷梁)、八海、五山、井田市松、北斗七星をもって釈迦の示した8つの相「釈迦八相」を表現している。個々の庭園に主題をもたせるだけでなく、庭園全体をもって1つの主題を表現しており、「八相の庭」は方丈と一体になって禅宗の理念を象徴しているといえるだろう。

ところで、この「八相の庭」が重森の「荘厳」な作庭の代表であるのに対し、「柔和」な作庭を代表する日本庭園が東福寺塔頭光明院の「波心庭」である。光明院は1391年の開創。「波心庭」は「八相の庭」と同時期の1939年に完成したが、その作りは面白いほどに対照的である。

「波心庭」には三尊石組が3組配置され、その三尊中央の如来から放たれる光明線上に全ての石が直線的に配置されている。庭園名の由来でもある禅語「雲は嶺上に生ずることなく、月は波心に落つること有り」にちなみ、奥のサツキの大刈込は雲紋を象徴し、その向こう側にある茶室「蘿月庵」には月の意匠を見る事ができる。庭園中央部には海洋が白砂で表現され、その周囲には美しい州浜が取り巻いている。この州浜を用いた海洋風景の表現は重森の作品に多く見られるが、この「波心庭」はその中でも彼の最初期の作品である。

「波心庭」は重森が作庭した庭園の中でも、一際優美で和やかな雰囲気が漂う名作である。東福寺本坊「八相の庭」を鑑賞する折には光明院の「波心庭」にも足を伸ばしてみて、重森三玲の作庭の妙を味わってみると良いだろう。(羊)


光明院「波心庭」。中央に見えるのが3組の三尊石組のうちの一つ。盛り上がった州浜部分には飛沫に見立てた「栗石」がある。

蓮華寺庭園


人為と自然の織り成す作品


書院東側の池泉回遊式庭園。中央奥に石橋と鶴島が見える(鶴島の左奥には亀島が置かれている)。右手前に見えるのは珍しい形をした舟石。

蓮華寺は江戸時代前期に建てられた天台宗の寺である。

私が出向いたのは正午少し前であった。門をくぐると聞こえるのは鳥のさえずりだけで、セミのかまびすしい鳴声はなかった。楓の木がそこかしこに植わっていて、秋に訪れれば紅葉狩りを楽しめそうである。

庭を見て感じたのは、何らかの統一した世界観がそこに現出している、ということだ。そしてそれは自らの心に平安をもたらしてくれる何かがそこにあるからこそ、受けることのできる印象である。その何かとはおそらく、寺の言葉で言えば仏教の世界観ということになるのかもしれない。

庭の景観は、静かで整った体裁をとっている。風がなければ水面の動きや木々のざわめきがなく、まさに絵を見ているようであった。

池の中央付近には岩があってアクセントになっている。この岩は舟石と名づけられており確かに舟の形をしているのがわかる。池の中には鯉が周遊しており、こちらの把握できたうちでは黒・白・赤と合計6匹ほどいた。池のほとりには燈籠が置かれているが、楓の枝葉が伸びてきていて見えづらく、少し存在感が薄いように感じた。水面に枯葉が落ちていないのは美しかった。夏ならではなのだろうかと疑問に思ったが、副住職の話によれば、池の水は近くの高野川から用水路で流してきており、池にも水の流れがあるので枯葉などは水の流れで自然に除去されるか、下に溜まっていく。池の水が透明であるのもすばらしいと思ったが、そういう仕組みに支えられているようだ。

この庭の林の部分は日光が入る部分とそうでない部分があって、幻想的な風景をかもし出している。楓が主流であるが、松や百日紅などもところどころに植わっている。そして木々も細いものから太いものまであって飽きが来ない。そして注目すべきは地面の苔である。苔は人工芝などとは異なり、生きているということを訴えかける新鮮な色をしている。苔が見る者の目を引くのはこの色のためだろう。またところどころ盛り上がっていて、あるいはふわっとしていて地面に凹凸が見られるのも面白い。

このような池や林で構成される庭はどのように管理されているのだろうか。副住職に伺ったところ、寺の修行者によって毎日行われているとのことである。彼らは経典の学習などよりも寺の掃除がまず取り組むべきことであり、その一環として庭の整備が行われているようである。木々の剪定作業も基本的に寺で行っており、専門の人には年に一回来てもらっている程度らしい。特別観光客に見てもらおうという意識ではなく、あくまで寺の環境の維持という趣旨で整備されているとの印象を受けた。だからおそらく美しく見せようという意識はないのだろう。仏教の世界観を庭という形で表現しようとすることに主眼が置かれているのだ。私たち庭も見る者に何らかの形でそれを感じ取ってもらいたいと副住職は語っていた。

この夏休みに、心をやすめ豊かな自然に癒されつつゆっくりと思索にふける場所として、ここ蓮華寺を選んでみてはどうだろうか。(千)

南禅寺南禅院と方丈庭園


多彩な緑の重なり合い


南禅院庭園。青々と茂る樹林に包まれて静まりかえる庭園には「幽玄閑寂」の言葉がふさわしい。

哲学の道をしばらく南へ下がっていくと南禅寺に辿りつく。南禅寺は1291年に開創された臨済宗の寺である。今回は南禅寺の南禅院と方丈庭園に赴いてみた。

南禅院の庭は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)である。池泉回遊式庭園とは池を中心とした庭であり、園路に沿って池の周りを歩きながら鑑賞する。夢窓疎石の作庭と伝わるこの庭は、鴨が泳ぐ大きな池が配され、その周りを草木、そして向こうにそびえ立つ山々が取り囲む。苔の緑、池水の緑、松の緑、楓の緑など様々な緑が重なり、交じり合いとても美しい色を呈している。紅葉の時期になるとこれまた絶景だろう。琵琶湖疏水から水を引いてきた滝もこの季節には目に涼しい。

南禅院の北西には方丈庭園が位置する。廊下を進んでいくと、枯山水の上に大きい石が一つと小さい石が数個配されている。小堀遠州作と伝えられるこの庭は、大きい石である親虎と小さい石の虎児達が、親子で川を渡っているように見えるということで、「虎の児渡し」という名で親しまれている。他にも苔の上に置かれた石を天界、人間界、修羅の世界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界に見立てた「六道庭」という1967年に作庭された庭もある。

京都の庭を訪れたのはこれが初めだった。庭に関する知識が無いに等しい私でも、静かな空間で池や苔を眺めていると気持ちが落ち着き、とても良い一時を過ごすことができた。南禅寺は京大からも近い。是非足を運び、直接その目で庭を観て味わってほしい。(築)


南禅寺方丈南庭、通称「虎の児渡し」。17世紀末の作庭と考えられ、1799年に刊行された京都の案内書『都林泉名勝図会』にも登場する。

西芳寺庭園


豪快かつ優美 二つの顔をもつ古庭園


下段庭園の中心「黄金池」。名称は北宋の臨済僧・圜悟克勤が著した『碧巌録』第十八則の故事にちなむ。

通称「苔寺」で知られる洪陰山西芳寺の庭園は、数ある京都の庭園の中でもとりわけ古い歴史をもつ。その美しい苔ばかりが注目される本庭園であるが、ここでは夢窓疎石作とも伝わる平安末期の味を残す鎌倉初期の作庭にも着目して説明する。

西芳寺は『西芳寺縁起』によれば、天平年間に僧行基が畿内四十九院のひとつとして開いた「西方寺」に始まるとされる。平安時代前期には空海が安居したとされるが、その後寺門は衰退する。鎌倉時代になると摂津守中原師員が堂舎を建立し浄土寺寺院として再興。南北朝時代の1339年に夢窓疎石(1275―1351)を請じて中興開山となし禅宗寺院へ改められ、寺院名も現在の「西芳寺」となった。西芳寺庭園は、その頃、夢窓疎石によって作庭、あるいは改造されたというのが定説のようだ。

西芳寺庭園は上段の枯山水庭園と、下段の池泉回遊式遊園に大別される。下段の庭園は、中央の黄金池を中心に苔や杉の木立が生茂る。黄金池の中には北から、夕日ヶ島、朝日ヶ島、霞ヶ島の3つの島があり、霞島には三尊仏といわれる象徴的な三つの石組みが配置されている。霞形にかたどられたこれら中島は平安期の秘書『作庭記』にのっとった作庭と考えられ、現在、残存する古庭園の中でも霞形の中島のあるのは西芳寺の池庭のみである。さて、先の『作庭記』によれば、この中島は白砂の島であるべきだという。現在の中島は鬱蒼とした雑木林であるが、本来は見晴らしの良い庭園であったのだろう。また、庭園入口にある「観音堂」の南には、しめ縄を掛けた「影向石」があり、この周辺の石庭は夢窓疎石の作庭当初の石組みとされている。


中央「影向石」周辺の石組。夢窓疎石作庭当初の石組と伝えられる。

下段の庭園を抜けると、上段の枯山水の入り口「向上関」にたどり着く。この門をくぐり、「通宵路」と呼ばれる石段の道をのぼった先には、上下二段構成の豪快な枯山水が展開する。これらは「洪陰山石組」と呼ばれ、中でも上段の枯山水は夢窓疎石によって築造された日本最古の禅宗庭園の石組みと伝えられる。この「枯滝石組」は、三段の滝を鯉がさかのぼる「登龍門」の故事にちなんだ「龍門爆」を表現している。これも近世に飛び石が打たれ、当初の枯山水とは違っているとされるが、それでも東西上下に遠近感を誇張したスケールの大きな石組は圧倒的である。上段の庭園は上下の差を利用して荒荒しく立体的に作られており、閑寂で平面的な下段の庭園とはまた違った趣があって見応えがある。

最後に西芳寺庭園の拝観について補足しておく。西芳寺は戦前には訪れる人も稀な寺院であったが、戦後、「苔寺」として注目されるやいなや、大勢の観光客が押し寄せ、庭園の荒廃と周辺の混雑が問題となった。こうした問題に対処するため、1977年以降、申し込み制が採用されている。現在、西芳寺庭園を拝観するためには事前に予約を申し込み、拝観料3000円をおさめ写経や読経などの宗教行事に参加せねばならない。

今の西芳寺庭園はこうした対策の成果もあって、庭園の全面に生茂る苔は手入れが行き届き、梅雨の季節などはとりわけ美しく確かに目を惹く。ただし、せっかく庭園を訪れるのならば苔の美しさばかりを賞賛するのはもったいない。庭園に来て苔ばかり愛でるのは、重森三玲の言葉を借りれば「カビの生えた餅のカビだけなめて、皮も餡も賞味しない」ことに等しいのである。ぜひとも西芳寺拝観の際には、日本を代表する古庭園を「鑑賞」してみてはいかがだろうか。(羊)


上段庭園の「枯滝石組」。禅宗の世界観を見事に表現しており、西芳寺庭園一番の見どころである。

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