文化

男の「美しさ」の形成を探る 「歴史のなかの男性美とジェンダー」 ビューティーサイエンス学会 大会開催

2013.06.01

5月25日、奈良女子大学生活環境学部A棟にて、2013年度ビューティーサイエンス学会大会「歴史のなかの男性美とジェンダー」が開催された。同大会では、計4人の研究者が、男性の「美しさ」が歴史のなかでどのように形成されていったのかを、自身の研究分野から明らかにしようと試みた。

研究者と発表の内容は以下の通り。
大和文華館浅野秀剛氏「近世絵画に見る男性美――浮世絵を中心に――」
大阪大学文学研究科教授武田佐知子氏「日本古代における異性装の位相 衣服の形と愛のかたち 男性美と女性美の相似性にFocusして」
奈良女子大学研究院人文科学系山辺規子氏「中世ヨーロッパの男性ファッション」
同鈴木康史氏「大正元年の「男性美」論~笹川臨風『男性美』を中心に」

浅野氏によれば、近世江戸時代の浮世絵では男性女性それぞれで年齢による描き分けや、春画の中で一連の絵画にアクセントをつけるために、いかつい髭面であったり、陰毛や胸毛が多かったり、包茎や性器の大きさが他と異なったりする「下賎な」男性像が描かれることがあった。しかし、「好い男」と「好い女」の顔の描き分け、つまり「男性美」と「女性美」の描き分けはされていなかった可能性が高いという。

武田氏によると、「とりかえばや物語」で男君と女君の立場が入れ替わることができたのは、平安期の男性美と女性美が近接していたからであるという。源氏物語のワンシーンで光源氏を女性と見立てたいと周囲の人が言ったのも、当時の男性の理想美と女性の理想美が合致していたのではないかとする。そしてそれには、当時の貴族の下着や袴、単は男性と女性で交換できるほど同じものだったということが強く影響しているのではないかという。

山辺氏によると、中世後期ヨーロッパにおいて、元は男性も女性もドレス的な竹の長い服を着用していたが、鉄鋼鎧の開発を端緒として、トーナメントの開催や女主人との関係、都市社会の発展などによって貴族層の男性がつねに「見られる存在」としてアピールを行なう必要性が出てきたという。その結果、服装の変化が起こり、体型を強制する服、幅広い肩、引き締まった腰、すらりと長い足などが男性の美しさの理想とされるようになったと述べた。

鈴木氏によると、日本で大正元年に発行された『男性美』のなかで笹川臨風という人物が言及する「男性美」は精神的なもので、「強」や「善」という価値観と、当時女性に配分され始めていた「美」を連結する、「男らしさ」の総体としての意味を持つ。しかしそれは、身体面での西洋コンプレックスから肉体美では西洋を模倣しなければならなかったこと、また他者を誘惑するような身体的美しさは女性に仕分けられるもの、とされていたことから、「男性美」は必ずしも「男らしさ」の表象としては定着しなかったという。

司会を務めた奈良女子大学の内田忠賢氏は大会の最後に、「奈良女子大学が女子大学であるという特性を活かして、これからもジェンダーに関する研究を進めていきたい」として、会を締めくくった。(穣)