〈ルポルタージュ 吉田寮祭・ヒッチレース〉Hitch Your Wagon to the Start!(2013.06.01)

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吉田寮祭で最も過酷なイベントとして知られるヒッチレースが開催された。ヒッチレースとは吉田寮祭開幕と同時、つまり25日の0時過ぎに参加者を乗せた車が吉田寮を出発し、日本のどこかに下ろされて、そこから自力で吉田寮まで戻ってくるというレースだ。参加者の持ち物はペンと紙、それに非常用の携帯電話だけで、身分証や現金は持つことができない。レースと言ってもここで競われるのは吉田寮に到着する早さではなく、道中の土産話の面白さである。京都大学新聞社では2008年から毎年編集員が参加しており、今年も参加することとなった。

ヒッチレース体験記~西を目指した25時間~


♪吉田寮祭 吉田寮祭 わーいわーい楽しいな


「吉田寮祭の歌」を合唱しながら、ヒッチレースの出発式を兼ねた吉田寮祭開幕式が執り行われた。今年の参加者は22名で、くじを引いて乗る車を決定した。私を乗せるドライバーが発表されると周囲が大笑い。話を聞くと、免許を取って間もないドライバーに当たったらしい。私の乗った車はドライバーが2人と参加者が2人の計4人で、一路吉田寮を後にした。車内では自己紹介や他愛もない話をして盛り上がり、途中のコンビニで餞別の「うまい棒」を買い与えられた。夜も深くなってくると徐々に車内は静かになってきた。私は元来寝つきが悪いため、ほとんど寝ることができなかった。

夜が明けてくるとドライバーから「山と海、どっちがいい?」と尋ねられ、もう一人の参加者がすかさず「海!」と答えたため私は山に行くことになった。朝6時前、バイパス道路に近い川岸でその人は降ろされた。バイパスから海が意外と遠かったため川になったようである。

その後私を乗せた車はどんどん進み続け、次第によく揺れるようになった。「山」に向かっている証である。さらに進むと急な勾配や急カーブが続くようになった。一体どんな場所に連れて行かれるのだろうかと不安になっていると、一旦停止した。ちょっと車から出てみようとのことで、まだ目的地では無かった。降りてみるとそこは美しい渓流沿いの山道。小休止を終えると再び車に乗り、目的地まで山を登り続けた。

「よし、着いたぞ!」と言われた。ようやくついた目的地、そこは山奥の古民家であった。ドライバーの話によると映画「おおかみこどもの雨と雪」のモデルになったそうだ。一通り古民家を見たのち、朝7時22分、ドライバーの2人は私を残して立ち去って行った。

“クマ出没注意”そんな看板が目に入る。車どころか人の来る気配もない山道で不安になった私は一人で歌を歌いながら下山した。これから始まる京都までの道のりを思い描き、不安ながらもどこかワクワクしていた。30分ほどで大岩山日石寺付近の集落に出た。しかし当分車が通る気配はなく、時刻は午前8時、観光客が来るには早すぎる。とりあえず試しに「富山市内」と書いた画用紙を掲げてみた。しかし通り過ぎた数台の車はどれも近くの畑の脇に停車し、乗っていたおっちゃんは農作業を始めた。こんな時間にここを通る車なんて地元の農家くらいなものかと考え、ヒッチハイクは諦めて、もっと交通量の多い通りまで歩いていくことにした。午前8時半、「城山の湧水」という看板を発見した。吉田寮を出発してから一度も水分を取ってなかったので、これ幸いと湧水のもとへ駆け寄って飲んだ。非常においしい水で、設置されていたコップ2杯分も飲んでしまった。賽銭箱があったが賽銭するお金もないので、お地蔵さんに礼をしただけで湧水を後にした。

降ろされてから1時間半、ようやく広域農道へたどり着いた。交通量もそこそこで、ここならばなんとかなると考えた私はヒッチハイクを開始した。ヒッチハイク開始から30分、一向に車が停まらず、よく考えてみるとこのあたりでは富山市内ではなく上市町の中心地に向かう車がほとんどなのではないだろうか。広域農道では無理かもしれないので、さらに場所を移動することにした。少し迷子になりながらも、県道3号線の立山IC付近までたどり着いた。高速道路入口の近くならばなんとかなるだろう、そう考えた私はここでヒッチハイクを続けることにした。しかし、ここでも一向に停まってくれる気配がなく、通り過ぎる車は富山ナンバーばかり。インターチェンジの方向を振り返ってみると、多くの車が高速道路入口へ右折するのではなく、そのまま直進している。立山に観光へ行く車も多く含まれているのだろう。ここでも難しいと判断した私は、もっと富山市内方面の車が多そうな道を求めて西進することにした。

安易に徒歩移動を選択してしまったが…


北陸といえども昼間はとても暑い。直射日光の降り注ぐ炎天下で田圃に囲まれた一本道を汗だくになりながら歩くには水分が必要だった。どうしてこんな道を歩いているのだろうか。そう、富山市内方面の車が多そうな道を求めて西進していると、こんな道に変化してしまったのである。なんということだろう。私は生きて帰れるのか不安になってきた。通行する車もかなり少なくなり、ヒッチハイクどころではない。このまま富山市内まで歩かなければならないのだろうか…。そこへ突然公園が現れた。公園といえば水飲み場があるだろうということで心を躍らせながら公園に入っていった。案の定水飲み場があり、私は大喜びで蛇口をひねると、ちゃんと水が出た。水を心ゆくまで飲み、ベンチに座ってこの先どうするべきかを思案した。このままでは京都どころか富山市内にすら届かないのではないか。しかし、いつまでもベンチに座っているわけにもいかず、重い腰を上げてもう一度水を飲んでから公園を後にした。

さらに道を歩いていると車が数台、後方からやってきたので、試しに画用紙を掲げてみたが、どれも通り過ぎてしまった。「やっぱ無理やん…」絶望しながら独り言を呟く。仕方がないので画用紙を手にしたまま肩を落として歩き始めると、また後ろから車が来た。「どうせ乗せてくれへんやろうなぁ」と考えて画用紙を掲げることすらしなかったが、その車は私のそばに来ると停車して窓を開けてくれた。富山市中心部まではいかないが途中までは乗せてくださるそうである。乗せてくださったのは子供連れのお母さんで、ヒッチハイクをしている人間が珍しかったとのこと。言われてみると、たしかに私もヒッチハイクをしている人を滅多に見ない。話をしているとこれから昼食にラーメンを食べるところだったとのことで、私の分も奢っていただくことになった。ラーメン屋のあとは用事で違う方向に行くとのことだったので、繰り返し感謝を述べながらその場で別れた。少し歩いた所で「富山IC」と書いた画用紙を掲げてヒッチハイクを開始したが、ここでは停まってくれないだろうと思った私は、富山ICへ向かう車が多そうな通りとの交差点まで歩くことにした。1時間ほど歩いた所で再び画用紙を掲げた。だが、やはり停まってくれる気配が無いので、諦めて富山ICまで歩きはじめた。歩き始めて5分ほどすると隣で車が停まった。なんと若いカップルが富山ICまで乗せてくれると言うのだ。しかもこの車、先ほどヒッチハイクをしていた私の前を通過してしまい、Uターンして戻ってきてくれたそうである。富山ICまでまだかなり距離があったので感謝してもしきれない。

富山ICの手前で礼を述べながら別れたあと、今度は「福井」と書いた画用紙を掲げてみたが、1時間ほどしても停まってくれない。暑さで喉が乾いてきたのでヒッチハイクを中断して水を求めて附近を散歩してみることにした。しばらくすると公園を見つけたが、水飲み場は撤去されていたので、手ですくって飲んだ。それから国道に戻り、ヒッチハイクを再開した。ウインカーを出しながら減速する車に期待するも、近くの商業施設の駐車場に入る車ばかりである。しかしここは先程の立山ICとは異なり、かなりの車が北陸道に入っていく。過去のヒッチレース経験者の話を聞く限り、高速道路のサービスエリアにたどり着ければあとは容易に帰られるようであるので、このヒッチハイクへの私の期待は大きい。さらに、サービスエリアには無料の給茶機があるはずで、飲み物に困ることも無いだろう。つまり、サービスエリアにたどり着ければ勝ちである、少なくともこの時点ではそう思っていた。

あれこれ考えながらヒッチハイクをしていたところ、不意に後ろから声をかけられた。後ろは商業施設の駐車場であるから、最初は警備員に怒られるのかと思ったが、振り向くと20代後半と思しき真面目そうな男性だった。その方いわく、金沢まで乗せてくれるという。だが、この時私はサービスエリアに行けば長距離移動の車を見つけることが出来ると考えていたので、途中の小矢部川SAまでお願いした。短距離移動を繰り返すよりも早くラクに帰れるだろうと考えたのだ。

夢にまで見たサービスエリアへ


小矢部川SAに到着すると車を降り、礼を言いながら別れた。北陸道のサービスエリアまで来てしまえば、京都方面へ長距離移動する車などすぐに見つかるだろうと安易に考えていた私は少し休憩をし、ヒッチハイクを開始した。今度は画用紙を掲げるだけではなく、一台ずつ直談判するので一般道より厄介だ。京都や大阪、滋賀、福井ナンバーから優先的にお願いして回るが、土曜の夕方ということもあり、いまから帰るなどという人はなかなか見当たらない。富山ナンバーまで含めて次々と声をかけて回るが、金沢東ICまでしか行かない車がほとんどだった。気付けば日も暮れ、時刻は22時を回っていた。そこへトラック2台ほどやってきたが、これも断られた。「これ本格的にやばくね?」独り言をつぶやきながら、駐車場全体を見渡せるベンチに座るが、さすがに夜の北陸は寒い。0時を回った頃からあまりの寒さに全身が震えるようになった。どの車にも断られ、「僕はこんなみじめな思いをするために一浪してまで京都大学に入ったのだろうか」などと自問しながらも、精力的にお願いして回った。しかし、4時を回った頃、車が来なくなったので、ようやく私も仮眠を取ることにした。寒くて顎が震えるが、強烈な睡魔に襲われて30分ほど眠ることが出来た。そこへ車がやってくる音がして再び目覚めた。7時過ぎ、ヒッチハイクを続けていたところに強烈な頭痛が襲ってきた。きっと疲れによるものだろうと思い、ベンチで休んでいたが、徐々に体調は悪化し、気づけば歩くことも困難なほどの頭痛とめまいになっていた。これ以上の続行は不可能だと判断した私は吉田寮に電話し、リタイアを告げた。

ベンチで横になって3時間ほど待っていると救出の車がやってきた。体調は少し回復していたが、続行できるほどではなかった。ふとサービスエリアの駐車場を見ると京都ナンバーをはじめ、関西方面へ向かうと思われる車がかなり増えていた。つまり、体調を崩さなければ京都まで自力で戻ることも夢ではなかったわけだ。そして、悔しさを噛みしめながら迎えの車に乗ったが、直接吉田寮には帰らず、岐阜の恵那峡SAに寄ることになった。そこでもう一人リタイアが出たのだ。恵那峡SAで救出すると、ようやく吉田寮への帰途についた。しばらくして伊吹PAで休憩を挟んだのだが、なんとその人はトイレに行っている間に置いていかれてしまった。ドライバーいわく、彼はまだまだ元気そうで、このまま連れて帰っては面白くないからだという。ヒッチレースを甘く見てはいけないということを実感させられた。その日の夜、私は出発地点である吉田寮まで帰ってきた。

この旅を振り返って


今回はリタイアという不甲斐ない結果に終わってしまったわけだが、早く帰ることに固執するあまり、サービスエリアで降りたことが敗因としてあるように思われる。もしも金沢市内まで行っていれば別の結末があったかもしれない。急いては事を仕損じるとはまさにこの事ではないだろうか。ただ、参加したことに後悔は無く、非常に良い経験になったと思っているし、乗せてくださったドライバーの方々との時間はとても楽しいものであった。しかしながら来年のリベンジについてはここで言及しないでおきたいと思う。(通)

ドライバー体験記~そうだ、島いこう。~


吉田寮の伝統行事、ヒッチレース。しかしこの一大イベントを支える重要な裏方、すなわち出走者を捨てるドライバーの重要性については、一般的に驚くほど認識されにくい。そこで今回は2011年度ヒッチレース参加者(富山の国道に捨てられる)にして昨年度のヒッチレースドライバーでもある編集員47が、昨年に引き続き今年もヒッチレースのドライバーに挑戦した。

ドライバー達の新たなる挑戦~ヒッチレースのこれまでとこれから~


ここ数年、着実に長距離化の傾向が進んできた現代ヒッチレースだが、昨年度とうとう西は山口、東は福島にまで捨てられる者が出るに及び、若干潮目が変わった。「さすがにやりすぎではないか」、「距離を伸ばす以外の工夫が欲しい」という声が
寮内からあがったのである。しかしてフロンティアの拡大は一端打ち止めとなり、ドライバー達はそれぞれに新しい創意工夫を迫られることとなったのである。

ヒッチレースに残された最後のロマン……「島」


「小豆島ジャンボフェリー」。ネット検索の最中に出会ったその単語に、私の胸は躍った。そうか、まだこの手があったか。私は興奮を隠せない。

福島、山口と遠方はすでに行き尽くされた。山奥に捨てるというのも今やある種恒例行事化しており、新味に欠ける。様々な手段が既にあらかた実行されてしまった今、「島」こそがヒッチレースに残された最後の未踏の地なのだ。

具体的なタイムテーブルについてサブドライバーのM君と相談すること数時間、腹は決まった。今回の行き先は瀬戸内海に浮かぶ島、小豆島(香川県)である。

当日の午前1時頃、寮を出て、小豆島へと出発する。緊張の面持ちで出発を待つ出走者のKさんとNさんに「今回行くのは近場だから」と言うと、彼らの顔が一気に綻んだ。これから無一文での旅をしなければならない出走者らにとり、自分達がどこに捨てられるかは文字通りの意味での死活問題である。ほんの二年前に同じ立場だった私には、彼らの抱える不安が痛いほどよくわかった。しかし、「近場」といってもそれは京都からの直線距離が比較的短いというだけの話。彼らもまさか島に捨てられるとは夢にも思わなかっただろう。

出発後しばらくすると、Kさん、Nさんは夜明けから始まる戦いに備え、早々に寝てしまった。彼らが休めるのは今だけなのだから、これは賢明な判断といえる。一方眠い目をこすり、西を目指してハンドルを握る私は、途中大阪で道を間違え、時間を大幅にロスしたがそこは地図を購入するなどしてなんとか乗り切り、朝6時発のフェリーが出る20分ほど前になんとか神戸港へとたどり着くことができた。

フェリーの待機列に車を回していると、車両誘導のおじさんが「行き先は?」と聞いてくる。「小豆島です」。私がそう答えた途端、後部座席のKさん、Nさんの表情が凍りつくのがわかった。

神戸港から小豆島に向かうフェリーの甲板上からは瀬戸内海の美しい景色が望め、明石海峡大橋をくぐる際には私を含めた多くの観光客がシャッターを構えていたが、そんな中Kさん、Nさんの二人だけは青い顔でうつむき、所在なげに甲板の隅をよろよろとうろついていた。これから向かう小豆島は淡路島などと違い、本州や四国へ向かう橋は架かっておらず、脱出のためにはフェリーを使うしか手がない。果たして本当に帰れるのか。さすがにやりすぎなのではないか。片道3時間の船内で様々な懸念が湧き上がってきたが、今さら言っても仕方がない。もう引き返せないところにまで来ているのだ。

結果は予想外の……


小豆島に着いてからは早かった。もともと狭い島である。あまりあちこち行く必要もないということで、Nさんをマルキン記念館、Kさんをオリーブ記念館でそれぞれ降ろし、役目を終えた私は島の観光に入った。世界一狭い海峡としてギネスにも登録されている土渕海峡を通り過ぎ、オリーブ温泉に入湯して体のベタつきを洗い流す。徹夜のドライブ明けの体には誠にありがたいこのオリーブ温泉だったが、自分の心と体が楽になっていくに従い、改めて彼ら捨てられた者達のことが案じられた。彼らは温泉などに入る間もなく、脱出のことだけを考えていかねばならない。さぞかし大変だろうな。気の毒だな。露天風呂に出入りしながらそんなことばかり考えていたらあっという間に2時間ほどが経ち、私はややふやけ気味の体で脱衣場へと移動したのだがそこで事件は起こった。

なんとKさんが既に小豆島からの脱出を完了し、現在高松にいるというのである(ヒッチレース出走者は緊急連絡用に携帯電話を持つことが認められている)。Kさんをオリーブ記念館に捨てたのが午前10時、その連絡を受けたのが午後1時半頃だったので、差し引きわずか3時間半。フェリーに乗り込んだのはもっと前という計算になる。信じられない早さである。思わぬ展開に動揺しながらも私はそのまま夕方まで小豆島観光を続け、16時半発の帰りのフェリーに乗り込んだところで残るNさんに連絡したが、彼もとっくに小豆島を脱出し、高松を経由して今は徳島にいるというのだ。なんてことだ。2人とも下手をすれば私より早いペースで帰ってきているではないか。私はその後神戸港を経て、道中で夕食を食べるなどし、日付が変わる頃に寮へと戻った。Kさん、Nさんはどうなっただろう。そう思い、寮の受付掲示板でヒッチレース出走者の動向を見ると、Kさん、Nさんはすでに寮への帰還を果たしていた。結局寮に一番遅く戻ったのは金も車もあったはずの私。彼らは無一文のまま、いずれも12時間前後で小豆島から京都へと帰ってきたのだった。

後日、Kさんに話を聞く機会があった。彼によると小豆島の人たちは非常に優しかったらしい。オリーブ記念館で一人目に話しかけたおばさんは港まで送ってくれ、港では最初に話しかけた1人には断られるものの2人目で首尾よく成功。カーフェリーで高松市まで乗せていってくれたうえ、別れ際に昼食代までくれたそうである。高松から徳島への移動の際は、乗せてくれた親切なおにいさん達が実は某宗教団体の構成員であり、おかしな施設へ連れ込まれたりしたらしいが、この話はこれ以上書くと危ないのでここでは省略しよう。とにかく、彼らは拍子抜けするほどあっさりと小豆島からの帰還に成功してしまったのだった。

今回、私は重大な間違いを犯した。「島」の人達の優しさを過小評価していたのである。地図だけを見て、これはいい、おあつらえむきだなどと考えても、結局はヒッチハイク。成否は現地の人間の温かさによって大きく左右される。しかして、私の悪だくみは小豆島島民の優しさの前に叩き潰されたのだった。

もし来年、またドライバーをやることになったら、その時は不親切な人が多い土地にしよう。目つきが変で挙動不審な人間しかいない村、よそ者によってたかって意地悪する島など、今から頑張って見つけておきたいと思う。(47)

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