権赫泰 韓国・聖公会大学教授 「現代日本の 「右傾化」と 「平和主義」 について」 後編(2013.05.16)

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ソウルでの取材から早くも2カ月近くが経過した。このかんの歴史認識そして日本国憲法をめぐる激動は取材時には予想できなかったものだった。いや遅かれ早かれ時間の問題だったのかもしれない。前編でクォン氏が危惧していた「現実路線(歴史認識で日本が一定『反省謝罪』することで韓国など周辺国と『和解』するかわりに、2013年現在の『国益』を追求できる条件、自衛隊の国防軍化、集団的自衛権解禁を達成する)」は、「右側の暴走」というかたちで当面は実現不可能だろう。

9条を視野に入れた憲法改定が参院選の争点として本格的に浮上する一方で、アジア・太平洋戦争の「侵略性」に疑問が表明されたり(安倍晋三総理大臣)、「慰安婦」の存在を否定するのではなくその「必要性」が説かれたり(橋下徹大阪市長)といった歴史認識をめぐる従来以上に「右」に踏み込んだ発言が公人から連発され、韓国中国のみならず米国からも懸念が示されるなど、前編掲載時以上に「不透明感」は増す一方だ。そのような今の状況からみると、このインタビューすら「このころはまだ平和だった」とすら思われてくるから不思議なものだ。

後編では、韓国における日本研究の位置づけといった学問的な話題から、脱原発などをめぐる「新しい社会運動」について、そして(3月時点での)今後の日本の予測まで多くのトピックについて語っていただいた。(魚・穣)

権赫泰(권혁태、クォン・ヒョクテ)
高麗大学校史学科卒業後、一橋大学大学院経済学研究科にて博士号(日本経済史)を取得。山口大学経済学部教授を経て、現在聖公会大学日本学科教授。著書に『日本の不安を読む』(2010年未邦訳)など。日本語論文は「日韓関係と「連帯」の問題」『現代思想』2005年6月号(青土社)、「9条の 世界的意味を探る」『世界』2007年10月号(岩波書店)ほか。韓国紙ハンギョレ21にて「クォンヒョクテのもう一つの日本」を連載中。

>>前編を読む<<

韓国における日本学・東アジア地域論

―クォン先生は日本学の研究者であるわけですが、韓国において学術的に「日本」を研究する営みというのはどれほどの蓄積があるものなのでしょうか。

一般的にね、地域学というのは二つの傾向がある。ひとつはいわゆる帝国主義学問なんですね。つまり帝国主義国家がある地域を植民地にした場合、こいつらがやっていることがよく分からない、なぜこう行動するのかが良く分からないと。一般的な経済学などの学問では解けない問題を、その地域の枠でもって分析しようとするのがいわゆる地域学の始りなんですね。それが人類学とかから出てくる地域の特殊性であるとか。『菊と刀』(※1)とかね。

ただ、植民地にされた第三世界の国家が帝国主義だった国を地域学として捉えるというのはすごく珍しい。つまり韓国がアメリカ学とか日本学とかをやるのは珍しい現象なの。で、なぜそうなったのか。この珍しい傾向が出てきた背景の中にはいろいろあるのだけれど、これは「追っかけ追いつけ」のロジックなんです。「やっつける」というのはあまりないと思うけれども(笑)こいつら帝国主義国家を内部から研究していずれやっつけるという。「やっつけ」のロジックというのはそれ程複雑じゃないわけね。知れば知るほど最終的にはやっつけにくくなっちゃいますので。やっつけるために地域学が発達するというのは余り聞いたことがない。

ただ、日本やアメリカを勉強して、できるだけ日本が辿って来た道を韓国も、というのがあります。韓国では、日本学科、あるいは日本語学科、日文学科とよばれるかたちのものは60年代からいくつかできている。多くは無いです。人気もあまり無かった。しかも大きい大学には無かった。外国語を置いた幾つかの大学にあるだけで、日本研究というのは殆どなかった。

90年代になってからいわゆる日本語学科でもない、日文学科でもない、言葉や文学以外の地域学としての日本学科があちこちに作られるようになり、うちの大学も1996年に。その時代で面白いのが、金泳三政権が政府のスローガンとして「世界化(Segyehwa)」(※2)を掲げた。それで大学にも世界化に対応する学科を設けようという話になってきた。でも韓国の場合「首都圏人口対策」といってソウルとソウル近辺は大学の定員を増設することが出来ないと、政府が強く規制をしているんですね。基本的に大学の定員を増やすことが出来ない仕組みになっている。だからその時にちょうど政府の方針がなければ、この大学も日本学科をつくることができなかった。

90年代から日本学科、中国学科のようなものが出来て、日本学科に限って言えば僕の世代が韓国の日本研究のほぼ第一世代。日本で勉強して帰って来て、日本そのものを研究の対象にする第一世代の中で僕はちょっと年齢が5,6歳上くらい。だから、学問としての日本研究がはじまったのは、それほど古くない。

―日本社会の言論空間では、東アジア冷戦構造から戦後日本を分析したような言説は殆どありません。東アジアとの関係性という視点から戦後日本民主主義の(否定ではなく)克服を目指すようなはなしも、日高六郎(※3)さんのような例外を除いてほとんどない。韓国でそのような分析(東アジア冷戦構造の中での韓国)はあるのですか。

あなたが言ったように僕が言いたい事というのはすごく分かりやすいんですよね。つまり日本の戦後社会あるいは近代といってもいいのですけれども、これを地域的な枠組みで捉えなおす必要があると、ただそれは隣国の人と仲良くすべきだという前提で言っているわけではない。それはどうでも良いというか結果論です。そうではなくて、実際連携し合っていると。つまり日本の戦後の幸せというのは、他の地域とのかかわりで成り立つものであるということを自覚しなければいけない。これが第一点。で、それをすごく分かりやすく言うために、僕は徴兵制の話をしたりするわけ、それが独り歩きしちゃって、例えば「韓国の若い男性が兵隊に行くのは日本のためなのか」とかそういう意味ではなくてね。例えば朝鮮半島に分断あるいは徴兵制がなかったら日本の戦後民主主義はあり得なかったということ。

例えば朝鮮戦争のときの状況を見ても、それはものすごく分かるわけですよね。日本の、もちろん逆コースというのはその直前から始まっていたけれど、日本の全体の社会構造の中で朝鮮戦争の影響はすごい大きいわけです。実際日本の戦後史をみていると、朝鮮戦争特需とか限られた分野で言っているだけで、地域的な連鎖・連携という視点がものすごく弱い。それが一つ目。

もう一つすごく大事なのは、僕は最近そう思うのだけど、基本的前提として、日本がどういう社会になって欲しいのかっていうのが見えてこない。つまり、基本的に地域の中でどういう社会の仕組みをつくっていくのかという前提、ちょっと大きな構造の中で日本を位置づけるという視点がだんだん弱くなってきているというのが、最近の日本の現象だと思う。これが二つ目。

ただ、さっき言ったように、そのなかでも例外的な人が何人かいるんですよね。日高さんもそうですし、ちょっと違った観点でいえば竹内好(※4)さんも。彼は中国に対する片想いみたいなものがあるし、実際中国の話でもなければ中国を引っ張って来て日本を変えていくという思想だとおもうのだけど。それから朝鮮関係でいえば梶村秀樹(※5)さん。僕は直接教えてもらった。最近は徐京植(※6)さん、尹健次(※7)さん、中野敏男(※8)さんとかね、あるいは高橋哲哉(※9)さん、丸川哲史(※10)さん、富山一郎(※11)さんとか。それぞれ違うけれども、僕なりにいろいろと教えてもらっている。まったく同じではないけれども基本的な問題意識において共有している。

じゃあ逆に韓国社会で地域的な枠組みがあるのかというと、ない。よくね、韓国にアジア論というのがあったのかというけど、ない。朝鮮でもよいし何でもよいのだけど、朝鮮半島をアジアの中で位置付ける視点というのはすごく弱い。とくに植民地時代は何らかのかたちで地域とのつながりがあったわけですが、分断されてからはほとんどない。分断後は朝鮮半島の南の端に閉じ込められて、情報から何から全部遮断されましたから、そういう視点はすごく弱い。例えば韓国でアジア論を最初に言い出したのが誰かというのが色々あるのですが、よく知られているのが、皮肉にも安重根(※12)なんです。彼は東洋平和論というのを言っているのだけれども、彼は逆に日本と連携して西洋帝国主義をやっつける、つまり日本のアジア主義者と似たような発想をもっていて、後で裏切られたということになっちゃんだけど、彼が言っていたのは東洋平和論だったわけですよね。

植民地時代は独立運動をやっていた人たち、特に社会主義運動をやっていた人たちは、特に1930年代以降、朝鮮独立をどう成し遂げれば良いのかという問題をめぐって、中国側に行った人は殆ど中国共産党の党員になっていたし、日本列島に行った人は殆ど日本共産党の党員になりました。コミンテルンに一国一党主義がありましたので。だから日本共産党員、中国共産党員として中国革命、日本革命に奉仕しているわけです。それは日本革命が朝鮮独立の前提になるという発想なんです。で、それが1955年まで続くわけ。いわゆる六全協までですけれども。で、日本共産党は資料を全く公開しない。だから50年代に一体何があったのかということが分からない。実際朝鮮人で日本共産党員になった人は本当に多いのだけれど。在日朝鮮人も。鄭栄桓という在日朝鮮人学者、若い学者が来週本を出すんだけどね、『朝鮮独立への隘路』とかいう。彼が50年史、1945年から50年までを初めて明らかにするという。

韓国は基本的に朝鮮半島の南に閉じ込められていましたから、ほとんどそういう発想は無かったし、在日においても中国においても、いわゆる既存の左翼政党のなかに入っていましたから、その左翼政党の路線のカテゴリーの中で動かざるを得なかった。やっとねえ、地域的な視点から自分を捉えなおす視点が出て来たのはやはり民主化以降で、例えばそれ以前は発想としてどういうのがあったかというと、僕等の世代がそうなんだけれども、第三世界のひとつとしての韓国というのがありました。ただ民主化以降に出てくる地域から朝鮮半島を位置付ける発想がいいのかどうかは別問題だけれど。

―先進帝国主義国家(日米西欧)に搾取される対象としての…。

そう、民族解放戦線的なね。だから南米なりアジアアフリカに対する一般的な関心をもって、別にきめ細かい関心ではないですよ、アメリカ帝国主義下、西洋帝国主義下におかれている第三世界の民衆というレベル。そういう観点から捉える動きがすごく強かったわけです。

それは基本的に米帝を朝鮮半島から追い出し、自主的な統一を成し遂げるというのを最後の目標にしていた。で民主化されたあとを見るとね、ご存じのようにもう韓国というのは、そういう帝国主義下におかれている貧しい第三世界じゃなくなってきているわけです。80年代僕が日本に留学に行った時にはもちろん基本的に僕はそういう発想です。全然社会の仕組みが変わってきましたので。逆にね90年代以降にどういう現象が起こってくるかというと、朝鮮半島統一を考える人にとっては、朝鮮半島統一というのがナショナリズム、朝鮮ナショナリズムにつながるのではないかという懸念の声があちこちからでてくるわけ。それをなんらかのかたちで、その懸念を払しょくさせなくてはいけないということで出て来たのが、東アジア論。

だから、覇権的な地域論じゃなくて何らかのかたちで進歩的なアジア論を見直そうということで、いわゆる朝鮮半島統一が周りの地域の脅威にならない、逆に統一そのものが平和秩序の構築につながるという観点の東アジア論が、とくに民主化された政府の下で強くなってきた。それが、実際意味があるかどうかは分からない。僕も「あるべきアジア」であって、それがアジア、韓国資本主義を含めて地域的な連鎖・連携を分析した上でのアジア論なのかといえば、そうではないと思う。こういうアジアになるべきだという前提に沿ったもの。

―「将来的なビジョン」ということでしょうか。

そう、現実の問題を全部そこに当てはめて解釈しようとした。それには資本側のロジックもあったし、権力側のものもあった。で和田春樹さんとか姜尚中さんとか東アジア平和の家といったけど。そういう発想の、こうあるべきだという姿、もちろん二人の特徴はそこにアメリカを入れていることですよね、現実的といえば現実的だけれども。だから例えば70年代に僕等がすごく影響を受けたファノン(※13)とかね、そういう発想はあんまり見当たらなくなっちゃった。

―「第三世界論」という視座から見た場合、韓国資本主義自体が今や、日米欧と同じ途上国を搾取する立場になったといえるのではないでしょうか。

そう。加害者としてのね、搾取する側になったという。昔なら先進帝国主義国家に搾取される対象というイメージだったのが、現実としてあり得なくなっちゃった。そこで韓国の知識人の旗というのを、もちろん社会主義の崩壊というのも大きかったと思うのだけど、やっぱり90年代以降の韓国資本主義の成長というのが、70年代80年代の進歩的な知識人には予測できなかったという。一種の理論的破綻というのは間違いなかったと思う。今も基本的にそうですよ。だからどういうことかというと、韓国資本主義を認めたうえで何か展開すべきなのかどうかということ。統一論にしてもそうなんですよ。韓国資本主義を拡張させた上での統一論なのかどうか、そこが分かれ道なのかなあ。

あんまり最近は言われなくなっちゃいましたけれどね。とくに若い人たちに北朝鮮についてどう思うと聞いたら、多分答えははっきりしているでしょう。嫌だって多分言うんじゃない? 北朝鮮に対して。僕等の世代は違っていたわけ、「嫌」というのはあったんだけれども、北朝鮮が嫌とか好きとかそういうのじゃなくて、取りあえず南の独裁政権に対抗するための何らかの、友軍までは行かなくとも一つのファクターとして北朝鮮を見たりね。あるいは情報が余りにも遮断されていたので、北朝鮮というのはどういう社会なんだろうという好奇心の対象になったり。今は北朝鮮といえば、存在しない地域かあるいは存在しても、一部を除けばこれっぽちも魅力を感じない、という扱いでしょう。

だから地域的な連鎖の中で自分たちが歩んできた運命を説明する視点というのが殆どなかった。僕は韓国の専門家ではないので、韓国社会についてそういう分析はしませんけれども、例えば韓国の独裁政権の下で行われた様々な矛盾なんかを、どう説明すればよいか考えた場合、独裁政権の独自のbehavorとしてみるか、あるいは東アジアの反共ブロックの連鎖・連携、あるいは分業システムの中で見るべきなのか、後者の立場というのは殆どないし、仮にいまあっても分析までは至っていないと思う。

言葉は悪いんだけれども、韓国でもしあるとすれば進歩的あるいはリベラルな人の中で、日本でいえば丸山真男(※14)みたいなひとはいるわけ。そのレベルに行っているのかは別として。国内の民主主義の問題を、まずそれしか考えない。それを真っ先に優先順位を置いて周りの事を全部無視していくというような視点は韓国にも多くみられる。ただ、竹内みたいな人はいない。

―日本における「アジア主義」はあくまでも日本を西洋に対抗する「アジア」の盟主とおく考えでした。韓国における東アジア地域論で、韓国自身は東アジア地域の中でどう位置づけられるのでしょうか。

ひとつね、その問題を解決するためにすごく大事なのが、さっき言ったように例えば東アジアで生活している人たちが、国別ではなくて地域的なレベルで何らかのかたちで平和的な秩序を作らないと、一国のレベルで民主主義を成し遂げても、それは不安定であり、あるいは何らかのかたちで周りの人間に被害を与えるという問題意識がすごい大事ですよね。それがなければ、アジア的枠組みでとらえる必要が無くなっちゃう。

じゃあ韓国ではアジア論というのがそういう段階まで至っているのかといえば、僕はそこまで至っていないと思う。さっき言った90年代以降の韓国の東アジア論というのは、あくまでも朝鮮半島統一へのまわりの懸念というのを、どう払しょくさせるかというそれ一点に尽きましたから。それが良いか悪いかというのではないです。とりあえずそういう構図から出て来た。なので果してね、そのすごく難しい問題なんだ。例えば自分の日常生活の事を考えるときに、自分が属しているある集団、それは国家であり民族であり何でもいいのだけれど、それを考えずにあるいは考えつつも、その隣りにある共同体との関係で自分を位置づけることが出来るかどうか、あるいは考えてできたとしても、足りない問題をあるいは不安定な問題を解決するために、自分が属している共同体の政治的仕組みを変えるべきなのか、あるいは隣り合う共同体との連携を何かやるべきなのか。これはね、頭で理屈で言うのは簡単なのだけれど難しいんだよね、実際。

昔、東アジア反日武装戦線(※15)なんかの失敗というのは、それだと思う。だから

―ひとりよがりだったと。

うん、問題意識としては鮮烈で分かりやすじゃない。最初見たときにああ、すごいなと思った。結局ああいうのが何の解決にもならないという。ちょっと悪くいえばアリバイ闘争みたいになっちゃった。彼女彼らにしてみればすごい真剣だったと思うんだけれども、結果的にねえ…。

共同体主義に走る反原発運動

―日本国内では震災・原発事故という全社会的な危機があった。その後、反原発運動を中心に社会運動が盛り上がってもいる。しかしそれが新しいかたちでの国家主義、たんなる戦後日本社会礼賛になる危険性も極めて一部からではあるが指摘されています(※16)。ここで指摘されている日本左派の「変質」について韓国では知られているのでしょうか。

知られていない。僕が言っているだけ。

―そうなんですか(笑)

この前講演会をやった時も同じことを言ったのだけれど、つまり日本の反原発運動を過大評価するなというのが、その講演会でのテーマだったのだけれどもね。(僕は)どこに行ってもひとりですよ。だから京都大学新聞社から連絡が来たときにビックリしました。

韓国でももちろん原発問題以外にも歴史問題などありますけどね、韓国ではこういう感じです。韓国でも原発なくさなきゃいけないじゃないですか。20基以上あるんですよね、日本は50基以上だけれど。で、なくすためにどうしたらいいのかと、でも関心がない。こういった場合、分かりやすいのは先進国で原発をなくしているという情報がすごく大事なの。

―ドイツですとか…。

そう。で、隣りでは日本がなくしている、なくしつつあると(笑)。実際はそうじゃなくて、そういう情報が欲しいわけ。だから、韓国の反原発運動やっている連中は、日本で起こっている情報を、僕に言わせればすごくウソついている。

―特定の側面だけを…。

ええ。それが気に入らなくて、「違うよ」というのを書いているのだけど、そうすると「あなたは原発賛成なんですか」ということになっちゃうわけ。そういう意味じゃないのに。でどういうことかというと、原発、3・11の問題は3つの視点があるとよく言っています。ひとつは日本の問題。ひとつは科学面の問題、もう一つは地域的な問題。いわゆる反原発をやっている人は科学的な問題や地域的な問題でもって、日本の問題とはみようとしない。日本も原発なくしているんで韓国もそうしましょうと。そういう方向が日本で決まっているように言うわけ。10万人集まったと。それで柄谷行人というなぜか韓国で大人気なんだけど、彼がデモの現場に行った。日本は10万人もデモンストレーションに集まったのだから、すぐに原発が無くなるだろうと。ウソばっかり言っている。

―全然ちがいますね。

僕が繰り返し言っているのは、3・11以降に多くの地方選挙があった。そこで反原発を訴えた候補が当選したためしがない、全部落ちちゃった。原発を支持するものだけが当選した。これをどう捉えるか。10万人集まってもしょうがないんじゃないか。だからどっちをみるかということ、それが一つ。つまり逆に世論調査をみていると、原発反対の世論がたくさんいるにもかかわらず選挙になるとぼろ負け。これを何らかのかたちで分析することがすごい大事だと思う。

もうひとつ別の問題であるのは、原発問題、核問題というのは複雑で、広島・長崎・ビキニ・福島といった場合、4回も起きましたから、被爆者にはあまりないんだけれど、おかしいことに日本社会では「被害者としての選民意識」というのがあるわけ。世界で唯一日本が持っている平和を主体とした日本国民。良く考えてみると広島平和公園も長崎平和公園もそうなのだけれど、空襲を受けた他の地域、沢山ありますよね、に比べてなぜ広島長崎に沢山お金をつぎ込んだのか。そうすると、原爆被害と空襲被害が違うということを説明しなくちゃなんない。特別にお金沢山もらわなきゃならないのだから。それで広島は原爆死と空襲死を区別する視点をもちだすわけ。そうすると、一般の爆弾と原爆は違うことが強調される。

常に原爆と一般の戦争被害を区別することによって広島長崎の歴史的伝承が可能になって来たわけ。それは都合のいいことに、それによって戦争が終わっちゃった。そうすると1945年8月6日以前と6日の出来事を切り離すことが出来る。また違う、第二次世界大戦と広島が違う視点でとらえられる。もちろん広島・長崎への原爆投下が戦争を早期に集結させるためだったとするアメリカの言い分はうそで来る冷戦への布石だと思いますが。

最近反原発デモを見ていて感じるのは、それはそれとして良いのだけど、右の人も大分入っているじゃないですか。西部邁なんかもいるし。つまりあらゆるこれまでの争点の上に、反原発が乗っかっているという。そうすると、百歩譲って反原発に成功してもね、全ての政治的争点というのは解決しないわけですよ。

デモする社会になって反原発成し遂げても、歴史的な問題、憲法問題それはどこに行くか分からなくなっちゃう。しかもエネルギーが全部そこに吸収されちゃいますので。それで僕は常に、反原発が今の観点で捉えるならば、当然そこには朝鮮高校無償化の問題なりね、そういうのも全部含めてやらなきゃなんないんだって。そこに「変な奴等」が入ってくるのなら排除しなければならないんだって言っているわけ。なんか反原発主義一本(※17)でやっていくとこれはどうなるか怖い。

―今のお話をお聞きして、反原発のみならず「在特会」に反対する社会運動での「左右連帯」を想起しました。この場合も、在特会が主張しているような根本の問題は解決しないどころか温存されてしまう。

ショックだったよ。日の丸が出てきたりねえ。

それで反原発を勝ち取ったらまだ「マシ」なんだけれども。

そういう感じはありますね。しかもね、原発運動というのは、基本的にエコロジーですから一歩間違っちゃうと、生態主義、天皇主義とくっつく可能性がすごく高いね。ロジックとして。そもそも気をつけなくてはいけない。つまり「天皇様から譲り受けたこれだけ綺麗な国土を、西洋白人どもが持ってきた原発によって汚れちゃたまんない」という、実際そういう内容がありますから。しかも日本人共同主義みたいになっちゃて…。

見ていてね、まあ原発無くなってくれればいいのだけれど、ただ見ていて良いのかな?という心配。であらゆる政治的争点は全部どっか吹っ飛んじゃって。

右傾化の防波堤は海外だけ?

―日本社会は今後どう変化していくと考えていますか。

日本の民主党に政権交代したときには、韓国の新聞に頼まれて「民主党は自民党と変わらない。余り期待するな」ということを書いたらボツになったの。結果的にそうなったのだから僕の予測通り。だから、いま日本がどうなるかというのは、一つ大きな枠で予測するんだったら、一言で尽きると思う。「政党体制流動化」つまり当分の間ずっとこういう離合集散みたいな感じの傾向が強くなるんじゃないかな。それがひとつ。ただ、どこの政党が政権を握っても基本的な流れは変わらないだろうという。

つまり言って見れば右傾化の流れというのは変わらないだろうと。

ただね、ひとつ憲法改正までもっていくのかなということに関しては僕はちょっと疑問。つまり、明文改正というのは意味がない。すごく無理しなくちゃいけないんですよね。政治的にいえば。そうすると、明文改正じゃなくてもいろんな方法がありますから、既にもうやりたいことは全部やっているんじゃない。もし法的根拠がないなら自衛隊ごと、最近出て来た日本版安全保障基本法(※18)みたいに法律でもって補うとかね。ただ憲法改正のための基本的な手続きの法律を定めるとか、そういうのはあると思うんだけど、一気にね、公明党との関係も考えると明文改憲までもっていくのかなと。僕が権力者だったらそこまでやらなくても、もうやりたいことは出来るのだから、誤魔化しがきくのだからなあと。

明文改憲までもっていくと、政党レベルだけではなくて国民投票もあるので国民的な抵抗というのが間違いなく出てくる。相当コストかかりますし、結果は分からない。そうすると、そこまでやる必要あるのかな。

―今日のお話でもすでに触れられているとおり、日本では昨年12月に民主党から自民党に政権が戻り、そこで岸信介を祖父に持つ安倍晋三氏が首相に返り咲きました。他方で韓国でも大統領選の結果、朴正煕(ぱく・ちょんひ)を父に持つ朴槿恵(ぱく・くね)政権が誕生しました。日韓関係はかつての「反共」のかけ声の下保守政権同士が癒着した時代に戻ったかのような感があるいっぽうで、韓国社会の意識は民主化を経て大きく変わっている。朴槿恵政権下で韓国はどのような対日政策をとられると思われますか。

日本も韓国も似たような状況があると思う。つまり、朴槿恵も安倍も領土問題、歴史問題をめぐってはお互い刺激しない方が良いわけ。ただ、朴槿恵政権は刺激しなくてもいいような政治的な条件にあります。なぜかというと5年安泰だから。独島問題を日本が刺激しなければ別に何も言わなくてもいいわけです。歴史認識問題もそう。ただ安倍は言わない方が良いと分かってはいるわけです。でも7月に選挙がありますし、これまで勇ましい格好をしてきたので、何らかのかたちで言わざるを得ない。ただ言ったときに、朴槿恵政権なり中国がどう反応するかがすごく大事なんですよね。ただこれが生ぬるいと、安倍がどうするかに関係なく右派が何らかの動きに出てくる(※19)と思う。多分韓国との関係では島根県の海辺で独島竹島に上陸船を出そうと祭りみたいに大騒ぎするとか。

お互いの物理的な対立がどんどん大きくなると、中間派も結集して選挙でも勝ちやすくなるだろうしね。ただ、そうすると憲法改正にあたっての韓国側の協力というのが得られないわけ。つまりその段階は、いわゆる明文改正しなくてもいいような状況。だから、お互い基本的に領土、歴史認識問題は触れないことにしていると思う。できるだけ。ただ韓国側はこれまで盧武鉉(の・むひょん)からずっと見ているといつも出来るだけ触れないようにしている。なぜかというと、言ったところで意味がないのだから。ただ日本側は何か言う。言うと反応せざるを得ない。これでいつもこじれてきちゃったので、今回もね、朴槿恵は絶対言わないと思う。ただ安倍がねえ。7月選挙でしょう、安倍が直接言わなくても何かやるだろうね。

―今日のインタビューを通して、日本社会内部においては思想の「左右」が溶け合い反戦や反差別についての実質的な対立軸が失われている、そして実質的に韓国なり中国が日本の政権に対する野党勢力の役割を果たしているように感じました。

だから、国内の政党なりがしっかりやってくれないと、攻撃の対象が全部韓国・中国人になっちゃうわけ。日本の左翼政党がだらしないんで全部が日本人と韓国・中国人の人種対立みたいになっちゃうわけ。変な構図ですよ。だからいつも北朝鮮と関係を正常化しようということを日本の学者が言うと、すぐに「あいつは朝鮮人だ」ということになっちゃうわけね。

昔、田中均に対する攻撃もそうだったし、だからなんか「和解平和」をいうと、全部朝鮮・中国人になっちゃう。この変な構図をどうするのか。なんかそれが20年前の日本社会で考えるとあり得ない。「平和と民主主義」のもとでつくられた戦後日本社会の資産はどこにあるのか。最近ね、僕は日本に対する視点がこれまでずっと批判的だったんだけれど、それでも最近見ていると、僕の予想以上に速くダメになってきたんで、悲しいですよ、本当に。怖いし。軍事化、民主主義の後退、生活水準の低下、日本で生活している人が不幸になることじゃないですか、結局。韓国も似たような状況になりつつあるけれど。

―今日は長時間の、しかも外国語によるインタビューに応じてくださり、どうもありがとうございました。

脚注

(※1)アメリカの人類学者ルース・ベネディクトの主著。原著は1946年に刊行され、48年に日本語訳が出版された。第二次世界大戦下で日本の敗北およびその後の占領をみこしたアメリカ政府から嘱託された研究がもとになっている。日本文化を内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した。

(※2)1994年に金泳三(きむよんさむ)大統領(当時)が提唱した韓国版グローバリゼーション。OECD(経済協力開発機構)への加盟(96年実現)をめざして、社会構造の改革および国際市場へのより積極的な進出がめざされた。その一環として主要大学に国際関係大学院が設立されたほか、中等教育での英語教育拡充がなされた。

(※3)1917―。社会学者、評論家。戦後、東京大学新聞研究所教授。69年学内への機動隊導入に抗議し同辞職。76~89年京都精華短期大学教授。社会学、マスコミ論のほか、平和、教育等の諸問題について、社会運動にも深く関わりながら発言を続ける。『戦後思想を考える』にて、日本の60年安保反対運動と、韓国の4月革命を比較考察した。

(※4)1910―77。中国文学者、評論家。西洋の支配に対する東洋的な抵抗の有りようを魯迅と中国人民に見いだし、それと対比するかたちで自己保持と抵抗の欠如した「日本の文化」を批判した。『方法としてのアジア』(1961年)では「西洋をもう一度東洋によって包み直し、逆に西洋自身をこちらから変革する」ことを主張した。

(※5)1935-1989。朝鮮史学者。神奈川大教授をつとめる。朝鮮半島の近現代史研究をするかたわら、在日朝鮮・韓国人への差別問題や、外国人指紋押捺制度への反対運動にも積極的に取り組んだ。著書に『朝鮮における資本主義の形成と展開』竜渓書舎(1985年)、『朝鮮史―その発展』講談社(1977年)など。

(※6)1951-。作家、文学者。ディアスポラ(離散民、難民)をめぐる諸問題に積極的な発言を続ける。著書に『半難民の位置から―戦後責任論争と在日朝鮮人』影書房(2002年)、『在日朝鮮人ってどんなひと?』平凡社(2012年)など。

(※7)1944-。近代日朝関係史、思想史学者。神奈川大学教授。著書に『異質との共存―戦後日本の教育・思想・民族論』岩波書店(1987年)、『「在日」を生きるとは』岩波書店(1992年)など。

(※8)1950-。社会学者。東京外国語大学教授。「日本の総力戦体制と植民地主義そしてその後」という問題関心から、戦中から戦後にかけての民衆と知識人の思想と行動について研究している。単著に『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任』青土社(2001年)。編著に『継続する植民地主義―ジェンダー/民族/人種/階級』岩波書店(2002年)など。

(※9)1956―。哲学者。東京大学教授。ジャック・デリダと脱構築を中心とする現代思想・哲学や、戦争やジェノサイドに関する歴史と記憶、責任などに関する表象と言説の政治について研究している。著書に『戦後責任論』講談社(1999年)、『歴史/修正主義(思考のフロンティア)』岩波書店(2001年)、『靖国問題』筑摩書房(2005年)など。

(※10)1963-。歴史学者。明治大学教授。東アジアにおけるナショナリズムと知識人をテーマに、台湾を中心として多くの論考を発表している。著書に『台湾ナショナリズム』講談社(2010年)、『台湾、ポストコロニアルの身体』青土社(2000年)、『リージョナリズム(思考のフロンティア)』岩波書店(2003年)など。

(※11)1957-。同志社大学教授。沖縄近現代史研究。著書に『戦場の記憶』日本経済評論社(1995年)、『暴力の予感』岩波書店(2002年)など。

(※12)1879-1910。民族主義者、独立運動家。1909年10月26日に枢密院議長だった伊藤博文をハルビン駅のホームにて暗殺。日本の司法当局に引き渡されたのち死刑判決を受け、翌年3月26日に旅順で処刑された。「東洋平和論」は処刑をまつ獄中で執筆された随筆。

(※13)1925-1961。作家、精神科医。フランス植民地の西インド諸島マルティニークに生まれる。医師として赴任したアルジェリアで、独立闘争に遭遇。アルジェリア民族解放戦線(FLN)に加わり同戦線のスポークスマンとして活躍。白血病で死去。人間を分断し疎外する植民地主義を徹底的に批判し、そうした状況を破棄するための暴力革命による民族解放を論じた。著書に『黒い皮膚・白い仮面』、『地に呪われたる者』など。

(※14)1914-96。政治学・政治思想史学者。東京大学教授を務める。戦中期から日本政治思想史という学問領域を創始し、戦後には政治と倫理を連続させた決断主義なき無責任の体系としての「超国家主義」の分析を通じて日本における政治学・政治理論の基礎を築いた。講和問題や改憲議論、60年安保反対運動では、市民としての立場からの政治参加を唱え戦後民主主義のオピニオン・リーダーとしての役割を果たした。著書に『現代政治の思想と行動』未来社(1956-57)、『日本政治思想史研究』東京大学出版会(1952)、『日本の思想』岩波書店(1961)、など。

(※15)「反日」を掲げて1970年代に相次いで爆破事件を起こしたグループ。戦前―戦後一貫してアジアへの侵略を行ってきた日本帝国主義の打倒を目指し反日をその思想軸とした。1974年8月14日に昭和天皇が乗車した「お召し列車」の爆破を計画するも失敗。同月30日に三菱重工業東京本社ビルを爆破した(8名死亡、376人負傷)。その後翌75年5月までアジア侵略に加担しているとみなした企業にたいし相次いで爆破事件を起こした。

(※16)(※17)2011年3月12日の福島原発事故を機に、日本社会では脱原発を政府・電力会社に求める社会運動が活発化した。昨年3月から毎週金曜日の夜に首相官邸前で行われている抗議行動(官邸前デモ)は、政府が全ての原発が稼働停止している状況を打破するべく大飯原発の再稼働方針を表明した6月以降参加者が急増。ピーク時の6月29日には約20万人(主催者発表)が路上を埋め尽くした。

官邸前デモが典型的な例だが、福島事故後の脱原発デモでは、「みんなが参加しやすいように」との理由から、労働組合や市民運動の団体旗持ち込み禁止、「脱原発以外の事柄」についてのアピール禁止、脱原発で一致するなら「統一義勇軍」など右翼団体も受け入れるといった「シングルイシュー主義」が徹底される傾向があった。小熊英二や五野井郁夫ら多くの識者がそうした「普通の人たちによる新しい社会運動」を肯定的にとらえる一方で、一部の参加者からは異議も上がった。また官邸前デモでは「日の丸」のみ持ち込みが容認されたことも一部で議論となった。「日の丸のみ容認」の理由について主催団体の首都圏反原発連合は、「日の丸は「特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり 、プラカード等」とみなしていない」と表明している。

この間の脱原発運動に関する疑問を提起した文章としては、太田昌国「「日本人の統一」を呼号するのではなく「論争ある分岐を」」『反天皇制運動 カーニバル』1号(通巻344号、2013年4月16日発行)(ウェブで観覧可能、URLは下記)、目取真俊・辛淑玉対談「在日・沖縄から見た原発事故とオスプレイ配備」『労働情報』847号(2012年9月15日号)がある。

太田昌国「「日本人の統一」を呼号するのではなく「論争ある分岐を」」 URL:http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?p=343

(※18)自民党は昨年7月6日の党国防部会で集団的自衛権の行使を可能にする「国家安全保障基本法」の成立を目指すことを決定した。同法案ではほかに、国の平和と安全を確保する上で必要なことがらを「秘密保護」することなどが定められている。また同法案と連動するかたちで、外交問題や、国防・安全保障政策の審議や立案、武力行使の是非決定などをおこなう「国家安全保障会議」を設置する構想も進められている。

(※19)麻生太郎副総理など閣僚数名が4月21日、翌22日の例大祭にあわせて靖国神社に参拝した。安倍首相は同日供え物を奉納した。また23日には超党派「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属の国会議員168名が参拝した。同日安倍首相は国会でいわゆる「村山談話」(前編の脚注参照)にかんして「侵略の定義は国際的にも定まっていない。その人や国の立場により違う」と述べた。さらに24日には議員や閣僚の靖国参拝へ中国韓国から批判が寄せられていることについて「脅しには屈しない」と強弁した。サンフランシスコ講和条約の発効日である28日には「主権回復の日」を祝う式典を天皇も招いて初めて挙行。「参加者が偶然始めた」タイミングに合わせて「天皇陛下万歳」を唱えた。韓国は外相の訪日をキャンセルしたほか、外交部は日本大使を呼び出して譴責。5月に予定されていた日中韓首脳会談も白紙となった。これら一連の事態には中韓のみならず 米国政府も近隣諸国を刺激しないよう自制を促すなど懸念を表明している。

また安倍首相は7月の参議院選挙で憲法の改正要件を定めた96条の改定を焦点にすることを明らかにしている。憲法改定にさいして国会議員の3分の2の賛成が発議に必要な現行の制度を改め過半数の賛成で発議が可能なようにし、次の段階つまり9条など他の条項を改定するハードルを下げることが意図されている。

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