書評 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)(2013.05.16)

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私たちは誰もが何らかの共同体に属している。生活を成り立たせる上でそれは当然のことであり、誰もが自分の居場所で、自分の役割を果たし、充実した生活を送りたいと願う。しかし現在において、それは必ずしも誰しもが達成できるものでは無くなった。私たちが生きる現代とは、誰もが思いがけない瞬間に爪弾きにされる可能性のある時代なのだ。

村上春樹は今作の中で、共同体から弾かれた者、弾いた者の心理を描き出す。デリケートな人間関係を細部にわたって描き出し、当事者の心理を泥々とした生々しい描写で私たちに訴える。この作品の世界観は私たちが生きる現代と酷似したものであり、それ故に今誰もが抱える問題を、本作は提示していると言えるだろう。

主人公、多崎つくるは自らが属した共同体の中で自分だけが「色彩を持たない」存在であることに疎外感を抱く。そしてこれといって自分自身の特徴を持たない、「色彩を持たない」彼は、「色彩を持つ」仲間たちによって居場所を奪われる。何の前触れもなく、唐突に。「彼はそれまで長く親密に交際していた四人の友人たちからある日、我々はみんなもうお前とは顔を合わせたくないし、口をききたくもないと告げられた。きっぱりと、妥協の余地もなく唐突に―」多崎つくるが感じた絶望、嫉妬、真実、虚構、死。あらゆるものを、ただそこに存在したものとして描く。「つくるは死の胃袋に落ち、暗く淀んだ空洞の中で日付を持たぬ日々を送ったのだ―」

しかしこの作品は、現代の共同体が持つ問題の解決策を私達に提示しているわけではない。描き出されているのはあくまで登場する人物から見る世界と、人物の感情だ。解決法でも、社会へのクレームでもない。生きるために私たちがどうすべきか、決定的な答えは与えられていない。

この作品は読者にそれを委ねている。私たちが社会の共同体の中でどのように生きるか。矛盾を孕んだ世界とどう対峙していくか。そして、多崎つくるが感じたような絶望や死を、私たちがどのように乗り越えていくのか。全ては私たち自身が考えるものだと言う。

同様に作中で多崎つくるも考えを巡らせる。過去の自分、今の自分とは何か、自分にとって大切なものは何か、真実とは何か、自分の胸に巣食う泥々としたモノを取り除くためには何をすべきなのか。悩み抜いた末に彼は「巡礼」へと旅立つ。「それをなくすくらいなら、まだ自分自身を失ってしまった方がいい―」多崎つくるは何らかの答えに辿り着いたように見えた。

感情の交錯から生まれる多くの不条理に溢れた現代。そんな時代において、人はあくまで孤独な存在であり、その状況を打破するために常に試行錯誤して生きる他はない。多崎つくるが、そうせざるを得なかったように。(草)

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