〈緊急特集〉学生集会所、建替え計画進む 一部関係者のみで協議が進行 ~寄稿編~(2013.05.16)

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〈教員寄稿〉 “当事者”のみの密室計画~人間・環境学研究科 阪上雅昭~


京大の学生教職員でどれくらいの方々が吉田南キャンパスの南端にある学生集会所をご存じだろうか.吉田グラウンドの横を通り吉田南キャンパスを南に下ると吉田寮北側の小径に至る.ここで風景が激変する.空間のデザインについての思想が全く感じられない無味乾燥なキャンパスから,木立が茂る少しアヤシイ空間への変化は心地よい.吉田寮の脇をしばらく歩くと通称“焼け跡”とよばれる空き地に出て視界が開ける.この焼け跡の南にあるのが1911年竣工の学生集会所である.

現状はボロボロではあるが,なかなか素敵な建物である.特に,玄関ホールそしてそこから2階へと続く階段の造形は息を飲む素晴らしさで,是非とも補修して残したいと思わされる.集会所の東には1913年にこの地に移築された吉田寮,そして南東には1925年に同窓会館として建設された楽友会館があり,集会所付近は三校以来の黎明期の京大の歴史を体現している.専門家によれば,これらの建築は14年ほどの時間差しかないが,19世紀的な吉田寮,世紀末造形の影響を見せる学生集会所,表現主義的な楽友会館と20世紀の建築造形の転換を示し,建築史的にも貴重な建物群だそうである.その学生集会所が建て替えられようとしている.しかもこれだけ歴史的価値のある建物を取り壊すにも拘わらず限られた“当事者”のみで密室的に計画が進められている.学生集会所の補修保全の活動に多少なりとも関わったものとして,その価値を損ないしかも経緯が不透明な立て替え計画に異議を唱えさせて頂きたい.

竣工当時の菊池総長の集会所開場を祝う演説によれば,さまざまな専門の学生,教員が知的交流を行い刺激しあうことを目的として建てられている.ところが現状は,京大オケ,合唱団など7つほどの学生団体が使用するいわゆるサークル棟になっている.もちろん学内のスペースは限られているのでサークル棟として使用されていることは致し方のないことかもしれない.しかし,サークル棟であるが故に,建て替え計画がサークルを担当する学務部と集会所サークルだけで密室的に進められてきたことは看過できない.この話をすると多くの人は,当事者であるサークルが決めたことを尊重すればいいのだと,私を諭してくれる.しかしサークル棟の問題と限定しても,疑念が残る.立て替え後は,落語研究会そして能楽研究会が新たに加わるとされているが,それ以外のサークルは集会所立て替えの交渉から除外されているのだ.特に,西部構内に建設が計画されている音出し棟と完全に切り離して議論されている点は釈然としない.元来は,私たち京大関係者すべてに開かれた場所であった集会所が長い歴史の中で何らかの理由でサークル棟になってしまった.百歩譲ってその現状は致し方ないとしても,この価値のある建物の運命を,学務部と“集会所サークル”だけで決めていいのだろうか.京都大学新聞の記者に現在検討されている図面を見せてもらったが,当然のことながら各サークルにBOXとしてスペースが割り振られ,外部に開かれる可能性のある空間など存在しない.にもかかわらず新しい建物の名前は“新集会所”となるそうである.

集会所について学務部は頑なに建て替えを推し進めようとしてきたと,いろいろな方面から聞いている.耐震,防火あるいは管理の容易さなどがその理由かもしれない.しかしその背後には,吉田寮を含むこの周辺を扱いやすい無害な空間として再開発したいという学務部ひいては大学当局の意志が働いていると推測させられる.集会所建て替えはその手始めと思われる.その意志と,安定した活動のための充分なスペースを求める集会所サークルの利害が一致し“当事者”だけで計画が進められようとしているのである.

興味をもたれた方は是非集会所・吉田寮周辺に足を運んでいただきたい.すると3つの歴史的建築の中で,楽友会館だけが補修されていることに気づくだろう.その楽友会館の裏(北側)の駐車場に出るとそこからは学生集会所と吉田寮を見ることができる.しかし,金網のフェンスが巡らされ通り向けることはできない.まるでベルリンの壁のような光景には慄然とさせられる.もちろんどちらが西側かは明らかだろう.ベルリンの壁は自由な世界への経路を遮断するために東ドイツ政府によって建設された.このフェンスを建てた当局は何を遮断したかったのだろうか.そして新集会所が建てられたときそのフェンスは新集会所と吉田寮の間に巡らされるのだろうか.

京都大学は自由の学風を誇りとすると言われる.しかしその自由が形骸化した現在,辛うじてそれを具現している存在は今や集会所・吉田寮周辺と西部講堂しかないと感じている.そのひとつの自由と歴史がまさにいま危機に瀕しているのである.

〈寄稿〉 学生集会所の文化的価値について~七灯社建築研究所 山根芳洋~


学生集会所は京都大学学生寄宿舎吉田寮構内に位置し、1911年(明治44年1月20日)に竣工した建物で、2013年4月の今では建設後102年を越えている。また、この建物は1913年(大正2年)竣工の吉田寮舎・1889年(明治22年)竣工で1911年(大正2年)移築の吉田寮食堂・1925年(大正14年)竣工で国の登録有形文化財である楽友会館と同一構内の建築群として歴史的景観を一体となって形成している。

学生集会所の設計者は、西日本の文部省直轄学校施設の全般工事を取り仕切っていた山本治兵衛の監督により設計されている。重要文化財の奈良女子大学旧本館も山本治兵衛の作品であり学生集会所と建築的手法が共通するハーフティンバー様式(木造建築物の柱・梁・筋交などの木の部分を装飾的に外装へ配して意匠構成した建築スタイルとそれを模した建物)である。

また、この施設の目的は、後の胎動的な大正デモクラシーの社会心理的影響が作用した目的内容で、江戸・明治と続く封建的体質の中に於いての価値観によらない、学校の質の部分(人と文化と学術と社会)の充実のための「自主的または能動性からの”芽生え”による文化形成の可能性を目的としている」施設である。現代の”文化ホール・市民ホール”に近い用途で、その初期の公共的建物であろう。その目的と時の空気感は建物の意匠にも影響しており、ゼツェシオン(過去の芸術様式から分離して、生活や機能と結びついた新しい造形芸術の創造をめざしたデザイン形態)的意匠を採用して形成した建物となっている。

学生の文化運動の中心として、文化系の親睦団体であった以文会による茶話会や講演会の会場として盛んに利用された。京大交響楽団は1917年(大正6年)に集会所で発足し練習場所として利用をはじめている。1931年(昭和6年)9月26日に観世会(能楽部)が片山博通師の指導で発足し、同年に京都帝国大学男声合唱団が発足など、開かれた場所として活発に利用された。

そのような、学生集会所および京都大学学生寄宿舎吉田寮構内は、現代建築物の介入がない歴史的・文化的環境が“生きたかたち”で存在し、現在では稀有となる場所・地域・環境・文化・景観を残している。これらの建物はひとたび壊してしまうと現在の法律の下では再建をすることが不可能であり、学生集会所のように現存する明治時代の建物は数が減り貴重な文化財資源となっているのが日本の現状である。京都市は“学生のまち”“大学のまち”などと表現をすることがあるが、その象徴のように京都大学学生寄宿舎吉田寮構内は明治・大正・昭和・そして平成の現在までの歴史と文化と建物および銀杏並木を含む自然環境を内包して残っている。

建物の文化的価値を考察するとき、国の登録文化財になるための資格に照らして検討することで理解の助けになると思われる。その資格とは、原則として建設後50年を経過し、かつ、次の各号の一に該当するもの(1)国土の歴史的景観に寄与しているもの(2)造形の規範となっているもの(3)再現することが容易でないもの、などである。また、重要文化財の指定基準は、建築物、土木構造物及びその他の工作物のうち、次の各号の一に該当し、かつ、各時代又は類型の典型となるもの(1) 意匠的に優秀なもの(2) 技術的に優秀なもの(3) 歴史的価値の高いもの(4)学術的価値の高いもの(5) 流派的又は地方的特色において顕著なもの、などである。国宝は「重要文化財のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの」となる。

学生集会所および京都大学学生寄宿舎吉田寮構内の建築群は国の登録文化財になるための資格(1)(2)(3)及び経年築年数は十分にあり、「建物の文化的価値」は高く、“文化財”であると言えよう。

日本の最高学府としての大学は文化財保護の“手本”となり、率先して国民に示さなければならないと思われるが、今のところその義務は怠っているようである。京都大学はユネスコとインターンシップ協定を締結している機関である。万が一、文化財である学生集会所および京都大学学生寄宿舎吉田寮構内の建築群が大学当局により破壊されるようなことがあれば、最高学府としての権威と信頼は失われ、“文化財に関する学問を語る資格”は失われることになるであろうし、また、京都大学内には著名な建築関係者・文化財関係者など多数が在籍しているが、当事者として、目をつぶり「知らなかった・忙しかった・周知のためのアピールがたりなかったのではないか」などと言い逃れる事が出来る状況ではなくなるであろう。最高学府としての倫理・義務・信用・正義・文化のレベルが地に落ちる危機が発生するのではないか。

大学はその権威を象徴した部分のみを大切にするだけではなく、そろそろ、学生とその歴史によって象徴される部分も大切にしてよいのではないだろうか。

平成17年度「京都大学総長裁量経費」による西沢英和・宮本慎宏・石田潤一郎各氏の調査・研究報告である「京都大学学生寄宿舎吉田寮について」(2006年9月 日本建築学会大会学術講演梗概集)の中で「吉田寮周辺は学生集会所や楽友会館など、戦前の建物が多く残っており、当時の学生施設地区の面影を残している。(中略)吉田寮を含む学生施設群が登録文化財に指定され(楽友会館は既に登録文化財に指定されている)、今後も保存活用されていけるかが重要な課題である」と述べている。この建築分野における学術専門家の方々の「京都大学総長裁量経費」による報告を京都大学の経営執行部の方々は知らないわけにはいかないであろう。

京都大学百年史【総説編】[第1編:総説]第8章 京都大学キャンパスと建築の百年 第5項 歴史と未来をはらむ現在 ―おわりに p・913より“「京都大学キャンパスの美しさは、樹木の緑と歴史の息吹を感じさせる建築群や重厚で格調の高い建築群によることは誰しも認めるところである」とか、「美しい京都大学キャンパスを創り出して地域社会に貢献してきた」とはとうてい記せない状況ではなかろうか。せめて『京都大学120年史』には、「京都大学のキャンパスの美しさは、周囲の山並みとキャンパスの緑とともに、地域社会地に育まれた100年の豊かな伝統がつくる多彩な建築群によることは誰しも認めるところだろう」と、誇りと自信をもって書きとどめたいものである”(京都大学百年史編集委員1998年6月18日発行)と記されている。

2012年11月6日に京都大学はユネスコとのインターンシップ協定を締結し、その締結式での講演でユネスコのイリーナ・ボコバ事務局長は、『「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、 人の心の中に平和の砦を築かなければならない」というユネスコ憲章の理念について触れ、「文化遺産と文化的多様性は、人々のアイデンティティーと結束の源であり、イノベーションと創造の源泉です」、「文化遺産とは単なる石ではなく、生きています。そして、地域コミュニティーの生活とつながってこそ意味を持ちます」と熱く語られました。そして、これから文化遺産を守り活用していくために、若い世代への教育が重要であることと、そのためのユネスコの活動について説明され、若い世代への期待を表明されていました(京都大学ホムページより)。』

学生集会所の隣にある近衛館にてユネスコ事務局長イリーナ・ボコバ氏の講演会「京都とユネスコ-学びと文化遺産のパートナーシップ」の準備室が設けられていたが・・・滑稽なことにならなければと願う。

ユネスコ・文部科学省・外務省の関係者が、京都大学に文化財保護および指導に関する資質があるのかを再検討する必要に迫られることにならなければよいのだが・・・。

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