文化

モラトリアムのすゝめ

2013.02.16

浪人編

素晴らしき哉、浪人生!

この記事を読んでくれている受験生の諸君を速やかに浪人生活へと誘うためには、どのような言葉がより適切だろうか。「落ちろ」?「浪人しろ」?……これは良くない。人間は生来あまのじゃくな所があるから、こんなストレートな言葉を吐きかけられたらかえっておかしな負けん気が起こり、最悪の場合、合格などということにもなりかねない。「北風と太陽」ではないが、ここは浪人生活の素晴らしさについてとつとつと語り、読者の自然な心境の変化に期待するのがよかろう。

よし。ではイメージしてほしい。君は京都大学に不合格となり、浪人することになった。予備校は……そうだ、新宿にある某校にしよう。もし君が地方の出身ならば、近くに予備校の寮かアパートを借り、そこから通うことになる。気ままな一人暮らしだ。

さて予備校も決まり、晴れて浪人生となった君だが、最初の4月、5月、6月あたりは勉強などしなくてよいだろう。京大に受かったが最後、味わえなくなる貴重な東京での暮らしだ。まずは毎日の生活を楽しまねばならない。予備校の授業も一応あるにはあるが、そんなに気負って臨むものでもない。とりあえず平日朝はあまりせかせかせず、ゲームセンターが開く10時頃に新宿に着くようにしよう。改札を出て東口の階段を昇ったら、まずは歌舞伎町交差点前のタイトーステーションあたりでぼさっと時間をつぶすのがおすすめだ。この店では「クイズマジックアカデミー」が10時から正午までは100円で2プレイサービスなので、金がないときは非常にありがたい。

昼になったらそこらで適当に腹ごしらえした後、都営新宿線で神保町に出よう。特に何を探すでもなく古書店街をうろつき、たまに立ち読みなどするのどかな春の時間は何にも代えがたい。この時期ではまだ赤本も出ていないので、無理に三省堂書店に寄ったりはしなくてよい。神保町を堪能したら次はまた地下鉄を駆使して六本木ヒルズまで足を伸ばし、ジュースを飲みながら映画でも見よう。TOHOシネマズ六本木ヒルズでは、今年4月から映画史上の名作が隔週替わりで上映される予定で、入場料も大人1000円、学生500円と極めて割安なのだ。予備校の学生証と500円玉一枚を用意するだけで、『アラビアのロレンス』や『ゴッドファーザー』がスクリーンで楽しめるとなれば利用しない手はない。

さて、映画が終わる頃にはもう時刻はそろそろ6時をまわっている頃で、予備校の授業も終わっているだろう。夜遊びは金がかかり、効率的ではない。ここは早めに帰宅して風呂に入り、ハンバーガーでも食べて寝てしまうのがよい。早く寝ればまた明日も万全な体調で動き回ることができる。

明日は中野のブロードウェイに行き、まんだらけでアニメ・マンガのレアグッズあさりをしてもいいし、築地で美味いめしを食べるのもいい。神宮で六大学野球を見るのもいいし、歌舞伎町のバッティングセンターに行くのもいいだろう。東京は、明日も明後日もずっと君と遊んでくれる。ああ楽しい。まったく愉快だ、最高だ。京大に受からなくて、よかった。(47)

るろうに傷心 壊れるほど愛しても…

浪人生は恋愛をしないほうがよい。突然こう言われても受験生の皆さんはぴんとこないだろう。そこで今回は、なぜ浪人生は恋愛をしないほうがよいと言われるかを、浪人生の時に恋をしていた某京大生の体験記を抜粋しながら説明していきたい。

相手に左右される第1志望校 国立一本に絞っていた私は前期で京都大学、後期でH大学を不合格となり、ある予備校に通うことになった。そこに私が高校時代から思いを寄せていたAさんも通うことになった。(中略)AさんはH大学を第1志望としていた。私は彼女に対する思いと京大は1年浪人しても手に届かないというやけになった気持ちから、第1志望を京大からH大学へ変更した。(中略)この変更の浅はかさに気づき、第1志望を再び京大とするのに1ヶ月を費やした。

(解説)この例は浪人生が恋愛をする中で陥る典型例の1つである。恋愛相手に影響され、自分の第1志望を変更してしまう。こうなってしまった人は思い出してほしい。大学進学は恋愛のためであったのか。当初の目的を忘れ、恋愛成就のために大学へ進学した人は、どこかでそれを後悔することになるだろう。

空想に費やされる勉強時間 浪人期間中、彼女のことが好きという思いに突き動かされ、勉強に手がつかないことが幾度もあった。問題を解けず悩んでいるときに、ふと彼女のことが思い浮かぶ。問題を解くことに集中しようとするが、彼女が脳裏から消えない。集中、集中、集中、と思っていても彼女のことを考えてしまう。そうしている間に時間があっという間に過ぎ去っていった。

(解説)恋愛のせいで相手のことばかりを空想し、勉強時間を無為に過ごしてしまう例である。この状況に陥ると、抜け出すことは難しい。相手のことをすっかり忘れるか、相手に対する思いを心の中に踏みとどめながら勉強するか、どちらも簡単に出来ることではない。いやはや恋の病は恐ろしい。

勉強よりも相手と一緒にいたい 夏期講習の最中、私は彼女と花火をしたいと思い、他の友人とともに彼女に声掛けをした。彼女から参加OKの返事をもらった私は準備に気合が入り、彼女を喜ばせようと夏期講習をすっぽかしながら花火の際に持参する、お菓子作っていた。(中略)京大入試対策のために重要な模試の前日、彼女からカラオケに行こうと誘われた。翌日の模試のために勉強しなければならないことを頭では分かっていたが、私は断れずカラオケへ行ってしまった。

(解説)恋愛をすると、どうしても相手の気を引くために何らかの行動をとる必要がある。上記の例ではそうした行動をとる代償として、勉強機会を犠牲にする。こうした行動が1度や2度ですめば勉強への影響も限定的だが、自分の意志で回数を抑えることは難しいため、結果として成績の伸び悩みにつながる。

進んで拾うつらい恋 この恋はつらいものであった。自分の彼女が好きという思いを、心の中にずっと秘めていたからだ。告白することで彼女を動揺させ、受験に悪影響を与えたくなかった。だから私はともに進学する大学が決まった後に告白をした。「あなたのことが好きです。付き合って下さい」ずっと心に秘めていた思いを彼女にぶつけた。けれども思いは実らず彼女の返事は「ごめんなさい」だった。こうして私の恋は終わりを迎えた。

(解説)浪人生の恋愛は相手への接し方という点でも大変である。相手が浪人生であれば、受験勉強に悪影響を与えないように配慮をする必要がある。大学生や高校生であれば、そもそも接点が少ない。さらに話題が合わないことや相手が恋人を作るのではという疑念を持ったりするなど、いっそう大変な思いをすることになる。意志が強くなければ浪人生で恋愛を成功させるのは難しい。意志が弱い場合、恋愛の失敗を原因に受験勉強の意欲をなくすかもしれない。

以上のように、浪人生に恋愛はおすすめできない。浪人時は勉強に励むようにしよう。一方でこの文章を読んでも浪人時に恋愛をしたいという受験生がいるかもしれない。その方は体験記を反面教師としてがんばっていただきたい。 (狭)

これからのお金の話をしよう

浪人生は現役生とは背負っているモノが違う。それは親や知人からの期待であったり、1年間の自身の努力だったりするかもしれない。ここではもっと具体的なモノについて扱おうと思う。それは、お金だ。ひとくちに浪人といっても宅浪に予備校通い等選択肢はいくつかある。そのため、浪人のスタイルによってかかる費用には多少のばらつきはあるだろう。しかし、浪人することによって余分に費用がかかることは間違いない。ここでは、某有名進学予備校で一年をすごした学生の例として、筆者自身を取り上げてみる。

筆者が浪人するにあたってその予備校を選んだのは、前年もその予備校の現役生教室に通っていたためだった。まず必要だったのが入塾金として10万円、授業料として67万円だった。しかし、筆者は前年度、同予備校の現役生教室に通っていたために入塾金は免除。さらに、前年度の成績により授業料が30万円免除された。また、筆者の自宅はその予備校から遠く、通学の難しい場所にあった。そのため筆者は予備校の寮にはいった。これにより、一年間の寮費、水道代、電気代・寮食費等合わせておよそ100万円が必要となった。さらに夏期・冬季講習の受講費としておよそ30万円。また、寮では昼食はでなかったため、食費としひと月に1万円ほど仕送りを受けていた。
ここまでが筆者の浪人に必要だった主な費用だ。他の細かな費用も含めると、総額およそ190万円ほどだろうか。先述したように、浪人にはいくつか選択肢があるが、その中でも筆者の場合は比較的費用の高いケースであるだろう。

筆者はここで、浪人するにはこれだけの大金が必要なのだ、と示すことで浪人を考えている読者を思いとどまらせようという訳ではない。むしろ、筆者自身は、浪人したことによって得たものが多かった。純粋に学力は向上したし、明確な目標がひとつあったため、メリハリの効いた時間の使い方ができた。振り返ってみれば、充実した一年間だったように思う。

浪人するにはかなりの費用がかかる。そして、多くの場合、その費用は親族が負担することとなる。それを踏まえたうえで、有意義にその一年間を使えるかどうかを自問してみてほしい。大金をはたいて得られる、自由に使える一年だ。何も勉強だけではなく他のことにも大いに時間を使えるだろう。漫然と過ごしてしまっては、お金も時間ももったいない。どうせなら、かけた金額に見合うだけ、いやそれ以上のものを、浪人生活で得よう。そういった気持ちで浪人生活に臨んでほしい。(待)

主要予備校の学費比較表(京大コース)

「宅浪」をお忘れで?

「今年浪人する」と仮定して、来年度の明るい生活に心躍らせるのは、とてもいい二次試験前のリラックス法である。しかし、あなたの頭の中に「浪人生=予備校生」という等式が出来上がってはいないだろうか。そう、「宅浪」という選択肢を忘れてしまってはいないだろうか。人それぞれに適した「浪人法」なるものがあるというのに、多くの新浪人生が予備校生へとなってしまうことに警鐘を鳴らしたい。予備校生活にもたくさんの魅力があることは他の記事で述べられている通りなので、ここでは予備校生活を批判するのではなく、選択肢の一つとしての「宅浪」の日常の魅力について述べていきたいと思う。

宅浪の朝は優雅に始まる。授業に追われて起きる必要はないので、寝過ごす事もしばしばある。気がついたらカーテンの隙間から夕日が差し込んでいたりする。大学生活を先取りしてみたい君におすすめだ。

「今日は何をしようかな。」宅浪がまず一日の最初に考え、悩む事であり、あまりに悩んでしまうためこれで一日を費やす事もしばしばある。勉強をしなければいけないが面倒だとダラダラ過ごすのが一番無駄である。なるべく家にいる事は避け、早めに家を出てしまおう。家を出てしまえば、家族に「図書館に行って勉強していた」と言う事もできるし、一日を無駄にしなくて済む。まず繁華街まで移動しよう。大きめの書店で受験参考書だけでなく小説や新書、普段手にしない本をパラパラめくって時間をつぶそうか。漫画喫茶の6時間パックを使って気になるあの漫画を制覇しようか。たまには図書館に行ってみるのも良いかもしれない。そういえばあのアニメ、劇場版の上映始まってたんだっけ。気がついたら「今日は何をしようか」などという問いは消えているだろう。

繁華街を練り歩くのも愉快だが、アルバイトを始めるのを強く勧める。時間が有り余っているので、好きなだけ働く事ができるし、多く働きたくない場合、「受験生なのであまり…」と雇主に伝えれば、自分の好きな頻度で働く事も可能かもしれない。自分の快適な宅浪生活を侵害されないように気をつけなければならない。ひと月数万の小遣い稼ぎにはなるので、宅浪生活に彩りを与えるために使う事もできるし、未来の大学生活のための資金として貯蓄する事もできる。

勉強面に関しては、有り余る時間を費やして自分にあった参考書見つける事ができる。怖いものなしである。良い参考書を持っているので、当分勉強は頑張らなくてもいいだろう。いざとなれば一日中勉強だってできるんだしね。そう言って気楽に勉強を進めていけるのだ。

悠々自適宅浪生活。君もこの生活を送ってみてはどうだろうか。(湘)

休学編

とある文学部三回生の禁忌記録オムニバス

休学した動機 私が休学しようと思い立った一番の理由として、自由に使える時間を確保したかったことがある。講義内容にいまいち興味を惹かれなかったので、休学前から人並みに大学に通っていたわけではなかったが、出席や語学の予習、単位を取るためのレポートや試験のために自分の時間が無駄に削られているような気がしてならなかった。本も読めないし、友人と夜遅くまで馬鹿騒ぎすることもできない。大学に通うのも中途半端、自分の時間を作るのも中途半端。そんな惰性的な状況が入学から1年ちょっと続いた。また私はとある学生寮
に住んでいるが、寮の運営への関わり方も中途半端になっていた。このまま何もかも中途半端なまま学部生を終えてしまうと、必ず悔いが残る。学費がかかる大学に通うのはひとまず置いておいて、自分の好きなことからしよう。そう思うようになった

休学までの道程 休学するまでの最初の大きな壁は両親だった。「大学は4年で卒業するもの」という固定観念はやはり強く、母親には泣きながら反対された。実家暮らしではないので両親に内緒で休学することももちろん可能だったが、両親に学費を捻出してもらっているという負い目がある以上、両親に相談するのが筋ではないかと私は考えた。両親と口論になったのが2回生の6月ごろ。半期分学費を払ってしまっていたこともあり、この時は私が折れて休学はしないことになったが、2月の終わりに再びメールで連絡したときには、両親もある程度諦めがついたのか何も言ってこなかった。

次の大きな壁は休学届の提出だった。文学部では休学届けを提出する際、2回生までは担任の教員の印鑑を押して貰わなければならない(3回生以上は配属された研究室の教員の印鑑)のだが、その担任の教員がなかなか捕まらないのだ。休学届の提出期限が3月8日だったが、その直前になっても教員と会えなかったのにはさすがに焦った。結局知り合いの寮生にその教員の研究室に居る人がいて、その人に連絡先を教えてもらうことで難を逃れることができた。印鑑の押捺の際担任の教員と話はしたが、体調や休学の理由を少し聞かれただけで、特に深く事情を聞かれるわけでも「休学しないほうがいいんじゃない」と言われるわけでもなく、やりとりはものの数分で終わった。良くも悪くも放任主義的なのが文学部の特徴だ。

休学中にしたこと 2012年度は、寮の老朽化対策をどうするのかという話で寮と大学当局との折衝が忙しかった(京大新聞5月1日号、10月1日号を参照)。休学中で時間があったので、私でも役に立てることがあればと思い、積極的にそっちの方向へ関わった。この一年間で一番頑張ったことは何かと聞かれれば、自信をもってこれだと言える。

バイトは週一で病院の事務当直をした。この職場には1回生の2月から勤めていたが、寮の運営を頑張ろうと思い半年ほど休職した。優しい職場だったので、事情を分かってくれた同僚が交代を引き受けてくれた。

様々な業務に忙殺される一方で、自分の自由な時間をできる限り失うまいとも努力した。読んだ本の数は3回生に上がるまでよりも多かった。歴史系に進むつもりなので、史学関係を中心に雑多に読み漁った。これが来年度からの学生生活にいい影響を与えてくれればと思う。

休学した感想 一般の「大学生」を一歩身を引いたところから眺められるというのは休学が持つ一つの魅力だ。「講義に出席して、試験を受けて、単位をとって…」という営みから開放され、かつその営みを近いところで見られる新鮮さは、休学しているときにしか味わえない。

最後に、休学しようかどうか悩んでいる人や、これから京都大学に入学するかもしれないあなたへ。私が休学を決めたときに、休学経験がある知り合いから貰った言葉がある。「休学とは「学ぶことを休む」ことであり、また「休むことを学ぶ」ことだ」。今、京都大学では、国や世界の「利益」になる「リーダー」を育成するために、よくわからない大学院を作るなどあれこれと思案を巡らせている。京大生はフォアグラのガチョウさながら、「国を引っ張っていくリーダー」として社会という市場に売り出すために餌付けされているというわけだ。

そんな中で、大学を最低年数で出ようと行き急ぐのは、お上の思惑に乗るようで少しつまらない。人はもっと休まなければならないし、休むことを知らなければならないと思う。大学(特に学部)が本当の意味で社会に出るための「通過点」でしかなくなってしまいつつある現状があることは確かだ。しかし、それでもなお、大学に滞留し、物事を相対化してじっくり考察する姿勢の必要性は無くなってほしくない。それが無くなったとき、それは「大学」という場、そして「研究」という営みの終焉を意味すると思うから。お金と時間の余裕があるならば、休学という道を選ぶことも是非視野に入れてほしい。(穣)

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