文化

池田浩士講演会録「ニッポン、ハシシタ、シシュウカン 〜グローバル・リーダーってなんなんだ!?〜」(後編)

2012.12.16

日本語ってファジーな言語で、ある意味それが魅力だと思う。だけどことさら歯切れの悪い、馬鹿げた造語が今の日本には氾濫している。数年前なら人間力。「自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力(内閣府)」って何だそりゃ。この頃だとグローバルリーダーもそんな珍語の1つ。思修館で、維新の会で大人気。いやはや訳が分からないこの国を文学者・池田浩士にバッサリ斬っていただこう。今号では、講演会の後編をお伝えする。

なお講演者の意志を尊重して差別的な表現をそのまま掲載していますが、差別を是認する意図は一切ありません。予めご了承の上、お読み頂くようにお願いします。(編集部)



池田浩士講演会録「ニッポン、ハシシタ、シシュウカン 〜グローバル・リーダーってなんなんだ!?〜」(前編)(2012.12.01)


抑圧者を支える被抑圧者



もう一つの実例が、ご覧になった方はほとんどいないと思いますが、アメリカでの実話を原作とするドイツ映画『ウェイヴ』(2008年)です。あるギムナージウム(一貫制高等中学校)のあるクラスで、こういうカリキュラムを実施します。それは、それぞれの教員が、それぞれ何か一つのテーマに即して一週間クラス全体で集中的にゼミのような授業をするというものでした。思修館の「熟議」というのは、誰か現場の人の話を聞くんですよね。そうじゃなくて、自分たちでゼミをやる。まず教員が生徒と一緒にやりたいテーマを提示して、生徒たちが、自分がやりたいと思うテーマを提示している教員のクラスへ行って、一週間、様々なことを共同で勉強するんですね。それである一人の教員が、「全体主義」というテーマをとりあげた。全体主義なんてテーマはみんなほとんど考えたこともなかったんですけれど、なんか面白そうだなと思った生徒は、その教員のクラスに行くんです。そこで、その教員は全体主義というものを実際に自分の心と体で感じることができるように、クラス全体を全体主義的に運営していくんです。だから、そのゼミに参加した生徒たちは、全体主義の中で生きることを実体験することになります。要するにファシズム社会を疑似体験するんです。初めはみんな、その教員がまるでヒトラーみたいに下す命令に反発します。ところが、段々命令どおりに動くのが生徒たちの充実感と生きがいになっていく。制服を作って全員がそれを着たり、自分たちの運動に「ウェイヴ」という名前を付けてロゴマークを決めたり、右手を斜め前に挙げて「ハイル・ヒトラー」と言うナチスの敬礼の代わりに、右手を波(ウェイヴ)型に動かす敬礼を考案したりして、クラス全員が強い連帯感と一体感を持つようになっていき、ついには、教員のボディーガードを自分の義務とする「親衛隊」そっくりの生徒まで出て来てしまう。これは大変なことになる、と気づいて、教員はその授業を打ち切ります。そういう映画なんです。この映画を観て私が一番感動したのは、担当の教員が最後に自己批判をする場面です。これが私にとってはとても印象的で、感動的でした。「なぜ俺はああいうテーマを提示して、しかもああいうやり方をしてしまったんだろう」と、その教員は反省して自分を問い直すわけです。そのとき彼は、「俺は学校でいつも出来が悪かった。いじめられていた。大学出ではなく専門学校卒だった。教員になったけれど、体育の教員で、みんなからいつも、そんなものは教員ではないという目で見られてきた。だから自分にはどこかに、独裁的な指導者になりたいという気持ちがあったのだ」と言うのです。私はこれが、一番大事なファシズムの構造の鍵だと思っています。独裁者とされるリーダーと、それに追随する民衆との関係を、この映画は見事に描いている。

1960年代末から70年代にかけての学園闘争の中で最も読まれた思想家の一人に、ハーバート・マルクーゼという人がいました。ドイツ生まれのユダヤ人です。この人が「権威主義的人格」というものを定義した。「権威主義的人格」というものがあると。それはなにかというと、自分が権威者、権力者として権威をもって他者に対して振舞うようなパーソナリティです。威圧的な権威主義的人間ですね。でも権威主義的人格っていうのは一人では存在できませんよね。つまり、権威主義的人格に追従するもう一つの権威主義的人格、権威に弱いパーソナリティ、権威の信奉者が居なければならない。そういう権威主義的人格に追従する者という意味での権威主義的人格は、自分よりも弱い立場にいる人に対しては、ちょうどその権力者である権威主義的人格がするのと同じような振る舞いをする。そのようなことを、マルクーゼは理論化したんです。これは、マルクーゼに言われなくてもなんとなくわかる人間のあり方だと思います。その体育の教員は、今まで自分がずっと抑圧されていたが故に、抑圧する位置に自分を移すことによって、被抑圧的な現実から脱却したわけです。他者にとっての被抑圧的な現実を作っていくことによって、自分は被抑圧的な環境から逃れることが可能になるのです。つまり、ファシズムというのは、独裁者的な抑圧者と、ある意味でそれと対等に抑圧者を支える被抑圧者との関係という構造、被抑圧者がむしろ主体的に抑圧者に追随する構造が必要なんです。しかも悲しいことに、抑圧者に追随する人たちは、自分より弱い人を抑圧することによってしか、人間としての自己を確証できない。ナチスの強制収容所の看守というのが、そういう構造の中での権力者の一つの典型的なあり方です。彼らのユダヤ人に対する振る舞いがそうです。さらに悲惨なのは、「カポ」(Kapo)と呼ばれる人たちでした。フランス語の「カポラル」(Caporal)、つまり「分隊長」の略語で、強制収容所の囚人でありながら、看守の下働きとして同胞たちを抑圧管理する役割です。私は、橋下という人物はそういう役割を買って出た小権力者だと思っています。私のファシズムについての考えでは、だから彼の出自という部分を無視することはできないのです。もちろん、強制収容所の例でいえば、ユダヤ人であることが悪いのではなく、ユダヤ人に対する差別と抑圧・排除があるからカポが生まれるのであって、この差別の現実こそが廃絶されねばならない。これはあらためてしっかりと確認する必要があります。カポが生まれない現実を実現すること、これがファシズムを許さないということの一つの具体的な意味なのです。『週刊朝日』がああいう書き方をしたことは許せないとしても、彼のいわば「カポ」としての意味をきっちり見なければファシズムの構造は捉えられないという点で、私は意識的に、日本における差別構造とファシズムの問題として、「ハシシタ」現象を捉えたいと思っています。だから敢えて「ハシシタ」と言いました。被差別部落出身の人たちから糾弾されたら、私はそう釈明するしかありません。

感染、増幅、深化



さて、そういうファシズムの構造を考えるときに、私たちにとって他人事でないのが「グローバル・リーダー」ですね。先ほど司会の方が、「京大生というエリートが、グローバル・リーダーになることを求められている、これは一体どういうことなんだ」ということをおっしゃっていました。そういう疑問を抱くことが大事だと思うんです。橋下が言うグローバル人材と、京大の総長が言うグローバル・リーダーとは同じなのか、という問題です。ですから橋下のことを、まずお話ししたわけです。そして、グローバル・リーダーというテーマを考えていくにあたって、ここでもうひとつだけ、差別について、特にファシズム的な差別についてしっかり見ておかなければならないことがあると思います。私は主観的には社会的、人間的差別に反対したいと思っているんですが、ではなぜ反対なのか、なぜ差別に反対しなければいけないのか。   こう言うと本当に居直りみたいに聞こえるかもしれませんが、私は、自分が差別される度合いよりも、人を差別する度合いのほうが圧倒的に多い人間だと思っています。客観的に自分は差別者であると思っている。この頃では、例えば、頭の毛が薄いとかそういう差別発言を受けるくらいじゃ全然こたえなくなったからね(笑)ほとんど自分が差別されるという現実はないんです。ですから本当に差別ばかりしているんです。その私が、なぜ差別に反対なのか。

ちょうどたまたま赤松副学長が、ヴァルター・ベンヤミンという思想家について最新号の『京都大学新聞』に書いておられます。そのベンヤミンが『暴力批判論』という著作の中でとても大事なポイントとして述べていることは、「暴力は感染する」ということです。暴力というのは単に相手を傷つけるから悪いんじゃない、暴力は感染するのだということをベンヤミンは言っているんです。どういうことかと言うと、暴力は感染して、しかも増幅し深化していくんですね。だから、暴力を他人に対して振るうということは、単にその人を傷つけるだけではない。その人が受けた暴力は、その人に感染して、今度は更にえげつない形で別の人に対して振るわれる。差別も、明らかに暴力です。ですから差別も増幅し、深化するんですね。戦後の西ドイツでは、最大のブラック・ユーモアが密かに生き続けていました。「ヒトラー? ヒトラーか。あの人は良いことをいっぱいしたよな。だけどたった一つだけ悪いことをした。ユダヤ人を一人残らず殺しておかなかったことだ」。ドイツでは戦後、こういうブラック・ユーモアが流れ続けてきた。私はこれを「えげつないなぁ」と思いますけれど、もしかしたらパレスチナの人は本当にそうだと思っているかもしれない。そう思っても当然かもしれません。それから、シオニストたちや世界ユダヤ資本によって使い殺されていく多くの人たちが、実際にそう思っているかもしれない。しかし、もっと無念なのは、あれほど悲惨な体験をある意味で一身に受けなければならなかったユダヤの人々が、どうしてシオニズムという思想だか宗教だかと結託してアラブの人たちにあのようなおぞましい暴力を振るうことができるのだろうかということです。もっとも深刻な暴力をこうむってきたユダヤ人こそが暴力を止めるキーポイントにならなければいけないのに、ユダヤ人にはそれができない。それは、暴力は感染するからです。増幅し深化するからです。暴力というのは、そういう点でまさにファシズムの構造そのものです。権威主義的人格は、自己の悲惨な状況から立ち直ろうとしたときに、成り上がることによって、自分より下に居る人たちを支配することで、ようやく人間として自立できたかのような思いを抱いてしまう。同じように、自分が受けた暴力を何十倍にもして他人に及ぼしていくことによってしか、自分の人間としての存在を確証できないという現実があるわけです。ですから、どこかで差別をやめなければいけない、断ち切らなければいけないんですね。橋下という政治家が被差別部落民であることによって差別されたり、あるいは悪口を言われたりするのを、許してはいけない。しかし私は、橋下自身が、ユダヤ人と同じようなことをやってしまっていると思うんです。差別と暴力を、明らかに増幅させ深化させている。彼は自分に対する反対者や批判者を、簡単にマスコミの前で馬鹿よばわりしますよね。その人の人格を否定するような言葉を、彼はマイクの前で繰り返していく。ああいうえげつない言い方を、やはり私たちはどこかでやめなければならない。だから私が言っている「ハシシタ」というのも、これから使い続けていくかどうか、使うとしたらなぜ使うのかを、もちろん考えていくつもりです。一番問題なのは、この橋下現象にしても、もっと大きなファシズム的現象にしても、権力者に成り上がっていく政治家だけではなくて、その政治家にある意味で馬鹿にされながらも、その政治家を待望し支持する私たち、ないしは私たちの隣人たちが居ることですね。このありかたを、私たちがどうすれば断ち切ることができるのか。私たちは、現在のユダヤ人の暴力を批判するのであれば、私たちが生きるこの国家社会の暴力の増幅深化を私たちが断ち切らなければならないでしょう。具体的には、橋下現象を私たちが打ち破ることによって、差別構造が生んだこの暴力の連鎖を断ち切らなければならない。そしてそのためには、このような形で政治家が成り上がっていくのを私たちが許さず、彼をこれ以上の暴力から引き離すことによって、彼に期待する権威主義的人格たちの拠り所を抹消すること。そういうところでしかこの暴力の増幅深化の構造を打ち破ることはできないのではないか、と思います。

ここから次の問題に入っていかなければいけないんですけれど、一つだけ脱線をさせてください。今年の2月に北海道大学で、橋下現象についてのシンポジウムがあって、そのとき私が「ハシモト、ハシモト」と呼び捨てにしていたら、終わったあと私くらいの年代の男性が会場の出口で待ち構えていて、「お前は差別者だ」と怒鳴るんですね。え、なんでなんだ、と思っていたら、「橋下と呼び捨てにした。さんぐらいつけろ」と言うわけです。「でも私は美空ひばりのことをさん付けで呼ばないし、ヒトラーのことも先ほど呼び捨てにしました。私は明仁のこともアキヒトで、天皇陛下とは呼びませんし、有名人は呼び捨てにしてもいいと思っています」と答えましたが、もちろんその人は納得せずに、「お前は差別者だ」と私に怒鳴りつづけました。きょうも呼び捨てにして耳障りな方もおありかもしれませんが、お許しください。

強いリーダーと弱い個人



先ほど「維新八策」の項目を並べたわけですけど、その維新八策というものを掲げてこれから日本の政治を掌握していこうとする人々と私たちとの関係を、最後に考えたいと思います。

強力なリーダーや実行力のある独裁者に対して期待があるというのは、ある意味で理解できることですね。やっと自民党の長い独裁政治が終わったかと思うと、民主党がああいう有様だった。他の既成政党にしても、小沢なんかは言ってることはきれいだけど本人は汚そうだしな、というようなことを思うわけですね。そしたら何か実行力のありそうな人が期待される、そういうのはやむを得ないことなんでしょうけれども、しかし何故私たちはそういうものに期待してしまうのだろうか。なんで強いリーダーを望んでしまうのだろうか。 それはもちろん私たちが無力だからです。簡単にいうと、私たちには何の力もないから。何の力もない私たちは、力のある者に頼るしかないからです。これは私は皮肉で言っているのではありません。ここに居る人たちの中には、自分がこれから社会の一員として、自分なりに自分がやらなければいけないこと、もしくは自分がやりたいことを一生懸命やっていきたいと思っているし、やっていく時と場を、自分は掴めるかもしれないと、思っている方が少なくないと思います。でも現実はそうではないですよね。例えば先ほども言った、町工場で誰も真似できない技術を開発して優れた製品を造っている人が、TPPというものが実現してしまってその交渉に日本が乗っていったときに、自分の技術が、自分が生み出し、自分が実践している仕事として、自分のものであり続けるかどうかはわからないわけです。技術だけは涙金で大企業に吸収されてしまうかもしれない。そのとき自分はどう生きるのか。つまり私は先ほど皆さんに嫌味を言ったつもりはないんですけれど、今は、若いということが力である時代では全くなくて、若いことが絶望の入り口であるような社会です。この大学のキャンパスでは、まだマシではありますが、やっぱり、今の現実を何とかしてくれる人が出てこないか、というのは当たり前の願望としてあるわけですね。だから私たちはそこまで戻って考えなければいけない。橋下に期待する人が間違っているとか、そのように片付けてすますことのできない現実に、私たちは生きているんだということを身にしみて感じ直さなければいけないと思います。悲しいことにこれが、橋下を支えているファシズム的状況の、民衆の側のファシズム、ファシズムという言葉を用いないなら、土壌だと思います。実はそういう人たちにとって、グローバル・リーダーなんてなんの関係もないわけですよね。自分たちの将来に関わるわけではない。たとえそのようなリーダーが生み出されたとしても、果たして自分たちにとって役に立つか、というより、自分たちの思いを体現してくれるリーダーになってくれるということはほとんど期待できない。しかも、グローバル・リーダーというのは、グローバルと言いながら完全に国粋主義ですよね。リーダーが日本人でないといけないという国粋主義が、これから世界的にどれだけ通用するか、これは全くわからない。しかも専門職への特化、つまりより高い専門的知識や見識への上昇の道として示されている道は、ほとんどの「私たち」とは縁がない。維新八策には、「真の弱者を徹底的に支援する」という一項目があるんですね。だけど、真の弱者というものが果たして、こういうグローバル・リーダーの目に見えるのだろうか。維新八策が教育の目標の一つとしている「グローバル人材」の目にさえ、それは入らないだろう。「徹底的に支援」しようにも、そもそもグローバル・リーダーの目からは、真の弱者は消失し不可視化されていくに違いないという思いが私にはあります。つまり、橋下が語っている「グローバル人材」の理念にも、そしてこの大学の一部で叫ばれている「グローバル・リーダー」という理念にも、その前には圧倒的な暗黒地帯が横たわっている。そしてその暗黒地帯こそが、悲しいことにこれから橋下のファシズム体制を支えていく重要なポイントになっていく。そういう現実の構造、そこをまず押さえておきたいと思います。そういう現実の中で、この大学で提起されている、というよりむしろ政府が提起しているこの「博士課程教育リーディングプログラム」、京大では「思修館」構想として始まりつつあるこのプログラムに、一体どういう意味があるんだろうという点を、いよいよ皆さんと考えていきたいと思います。 

「思修館」に抱く既視感



私は部外者ですので、部外者として最初にまずお断りしなければいけないのは、この思修館というプログラムについて私が持っている情報というのは、『京都大学新聞』(2012年10月1日号)の記事が全てです。「そういう情報をもとにして何を言うのか」と、思修館推進派の人に言われるかもしれませんが、これは思修館推進派が、京大新聞を上回る宣伝活動を行わなかったことの責任ですから、私は、『京都大学新聞』を信頼して発言をさせていただきます。それから「文字通り部外者であるお前に、なんで京都大学のことについてとやかく言われなきゃならないのか。大学の自治があるんだぞ」と言われるかもれませんが、それに関しては、私は、誰にでも言う権利がある、ましてや「大学の自治」を政府文科省と財界資本に売り渡している現在の京都大学が何を言うか、と思っていますので、私にも発言権を恵んでください。よろしいでしょうか。私は京大新聞を読んだときに全く部外者的関心を持ちました。「どっかで見たなぁ、こういうの」と思ったんです。「思修館」の中のどこかに新しい点を探してみました。ところが新しいものよりも、どこかで見たようなものにばかりに出会ってしまうんですね。思いつくままに挙げてみます。

『チップス先生さようなら』という小説があったんですが、これは1934年に、イギリスの作家のジェームズ・ヒルトンという人が書いたものです。イギリスには小中学校一貫教育のような、貴族や金持ちの子供たち、それも男の子が行く全寮制の学校があったんですね。そこに20歳代の初めに赴任してから、定年退職したあとまで教員をやっているチップス先生という人がいて、もう何代にもわたる「名門」の家の生徒を教えている。そういう先生が主人公になっているんですけれど、これを私は思い出しました。全寮制ですからここにも寮長というのが出てくるんですよ。チップス先生も一時期、寮長になるんです。寮で生活をともにしながら、というのはものすごく古くからある学びの理念なんですね。この寮長が果たして現在の「思修館」にとってどういう意味を持つのか。吉田寮などには寮長がなぜ実質的に存在しないのか、というのと同じ説明がなければならないだろうと思います。

二番目。中国の上海(シャンハイ)に昔、東亜同文書院という大学がありました。これは杉浦重剛という昭和天皇の教育係だった人の肝煎りでつくられたものです。上海というのは悲しい都市で、かつて日本の敗戦までの時期、「租界」と呼ばれる治外法権区域、外国による事実上の占領地域がありました。一貫して存続したフランス租界のほか、ある時期には アメリカ租界、イギリス租界が存在し、いくつかの国が共有する共同租界というものがあって、単独の租界を持たなくなった時期にはイギリス、アメリカもここに支配区域を持っていました。つまり、ある都会のなかに治外法権の区域、外国の植民地があったんですね。日本は、日本租界として日本独自の租界をもつ力がなかったので、他の国と共同で、共同租界に治外法権の部分をもっていました。そこに日本は事実上半官半民というかたちで、東亜同文書院をつくったんですね。同文というのは同じ文字を使う、つまり漢字を使う仲間という意味です。東亜同文書院というのは、のちのち日本がその盟主になるはずの東アジア、東亜の、グローバル・リーダーをつくるのが目的で設置された大学でした。つまり日本の植民地や利権地の経営に手腕を振るうことができる高度な専門家たちを養成するための大学であり、特に思想的にもイデオロギー的にもしっかりとアジアを運営していけるリーダーをつくるための教育機関だったんです。この大学には、卒業年次に「大旅行」というプログラムがありました。この大学は、ある意味ではとてもユニークで、例えばある科目の学年末試験が論文試験で行なわれるとする。ある場合は時間制限なし。ただし、この教室で書きなさい。二日たっても三日たってもいい。とにかくそうやってできるまで論文を書かせる。だから長大な、それこそ学位論文くらいの論文を書く人もいるんですが、ある年の「支那史」という科目の論文で最優秀の点がついたのは、たった一行の論文だった。「嗚呼、悠々たり揚子江」。長江の歴史について論ぜよというテーマだったのですが、これが一番だった。そういう大学だったんです。この大学は卒業の年にアジア中を旅行するんです。これについては毎年その報告論文が一冊の本として出版されました。現在、その復刻版がたくさん出ています。東亜同文書院では学生の「大旅行」報告をちゃんと出版して、その復刻版が出ているくらい歴史的なものなんです。私はそれを思い出しました。「ああ、大旅行をするんだ」と思った。ところがこの大旅行は、東亜同文書院の発明ではないんです。イギリスでは、カレッジ、ユニヴァーシティの卒業旅行は「グランドツアー」、つまり大旅行と呼ばれて、ヨーロッパや中近東を旅行して、それで報告論文を書け、というプログラムが17世紀頃から伝統的にあったんですね。私が勉強してきたドイツのロマン派の文学作品なんかでも、ドイツ人の作家が、これがとても面白いテーマなので、それを題材にした小説を書いている。つまり、教養小説(ビルドゥングスロマーン)なんです。ある一人の人間が自己形成を遂げて行く過程の一コマで外国を旅行するというのは、とても大きなテーマでした。だからそれは、一人の人間が成長していくプロセスを描く教養小説の、絶好のテーマになるんです。教養小説の本場であるドイツの文学の中にはイギリス人を主人公にしたいわば「グランドツアーもの」というのがあるんですね。それの焼き直しなんですよ、「思修館」4年次の「国際実践教育」というのは。

それから何よりもびっくりしたのは「松下政経塾」との滑稽な類似性。私は原則として、ネットで調べるということを軽蔑しているんですが、このために本を買うのは嫌だから松下政経塾の話題をネットでいろいろ調べました。その結果、「総長は、大学はもう何にも出来なくなったんだ、と思ったんだろうな」とつくづく感じました。かつてまず「産学協同」が始まった時に私達は反対したわけですね。企業の経営に役に立つ研究と、大学でしなければいけない研究とは同じではない、というところをしっかり大学は見つめるべきである、と考えるからです。その次には「軍学協同」に反対しました。「自衛官の体験入学」という形でそれは始められようとした。この試みは京大では少なくとも粉砕されました。だけれども、その後どうなったか。産学協同体は例えば、冠講座、寄付講座という形で今いっぱいありますよね。あのノーベル賞がどういう金でやった研究なのか私は知りませんが、とにかくそういう風に産学協同が当たり前になっていきました。そして今では完全に「官産学協同」ですよね。こういう中で京都大学はついに松下政経塾を見習うところまで来たんですね。これはとても驚きでした、本当に。それなら、大学なんか無くてもいいではないか。松下の研究部門になればいいじゃないですか。野村総合研究所みたいにね。松下総合研究所に京都大学がそっくりそのままなればいいじゃないか、と私は思いました。なぜか?  まず、さっきから何回も言っている通り馬鹿みたいなことなんですが、寮で集団生活しながら研修や実践生活を行なう。これは松下政経塾の方式です。その実践生活についてはあとでまた言いますが。入塾生の選抜は小論文など筆記試験に加えて、口頭試問、TOEICによる語学試験、これが松下の場合です。京大思修館の場合は一次募集では応募資格が「TOEFL―iBTでスコア80点以上」だったのが、二次募集では水準を落として「TOEFL―iBT及びTOEIC」のスコアでもよいことになったのだそうです。私には何のことやら全然分からないんですけど、とにかく何が問題かというと、これまでの入学試験では将来ともに学んで行くことになるはずの教員、これが試験官になりますね、あるいは採点者になります。選別ということにある問題はひとまず別として、これから一緒に学んで行く学生を自分たちが選ぶんです。全寮制で文字通り一緒に生活しながら勉強していく、その学生の英語の試験問題を自分たちで作り、成績を自分たちで採点するということを、なぜしないのか。これは全くの間違いだと私は思います。こういう既製の、他人が作った基準によって、学生の能力をはかるんだったら、入試なんかやめればよい。それから松下政経塾内には茶室もあるんですよね。それが売り物だったらしいですよ。松下の場合は、それなりに分かるんです。研修カリキュラムの中に茶道とか座禅とかね、それから書道もありましたね。だから茶室も必要でしょう。思修館の場合は謎ですね。松下政経塾には伊勢神宮参拝がある。そして自衛隊体験入学。昔は自衛隊の人が大学に体験にこようと思ったんだけど、松下政経塾では自衛隊に体験入学する。それからいよいよ、松下の工場での見学、それだけじゃなくて労働もあります。経営管理の実習も入っています。これを思修館はやるというのですね。松下の場合はもちろん松下の工場ですが、行き先が違っていても同じじゃないですか。私は大学から出て学ぶというのはとても大事なことだと思います。本当に大事だと思います。大学のキャンパス内で学ぶことよりもキャンパスから外で学ぶことの方が、本当は大学時代には圧倒的に多いのです。もうすぐ始まる釜ヶ崎の越冬闘争も含めて、本当に多いわけです。今、釜ヶ崎と言いましたけども、いくら外国へ行っても見えない物は見えないですね。現場の人の話を聞いても分からないものは分からない。例えば自分が、企業の中に入っていって日本の企業の実情を見学しても、分からないわけです。何が言いたいかというと、私は日常こそが大事だと思うんですね。自分の生活の場。これは学生と、就職をしてしまっている人間と、さらには私みたいなリタイアした人間とでは生活が違うんですね。でもその生活の違いを含めて、自分の生活の中で感じた矛盾、この生活の中にはもちろん大学生活もありますが、生活の中でぶつかる矛盾、違和感、そういったものにこだわるということ。それがものすごく大事だと思います。それがすっぽりと抜けているカリキュラムで、いくら企業の現場へ行っても、外国へ行っても、この現実が見えるのか、そして今の大学生とは違う「グローバル・リーダー」というものが生まれてくるのかどうか、とても疑問です。私が京大新聞を情報源として、色んな参考資料も含めて勘案した限りでは、この思修館というのは産官学協同路線の袋小路の突き当たりだという思いがあります。これでまあ、「大学」もおしまいだという感じですね。この先、何もこの大学から生まれないだろう、そういう意味です。この末期的現状を考えるにあたって、いくつかのことをあらためて皆さんと一緒に考え直してみたいと思いました。

防波堤としての特権



まず、疑いも無く、特権としての大学というものがあります。これは否定できないことですね。全共闘の学生達はこの特権としての大学、そして特権的な大学生というものを自己否定しようとしたんですが、結局その試みは敗北した。だから、特権としての大学は今でもあります。京大だけではありません。これは大学進学率を考えても、大学進学者はまだ同年齢層の半数ですからね。半分は大学に行きたくないと思っている人がいたら立派ですが行きたくても無念にも行けない。私は今の大学に行ってから、入学するはずだった人が家計の事情で結局来られなくなったケースを毎年見てきました。本当に無念なことに大学に行きたくても行けないという人がいます。だから嫌な言い方をしますが、そういう状況の中でいわゆるエリート校は経済的に豊かでなければ行けないという現実が実際にはどんどんと増幅しているわけですね。だから、大学というのはやはり特権的な場であるというのは絶対に忘れてはいけないことだと思うんです。しかしその大学に自治と自由がなければならないということもこれは同時に絶対に忘れてはならないことだと思うんです。かつて「国鉄」というものがありましたよね。日本国有鉄道。これが解体されましたね。それでJRとかいうものに、乗っ取られました。その時に残念ながら、国民がなんで国鉄解体・民営化に賛成したかというと、国鉄の労働者は特権的だと考えられていたからです。酷い話があって、線路工事をした国鉄職員が勤務時間内に風呂に入ったといって非難されました。線路工事をして鉄粉で体中まっ茶色になっている労働者が、勤務時間であろうが何であろうが、風呂に入るのは当たり前じゃないかと私は思うんですけども。しかし悲しいことに、そういうふうに特権的な存在、特権的に見える存在を憎むという気持ちが私たちにはある。この気持ちは基本的には正しい。そして、この正しさに対して、特権的な位置にいると言われた人達は、その気持ちをきっちり受け止めるということが出来なかったんだと思うんですね。やっぱり特権にあぐらをかくことしか出来なかった。でもその特権というのは客観的に考えてみると、防波堤だったんですね。つまり、国鉄労働組合、動力車労働組合が潰された後、日本の労働組合は全部潰されました。今も頑張ってる労働組合はありますから全部と言ってはいけないですが。公務員と、それから三公社五現業といったんですが、そういうインフラにかかわる国家的な部門というのは公務員並みだった。そういう所の労働者が頑張っていたから民間の労働組合も権利を要求することが出来た。だからそういう特権的な所が防波堤の役割をしなくなってしまうと、もっと弱いところがまともに津波に襲われるわけです。防波堤が享受していた特権を皆に分ければいいじゃないと思うかもしれませんが、しかし、国や資本家側はそんなこと絶対にしないわけだから、貧しい組合は貧しいままです。そればかりか、もっと闘争が出来なくなっていく。それと同じ事が大学でも起こると思うんです。ですから今だったら、モノが言える大学が頑張らなければ、モノが言えない大学は何の利益を得ることもない。ますます苦しくなっていきます。だから、自己の特権的な位置をきっちりと常にかみしめながら、自治と自由を絶対に獲得していかなければならないだろう。いまある権利を手離してはならないだろう。いま大学で進行しつつあるいわゆる「改革」、機構再編に対しても、ある種の特権に居直るのではなく、自治と自由という大学のもっとも基本的な権利であり義務である特性を、学部・研究科単位でも、学生個人の単位でも、決して手離してはならないだろう。ファシズムの浸透を、差別と暴力の伝染と増幅深化を、私たちが阻止するのは、そういう一つ一つの日常的な実践によってだけだと思うのです。

実学と「虚学」のバランス



それと関連しますが、ここで、「教育は国家百年の計」などという言い方がなぜずっとされてきたのだろうかということを考えてみたいと思います。京都大学というのは長い間、文部省、今の文部科学省の言うことを一番聞かない大学だと言われてきた大学だったのですね。それはなぜかというと、文部省は、今の文部科学省は、百年の計としての教育方針が立てられないからです。これは、いわゆる官僚制度と関わる問題です。国家公務員の採用試験である国家試験というのは、その試験を受けたときの成績が一生を左右するんですよね。そうすると例えば京大出身の国家公務員上級試験で上位の成績だった人は、それに応じて定年までにどのポストまで「出世」できるかが決まるだけではなく、採用されてからあっという間にすぐに「何とか長」になっちゃうんですね。二十代の半ばになって文部科学省の本庁の大学局とかいうところの何とか長とか補佐とかいうポストに就くと、新しい大学改革プランを考えなきゃいけないわけです。すると例えば「京都大学で人間・環境学研究科がちょっとつけあがってんじゃないの。これは変えなきゃいけないなあ」というように、その改編プランを作るわけです。その二十代半ばの官僚が、将来へのエリートコースの途中で。そしてその本人は、二年後にはもうどこか遠いところに転勤して、そこでまた出世のための「改革」方針を練っている。ついこの前の改編プランがどんなひどい結果をもたらしているかなど、知ったことではない。もちろん、いま挙げた研究科の名称は架空の例であって、事実がそうであるわけではないのですが。いわゆる「ゆとり教育」が実施されたかと思うと、あれは間違っていたなどと平気で方針転換がなされるのも、そういうエリート官僚の出世コースでの一エピソードだったからですね。その「改革」が採択されると彼は今度はどこかの大学の事務局の部長とかになっていく。次に彼の後釜に来た官僚は、また出世しなきゃいけないわけだから「ゆとり教育は誤りだ」と言うと、「良いところに気付いた」とか言われて、今度は本庁の別の部に昇進して行く。つまりそういう現実なんですね。だから、京都大学は文部科学行政のころころ変わる方針を、法的な規制力が無い限り無視したわけでしょうね。ところが今はそうではない。これは大学の将来にとってとても大きな問題だと思います。そもそも、そういう若手官僚の出世のためのプランをチェックする役割のはずのいわゆる専門家、政府の諮問委員とかのメンバーが、いま原発に関して歴然としているように、ほとんどが政府や業界の御用学者ですから、政府や業界の顔色をうかがってしか判断が下せない。原発から教育まで全部同じですよね。だから、今の社会にどういう問題があって、今の社会を物質的ではなくて本当に人間的な豊かな人間関係が紡げる社会にするにはどういう教育が必要か、そのためにはどう理想を教育が掲げなくてはいけないかとか、そのためには生徒や学生に何を期待し、教員にどういうふうな創意と自由裁量を許さなければいけないか。そういうことから始めるんじゃなくて、官僚が出世していくための手段という場当たり的な構想ですから、国家百年の計というのは教育に関しても立てられない。しかも教育というのは金がかかるとされています。教育に金がかかるというのはどういう意味かというと、企業が儲からないということです。つまり、企業が儲かるようなプランだったら国家はいくらでも教育に金を注ぎ込むのですね。ところが、企業が儲からないから国家が負担する教育費は最低限に抑えられる。つまり、大学の研究教育は、今のままでは企業の利益にとって役に立たないということですね。

企業の利益にとって役に立つ大学にすること、それが今、大学改編のさしあたり最後の課題だと思います。さしあたり、と言うのは、遠くない将来、「軍学協同」が顕在的なテーマとして登場するだろうからですが、さしあたりは、企業にとって、つまり資本の側にとって利益となる大学が、切実に求められていると思います。かつて日本という国家社会が、もうちょっと精神的にゆとりがあった例えば大正デモクラシーの頃には、金がかかる教育でも「教育は国家百年の計」といって重視されていたんですね。いやそんなことはない、今でも特定の学部や研究科は財政的にも優遇されているではないか、と考える方もあるでしょうね。まったくその通りで、いわゆる「COE」と称する重点研究などは、ご承知のように一つの研究題目について数十億円単位の研究費で進められています。しかしそれはあくまでも特定の研究に対する国家補助であって、そのほとんどは、福澤諭吉の言葉を使えば「実学」を奨励するためであり、その研究成果が企業と国家にとって有用なものだからでしょう。それとは逆に「虚学」はますます大学からも駆逐されていきます。虚学というのは、福澤諭吉の「実学」に対して私が勝手に使っている言葉ですが、うつろで何の意味も無い、何の役にも立たない、金が儲からない学問と言ったらよいでしょうか。何かの役に立つことが歴然としている学問と、何の役にも立たない、あるいはなんの役に立つかわからない学問と、つまり実学と虚学とのこの二つのバランスがとれる場所が、大学だったんです。これは企業では絶対に出来ないことです。それが大学でも出来なくなっている。だから企業に入っていく大学出身者にも、このバランスが無くなったということです。計画されているという人間・環境学研究科の改編は、だから象徴的だと思います。二つの意味での大切なバランス、いわゆる理系と文系との、実学と虚学とのバランスと、いわゆる専門教育と基礎教育とのバランス、これも実学と虚学のバランスと言ってもいいのですが、その両方の共存とバランスが、この研究科にだけは残されていたのに、それが一挙に解体されるわけですからね。それから、もう一つの大学改編である「思修館」。ひょっとすると、これを構想した人たちは、実学と虚学との分離を何とかして避けよう、実学だけのグローバル・リーダーではない「人材」を育成しよう、と意図したのかもしれませんね、主観的には。まあ、寮に茶室を造るなどという漫画は、そうとでも考えないと理解できないでしょう。しかし、もしもそういう意図があったとしても、その意図は実現できないだろうと思います。思修館構想は、さっきも指摘したとおり、松下政経塾の企業的発想を越えていないからです。そのことは、「国内サービスラーニング」とか「国外サービスラーニング」、さらには「国際実践教育」というカリキュラムがはっきりと示しています。企業の「研修」の発想をまったく越えておらず、それどころか、現場へ出かけていけば現実が見えるというものではない、という、いまようやく明らかになりつつある「フィールドワーク」偏重の限界と問題点を、まったく反省していないからです。遠くまで出かけて行けば現実が見えるわけではない。日常の中で感じた充実感やとりわけ違和感を、批判的な、思想的な眼差しにまで深めていって、ではその現実とどう向き合い、その現実をどう変えるのかということを自分の中で問い詰めていく作業、大学生時代に可能な最大の体験であるこの作業がないままに、大旅行やフィールドワークや企業研修などによる体験は生かせるはずがない、と私は思います。真の意味で大学からはみ出ていくそういう日常との対決がないままに、この対決との回路がないままに、外国や「実社会」でいくら珍しいものを見ても、いくら思いがけない体験をしても、私は駄目だと思います。

ナショナル・リーダー



そして最後に、もうこの国家社会は駄目なんじゃないかと思うのは、少数のナショナル・リーダーを必要とする社会になってしまったことです。「ナショナル・リーダー」とここで初めて言いました。「グローバル・リーダー」ではありません。意図されているのはナショナル・リーダーです。先ほどからの話で分かっていただけると思います。グローバル・リーダーというのは言葉のあやにすぎない。私は昔、文学が好きな文学青年、今は文学老人なので、ここで最後に文学表現者が語った言葉を引用したいと思います。ベルトルト・ブレヒトというへそ曲がりの劇作家、詩人がいました。この人がある戯曲の中で登場人物を向き合わせて二つの台詞を語らせます。一人がその国の現状を憂えて「英雄がいない国は不幸だ」と言うんですね。そうすると、もう一人の人物が「英雄を必要とする国が不幸なのだ」と言うんです。私はブレヒトがあまり好きではないんですけど、これはとてもいいなあと思います。この「英雄」を、「リーダー」に置き換えてみればいい。今の社会がしっかりするために、とりわけ国家がしっかりするためには、しっかりしたリーダーがいなければならない。それなのに私達のこの現実にはそういうリーダーがいない。だから私達は本当に不幸だ、と皆考えている。だから、そういうリーダーを、グローバル・リーダーであるナショナル・リーダーを、教育は育成しなければならない。教育が「実学」である以上は、そういうリーダーを育成するべきである。――そうではないんだ。そういうリーダーを必要とするような社会が不幸なんだ。つまり、私達自身が作っていくもの、リーダーに託するはずのものではないものを、偉大なリーダー、有能なリーダーに託してしまうほうが、よほど私達自身の貧しさ、そして不幸を物語っているわけですね。皆さんは今、グローバル・リーダーになっていく道を与えられている側ですけれども、本当はグローバル・リーダーを必要とするような社会が不幸なのに、それを必要としなければいけないかのように、それが生まれることは幸せであるかのように、思い込まされている人々が沢山いるんだという現実から、ぜひ出発していきたいと思います。そういう現実の中で、そういう人達を肥やしにして、自分が独裁者に成り上がっていこうとする、つまり強いナショナル・リーダーに成り上がっていこうとする政治家が、マスコミによって担ぎまわられているわけです。この現状を私達が本当に批判するためには、強い頼れるリーダーが必要だと感じている人々と、自分たちにグローバル・リーダーへの道を説く大学とを、ともに自分自身の問題として引き受けなければならないでしょう。この両者、つまりグローバル人材の育成を目標の一つとして掲げる独裁者志望の国粋主義政治家と、グローバル・リーダーという名のナショナル・リーダーの育成を教育目標として掲げる大学とが、時を同じくして出現したということは、とても象徴的です。橋下という政治家の文化敵視も、京大思修館の茶室も、どちらも時代錯誤に違いないのですが、この時代錯誤の中に、私たちは現在のこの国家社会で私たちはどのように生きるのかというテーマと向き合うための様々な示唆と手がかりを見出すことができるわけですから、この絶好の機会を無駄にせず、ぜひとも生かしていきたいと思います。(了)



いけだ・ひろし

1940年生まれ。慶應義塾大学・大学院で独文学を専攻。1968年から2004年まで京都大学で教鞭をとる。京都大学名誉教授。現・京都精華大学客員教授。主要研究領域は、ナチスドイツ、天皇制日本など広義のファシズム社会における表現文化。著書に『〔海外進出文学〕論』(全5巻)、『虚構のナチズム』、『池田浩士コレクション』(全10巻)など。

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