〈寄稿〉東アジアの学生新聞事情(2012.11.16)

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文部行政や大学当局の口から「国際化」、「グローバル化」といった単語が声高に叫ばれ、その良し悪しはともかく様々な施策が各大学で展開されている。その一方で、学生新聞の視野は未だ国内にとどまったままだ。そうした状況を突破する一歩として、また海外の学生新聞の様子を知りたいという好奇心から、韓国はソウル大学の『大学新聞』と、台湾(中華民国)は台湾大学の『台大学生報』の編集員に、それぞれの学生新聞の活動と大学の状況について、寄稿して頂いた。(編集部)

台湾大学 『台大学生報』

衰退後の再出発―順調に発展する台大学生報~游任博(台大学生報社前社長) 訳/何ろく~

国立台湾大学の学生会の前身は、学生代表聯合会といい、「台大学生報」の前身は同様に「代聯会訊」といいます。台湾大学学生会成立ののち、同会発行の「台大学生報」は民国77年(1988年)9月22日に創刊する運びとなりました。中立かつ客観的な立場を旨とし、創刊後3年目の民国79年(1990年)からは台大学生会から独立し、台大学生報社として大学に登録するサークルとなりました。

しかし、経営不振により、社員の人数と経費の不足が深刻であり、民国96年(2007年)ごろにいったんは停刊を余儀なくされることになります。その2年後、台大新聞所の教員に指導を仰ぎ、冬休みに3日間の日程で「2009年冬期休暇新聞制作合宿」を開催するにこぎつけ、台大学生報社は改めて活動を再開するに至りました。「冬期休暇新聞制作合宿」は、2009年から今年に至るまで毎年開催を続け、参加人数は増え続けています。講師陣も、学術界出身者だけでなく、産業界出身の方にまでひろがるようになってい ます。2年前には、台湾壱伝媒グループに見学しにいっています。

台大学生報の主な報道テーマは、台大の人物、出来事、物にかかわることをとりあげており、主な読者層は台大の教員、学生です。台湾8・8豪雨のさいには、台大学生会、大学新聞社、意識報社と協力し、被災地で救援活動を行う救難隊員や行政機関の取材をし、「台大8・8水災援助行動報告書」を出版しました。(110期)

台湾の大学新聞において、最大規模を持っているのは、国立政治大学新聞学部の学生が、実際の新聞社の取材・編集を模して発行している「大学報」です。大学報では、高学年の学生が低学年の学生を率い、教員は助言に徹しています。「大学報」は、1個学期に14回発行し、 毎号1万部を発行しています。しかし、時代の変化もあり、「大学報」は、今年で紙媒体による発行を終了し、電子形式での発行に移行します。なお、他大学にも、世新大学の小世界大文山社区報、銘伝大学の銘報などの新聞が存在しています。

上述の新聞は皆、新聞学部の学生が実習として発行しているもので、それにくらべると、新聞学と関係のない学園で発行する私たちのような新聞は、社員数や経費、内容の質の面などで困難に直面することがあります。

現在の大学生が参加しているサークル組織は、20年前の学生運動が盛んだった時代とは違い、現在においては、公共的・社会的な問題を取り扱うサークル組織は、ボランティアや芸術・スポーツ関連のサークル組織には、勢力の面でかなわない、と述べた学者もおり、この点で、台湾の大学新聞の運営はやはり困難があります。

近年、台湾のメディアを取り巻く環境は急速に悪化を極め、過度の商業的競争は、台湾の新聞のレベルの低下、新聞の娯楽化、性のますますの商品化、メディアの寡占化などを招いています。今年おこった、「旺中グループ」というメディアグループに対抗する運動(「反旺中運動」)には、国内の多くの大学生が、積極的に参加しましたが、このことは、大学生にも社会的な問題への関心がいまだ存在していることを示しました。

私たち大学新聞を取り巻く状況にかんがみて、台湾の大学メディアは、改革を考えてゆく必要があります。たとえば、読者層を改めて定義しなおしたり、学術と実社会の融合を図ったり、インターネットを通したデジタル配信を実施したり、さらには、連合組織を確立するなどがあげられます。台大学生報社は、こうした学園メディア経営における苦境の中においても、不断に発展成長し、台湾の学園メディアの中でより高い地位を占めるよう努める所存です。

京大新聞編集部による注釈
8・8豪雨
2009年8月4日に発生した台風8号(アジア名:莫拉克モーリコット台風)による豪雨で引き起こされた災害。主な被害が8月8日に発生したことからこう呼ばれている。死者645名、行方不明者66名をだし、ほかにも浸水戸数12万戸以上、農林水産業の損害や道路棟公共施設の破損など、台湾に莫大な被害をもたらした。

壱伝媒
香港に拠点をおくメディア企業グループ。大衆紙『蘋果日報』を発行し、反中国、親民主は的な論調で知られる。今年10月に台湾の雑誌、新聞、衛星テレビ局事業を、中国信託金融控股(中信金)のオーナー一族の辜仲諒に売却する事を発表したが、「旺中グループ」をめぐる問題と同様、異業種(この場合は金融)の巨大企業がメディアグループを傘下にもつことの是非や、有力オーナーのもとで編集権の独立が守られるのかといった点をめぐり、論議が起こっている。

反「旺中グループ」運動
台湾のメディア集団「旺旺中時グループ(以下、旺中グループ)」とその所有者である実業家•蔡衍明氏に対する広範な抗議運動。旺中グループはせんべい、菓子類の生産販売を中心とする食品製造企業群であり、本社拠点こそ台湾であるが、1990年代以降の大陸進出により、いまでは大陸中国の売上比率が9割を超え、「中国色」が非常に強い企業といわれている。

この旺中グループは、2008年に『中国時報』『工商時報』といった有力紙や、衛星テレビ局の中天電視、地上波テレビ局の中国電視をもつメディアグループ、中国時報グループを買収した。対中依存度の高い旺中グループが巨大メディアを傘下に収める事については、当初から懸念が示されていたが、その後オーナーの意向に反する反中国、反国民党的な報道をした貴社の処罰や、オーナー自身の「両岸(台湾と中国)は遅かれ早かれ統一する」「天安門事件での死者は、本当はさほど多くない」といった発言が物議をかもし、今年に入り、学者やNGOが中心となって「中国時報ボイコット(寄稿拒否)」運動が展開された。

これにとどまらず、旺中グループはケーブルテレビ企業の買収にも動き、計画自体はニュースチャンネルを分離するなど条件付きで認可されたのふぁが、これに懸念を示す審議会委員にたいする参加メディアを駆使したバッシング報道や、反対運動は「やらせ」という恣意的な報道を展開した。こうした一連の動きがさらに反対運動を昂揚させ、7月31日にはFacebook上などでつながった学生700人の抗議行動、9月1日の「記者デー」には、メディア寡占化反対、新聞の独立の確立などをうったえり6000〜9000人規模のデモが展開されるなどした。

原文

寂後再出發! 臺大學生報穩定發展中!~游任博(臺大學生報社前社長)~

國立臺灣大學(臺大)學生會前身為學生代表聯合會,《臺大學生報》前身即為《代聯會訊》。臺大學生會成立後,其所發行的《臺大學生報》創刊於民國77年9月22日。然為求立場中立客觀,自民國79年第三期後獨立,脫離臺大學生會,成立臺大學生報社,成為向學校登記、一個獨立運作之社團。

但由於經營不善,社員人數及經費不足,在民國96年左右逐漸 寂而停刊。約兩年光景後,自民國98年重新運作,在寒假舉辦為期三天的「2009寒假新聞工作坊」,邀請臺大新聞所師資指導,社團自此重新開始運作。「寒假新聞工作坊」從2009年至2012為止也連續舉辦了四屆,參與人數更不斷增加,師資陣容也從學術界擴大到學術、產業兼具,並兩度前往臺灣壹傳媒集團參訪。

臺大學生報的報導題材多關注於和臺大的人、事、物有關之議題,閱報族群也以臺大師生為主。在臺灣八八風災時,與臺大學生會、大學新聞社、意識報社共同合作,採訪進入災區的服務隊員與相關單位,出版「臺大八八水災援助行動報告書」(第110期)。

在臺灣校園媒體中,最具規模的是國立政治大學新聞學系學生模擬報社流程的實習媒體《大學報》,由高年級帶領低年級,老師則從旁指導。《大學報》一學期出刊十四期,每期發行一萬份,但由於數位化時代的來臨,《大學報》在今年正式停止發行實體報紙,改以電子報形式出刊。而其他校園媒體尚有世新大學小世界大文山社區報、銘傳大學銘報等等。

上述其他的校園媒體都是該校新聞科系的實習媒體,所以像我們這樣與新聞科系無關的校園媒體,在社員人數、經費、新聞素質等上都會面臨到困難。

之前有學者表示,現在大學生所參加的社團和20年前學運蓬勃發展的年代不同,現在關注公共議題的社團不敵服務性、才藝性等社團,因此臺灣校園媒體在經營上漸趨困難。

近年來,臺灣媒體環境急速惡化,過度的商業資本競爭,導致臺灣新聞水準低落、新聞娛樂化、置入性行銷嚴重、媒體所有權集中等。在今年的「反旺中」運動中,有許多國內大學生積極、熱烈的參與,由此可知大學生對於公共事務仍然相當關心。

因此臺灣校園媒體只要做適當的調整與改變,例如重新定義服務對象、融合學術與實務、結合網路數位行銷、甚至進行策略結盟等。所以臺大學生報社在校園媒體經營的困境中,將不斷成長茁壯,期許成為臺灣校園媒體中的翹楚。

ソウル大学 『大学新聞』

釣り合いにかけられる大学メディア~チョン・ヘギョン(大学新聞副編集長) 訳/安室 鈴~

ソウル大学法人が出帆した翌年である2012年、ソウル大学と歴史の軌を共にして来た「大学新聞」は60歳を迎えた。これを記念し、「大学新聞」ではその間「大学新聞」が経た前期の歴史や、現在の状況および未来に関する提言を込めた企画記事や写真展を含む数々の行事を開催した。

「ソウル大学」の名称が含まれていない、ソウル大学の公式学報「大学新聞」の題号には、韓国戦争という歴史の傷痕が残っている。「大学新聞」は、大学の戦時連合体制の下で講義を受けていたテント講義室の中の様々な大韓民国の大学生たちにより誕生した。初期、数々の大学に所属する学生たちが連合して作ったこの新聞は、時を経るに連れソウル大学所属の学生を中心に再編され、戦後、他大出身の学生たちはそれぞれの題号を持ち各々の大学に戻り学報を作っていった。

反面、ソウル大学出身の学生たちが作る新聞は依然と「大学新聞」という名を掲げ戦後も面々と続き、以後公式に認定されたソウル大学学報のアイデンティティーも、自然と「大学新聞」に根付くようになった。

一つの大学の学報が、すべての大学の新聞を先導するというようなイメージの題号を持つのは不当である、という指摘から、認知度を上げ、差別化を図る為、「ソウル大学新聞」という名に改称しよう、という指摘まで、 60年という歳月の中、「大学新聞」 という題号に関連する無数の論争が行われたが、避難中の劣悪な環境の中でも学業への意志を燃やし、大学言論の存在の必要性を痛感したテント講義室の学生たちの精神を受け継ぐ為、「大学新聞」は今までこの名を持つソウル大学の学報であると自認して来た。

学報の現実と危機
他の同時代学報と同様、戦後の収拾期と民主化の時期を経る中で、「大学新聞」の報道は大学の変化や学内の民主化闘争を記録し、構成員たちの主要な情報伝達媒体として機能していたことが事実である。購読率のみならず、学内外の議題掌握力においても高い位相を占めた。

しかし前期実施した「大学新聞」のアンケートによると、1999年当時購読率が77%に達していたのに比べ、34・7%に減少したと確認された。

さらに、学部生を対象としたアンケートの結果、75・1%の応答者たちが『「大学新聞」を知っている』と答えたが、『「大学新聞」を読む』という応答はその中の46・4%に過ぎなかった。

学内構成員に対する訴求力と位相の問題とは別に、学報社の規模や新体にも危機が相次いでいる。「大学新聞」は、全国の大学学報社の中でも事情が比較的良好な方である。「大学新聞」は週間新聞であり、自体の広告費と共に大学本部から相当部分の財政支援を受けている。

平均30人強の学生記者と、諮問委員及び週間/副週間教授陣6名、大学院生諮問団3名、広告及び新聞発行に関する業務に務める業務局2名が、毎週20面の新聞を作る。しかし、ソウル圏所在の大学の内、一つの週に新聞一つを出すところは10ヶ所ほどに過ぎない。多くの学報社は劣悪な人力受給と財政、及び編集の独立性問題で奮闘しているのが現実だ。

実質、記者の業務は少なくない方である。「大学新聞」 の場合、記者が新聞社で徹夜をする日は大抵一週間に二日以上である。もちろんこれは新聞社の建物の中で業務を行う公式の業務時間を意味し、この他に新聞社の外で記事の為に取材を行う時間をさらに足さなければならない。デスクの場合、業務はそれ以上に多い。

木曜から始まる造版作業は、土曜から日曜に日付が変わる夜中の時間まで続き、日曜の朝になれば蜜のような睡眠が許される。このような新聞社の辛い業務は、就職難に直面し、単位取得や各種外部活動などの多様な分野に全て没頭しなければいけない大学生たちにとって、大きいプレッシャーとして作用している事が現実だ。これにより、多くの記者が制作途中に記者職を離脱するのだが、これもまた新聞の質に大きな影響を与える。

記者たちの離脱と購読率の低下、減って行く全体面数に対し、相対的に低下する記者の質、学生記者と大学当局間の編集権闘争及び自由権の縮小などの多面的な危機の中にある学報の現実は、学生社会の没落と密接に関連している。

民主化闘争の時期に、学内構成員たちの求心点の役割を果たしていた総生徒会選挙や、基層単位代表たちの集いであった全体学生代表者会議、全体の学生たちの総意を集める学生総会が、最低投票率と定足数を満たすことが出来ず相次いで霧散している様子は、急激に衰退している学生公論場の現住所をはっきりと示している。このような状態の中、社会の動向と公的議題を扱う学報の位相は共に下がっていった。先程言及した「大学新聞」のアンケートで、危機的状況の大学新聞に対する助言を求める問項に、21・1%の学生が「就職/奨学金の申請など、学生たちの興味に合わせたコンテンツの多様化」を選んだという点で、学生社会のニュースを主に扱う「大学新聞」のコンテンツの設定方向についても悩まざるを得なくなった。

本格的にIT社会が到来し、構成員が接することができる情報への通路が広くなった事も、 学報の役割縮小を促した。学校のニュースや行政案内を含め、各種議題は今ではインターネットコミュニティ、学校本部のポータルサイトなどを通じて伝達、形成されている。

学報は言論なのか
事実上、学報の存続の為にインターネット上のホームページやモバイルアプリケーション、読者と意思疎通できる窓口の積極的な設置などの方法的側面の革新と共に、重要なのは時代精神に付合する社会議題を用意する事である。すなわち、大学社会内で抑圧され、疎外されやすい階層の声を代弁し、言及されてこなかった諸問題を公的な論議の場に呼んでくる事が、今の様な 「情報量産」の時代に、学報が言論として自らのあるべき位置を占める事ができるための条件である。

「大学新聞」はこの様な問題意識の下で、大学内で痼疾的に繰り返される諸議題を研究している。法人ソウル大学の行路に対する提言、教養教育体系の再編と、施設労働者たちの待遇改善問題、大学院生の人権の実態問題などという議題が代表的である。特に、大学院生の人権の実態に対する持続的な報道や喚起は、最近有意義な成果を出している。学内人権センター開所や、人権センターで発表した深刻な大学院生への人権侵害事例は、最近は正式な言論、日刊紙などで述べられ、この問題に対する代案の模索という次元で「大学新聞」が開催した座談会では、各分野の専門家たちと実際の大学院生たちが各自の意見を共有し、改善のために話し合った有意義な場であったと、恥ずかしながら自負している。

学校本部、教職員、学生など多様な学内構成員たちの声を公正に伝達する事も学報が担う事のできる役割である。大学学報は、大学内で認定された公式新聞だ。特定勢力に偏った報道を止揚し、できる限り公正に学内で起こった一連の事態を記録する「歴史記録館」の役割を担うのである。学校本部も、「大学新聞」に良質な情報を供給し、学生とのコミュニケーションツールを設けるため、 毎月一度「大学新聞」デスクと、大学本部で補職に務めている教授たちとの懇談会を開くなどの支援を行っている。

学報の未来
政派性や商業性から相対的に自由な大学言論は、純粋に公益に奉仕し、共同体の未来を客観的な立場で提示するという言論の理想を実現できる、とても稀な機会であるかもしれない。もちろんこのためには、この様な言論の必要性に対する大学本部の共感と支援が必要だ。学報もまた、先鋭な資本の原理から独立できるという特権を有するものとして、公共財としての機能を果たす為に、絶え間ない自己反省と議題の研究に尽力すべきだろう。

学報は没落する学生社会が持つ最後のとりでだ。もちろん、学生達の無関心や冷笑にも怯まず学生組織や学内政治に関するニュースを伝え続ける学報の姿は、へたをすれば時代錯誤的に写ってしまう恐れもある。半分ほどに割れてしまった購読率が学報の記者を緊張させている事も事実だ。しかし、次第に大学生の破片化や個人化が深まり、 私益に優先する「共同体」は理想の中でのみ存在する観念と化している現実の中でも、新たな公論の場の可能性を容易く諦めず、また、絶えず悩み続ける誰かが、大学のキャンパスの中には居なければならない。古い理論だけを再生産する閉鎖された学生政治組織の根本問題を指摘しつつも、学生社会の再建と復興に対する確信を失わず、大学内で疎外された者たちの声を伝えているという誇り、これが半分に割れた購読率にも関わらず、辞任した同僚たちが去っていった席で、学報社の記者たちが挫けず自らの夜を新聞制作につぎ込む理由である。

読者の去った言論は空虚だ。学報が思惟する若者たちの「時代精神」が独善にならない為には、常に片手には疎通の道具と刷新の意志を持っていなければならない。しかし、もう片手には、急変する事態の流れから独立して存在する公共善のための倫理学が位置している必要がある。この熾烈な天秤の上で、学報の存在意義と未来を作り出すことは可能になるだろう。

原文

균형추 위의 대학 언론~정혜경(부편집장)~

서울대 법인 출범 원년 이듬해인 년 서울대와 2012 , 역사의 궤를 함께한 학보『대학신문』이 60돌을 맞았다. 이를 기념해 지난 1학기 『대학신문』에서는 그간 『대학신문』이 거쳤던 역사와 현재의 상황 및 미래에 관한 제언을 담은 기획 기사, 사진전을 비롯한 여러 행사를 개최하기도 했다.

‘서울대’ 명칭이 포함되지 않은 서울대 공식 학보 『대학신문』의 제호에는 한국 전쟁이라는 역사의 상흔이 남아있다. 『대학신문』은 대학 전시 연합 체제 하에서 강의를 들었던 천막 강의실 안 각양각색 대한민국의 대학생들에 의해 탄생했다. 초기 여러 대학 소속 학생들이 연합해 만든 이 신문은 시간이 지날수록 서울대 소속 학생들을 중심으로 재편되었고 전후 타대 출신의 학생들은 저마다의 제호를 가지고 각자의 학교로 돌아가 학보를 꾸려갔다.

한편 서울대 출신 학생들이 만드는 신문은 여전히 『대학신문』이라는 이름을 걸고 전후에도 면면히 이어졌고 자연스럽게 이후 공식 인정된 서울대 학보의 정체성도 『대학신문』에뿌리박게 되었다.

한 대학의 학보가 모든 대학의 신문을 선도한다는 느낌의 제호를 갖는 것은 부당하다는 지적에서부터 인지도와 차별성을 위해 ‘서울대신문’이라는 이름으로 개칭을 하자는 지적까지.60년 세월 동안 ‘대학신문’이라는 제호에 얽힌 무수한 논쟁이 이뤄졌지만 피난 중 열악한환경에서도 학업에 대한 의지를 불태우고 대학 언론의 존재 필요성을 절감했던 천막 강의학생들의 정신을 이어받고자 『대학신문』은 여태껏 이 이름의 서울대 학보로 자임해왔다.

◇학보의 현실과 위기=여타 동시대 학보들과 마찬가지로 전후 수습기와 민주화시기를 거치는 동안 『대학신문』의 보도는 대학의 변화와 학내 민주 항쟁을 기록하며 구성원들의 주요한 정보 전달 매체로 기능했던 것이 사실이다. 구독률 뿐 아니라 학내외 의제 장악력에서도높은 위상을 점했다.

그러나 지난 1학기 실시한 『대학신문』 설문조사에 따르면 1999년 당시 구독률이 77%에달했던 것에 비해 34.7%로 감소한 것으로 확인됐다. 뿐만 아니라 학부생을 대상으로 한 설문 결과 75.1%의 응답자들이 ‘『대학신문』을 알고 있다’고 답했지만 ‘『대학신문』을 읽는다’는 대답은 그중 46.4%에 지나지 않았다.

학내 구성원들에 대한 소구력과 위상 문제와는 별개로 학보사의 규모와 신체에서도 위기가따르고 있다. 『대학신문』은 전국 대학학보사 중에서도 사정이 그나마 나은 편이다. 『대학신문』은 주간 신문으로 자체 광고비와 함께 대학 본부로부터도 상당 부분의 재정을 지원받고 있다. 평균 30여명의 학생 기자와 자문위원 및 주간․부주간 교수진 6명, 대학원생 자문단 3명, 광고 및 신문 발행에 관한 업무를 도맡는 업무국 2인이 매주 20면의 신문을 만든다. 그러나 서울권 소재 대학 중 한 주에 신문 하나를 내는 곳은 10군데 정도에 불과하다. 상당수의 학보사는 열악한 인력 수급과 재정 및 편집의 독립성 문제로 분투 중인 것이현실이다.

실질적으로 기자들의 업무는 적지 않은 편이다. 『대학신문』의 경우 대개 기자들이 신문사에서 밤을 새는 시간은 일주일에 이틀 이상이다. 물론 이는 신문사 건물 안에서 업무를 하게 되는 공식적인 업무 시간을 뜻하고 그 외에 신문사 밖에서 기사를 위해 취재를 하는 시간은 따로 더해야 한다. 데스크의 경우 업무는 더 많다. 목요일부터 시작되는 조판 작업은토요일에서 일요일로 넘어가는 새벽 시간까지 지속되며 일요일 아침이 되어서야 꿀맛 같은잠이 허용된다. 이러한 신문사의 고된 업무는 취업난을 맞아 학점, 각종 외부 활동 등 다양한 분야에 모두 몰두해야 하는 대학생들에게 큰 부담으로 작용하는 것이 현실이다. 그래서상당수의 기자들이 제작 도중에 기자직을 이탈하곤 하는데, 이 역시 신문의 질에 큰 영향을미친다.

기자 이탈과 구독률 저하 줄어드는 전체 면수에 비해 , 상대적으로 떨어지는 기사의 질, 학생기자와 학교 당국 간 편집권 투쟁 및 자율권 축소 등 다면적인 위기를 겪고 있는 학보의현실은 학생 사회의 몰락과 밀접하게 연관돼 있다. 민주화시기 학내 구성원들의 구심점 역할을 했던 총학생회 선거와 기층 단위 대표들의 모임인 전체학생대표자회의, 전체 학생들의총의를 모으는 학생 총회가 최저 투표율과 정족수를 충족하지 못해 연이어 무산되고 있는모습은 급격하게 쇠퇴하고 있는 학내 공론장의 현주소를 분명히 말해주고 있다. 이러한 상태에서 학생 사회의 동향과 공적 의제를 다루는 학보의 위상은 함께 낮아졌다. 앞서 언급한『대학신문』의 설문에서 위기의 대학신문에 대한 조언을 묻는 문항에 21.1%의 학생들이‘취업/장학금 신청 등 학생들의 관심사에 맞춘 콘텐츠 다양화’를 꼽았다는 점은 학생 사회소식을 큰 비중으로 다루는 『대학신문』의 콘텐츠 설정 향방에 대해서도 고민을 낳았다.

본격적으로 IT 사회가 도래하면서 구성원들이 접할 수 있는 정보의 통로가 넓어졌다는 것도 학보 역할 축소에 일조했다. 학교 소식이나 행정 안내를 비롯해 각종 의제들은 이제 인터넷 커뮤니티, 학교 본부의 포털 등을 통해 전달․형성되고 있다.

◇학보는 언론인가=실상 학보의 존속을 위해 인터넷 홈페이지, 모바일 어플리케이션, 독자와 소통할 수 있는 창구의 적극적인 마련 등 방법적 측면의 혁신과 더불어 중요한 것은 시대정신에 부합하는 사회 의제를 마련하는 일이다. 즉 대학 사회 내에서 억압받고 소외되기쉬운 계층의 목소리를 대변하고 언급되지 못했던 문제들을 공적인 논의의 장으로 불러오는것이 오늘날과 같은 ‘정보 양산’의 시대에 학보가 언론으로서 제 위치를 점할 수 있는 조건이다.

『대학신문』은 이러한 문제의식 하에서 대학 내에 고질적으로 반복되는 의제들을 연구하고있다. 법인 서울대의 행로에 대한 제언, 교양 교육 체계 개편과 시설 노동자들의 처우 개선문제, 대학원생들의 인권 실태 문제와 같은 의제들이 대표적이다. 특히 대학원생 인권 실태에 대한 지속적인 보도와 환기는 최근 의미 있는 성과를 얻어내기도 했다. 학내 인권 센터개소와 인권 센터에서 발표한 심각한 대학원생들의 인권 침해 사례들은 최근 정식 언론 일간지 등에서 상당히 회자됐고 이 문제에 대한 대안 모색 차원에서 『대학신문』이 개최한좌담회에서는 각 분야 전문가들과 실제 대학원생들이 각자의 의견을 공유하고 개선책을 위해 토의했던 의미 있는 자리였다고 조심스럽게 자평한다.

학교 본부, 교직원, 학생 등 다양한 학내 구성원들의 목소리를 공정하게 전달하는 것도 학보가 할 수 있는 역할이다. 대학학보는 대학 내 인정되는 공식 신문이다. 특정 세력에 편중된 보도를 지양하고 최대한 공정하게 학교에서 벌어진 일련의 사태를 기록하는 ‘역사 기록관’의 역할을 하는 것이다. 학교 본부에서도 『대학신문』에 양질의 정보를 공급하고 학생들과 소통 창구를 마련하기 위해 매달 한 번씩 『대학신문』 데스크와 본부에서 보직을 맡고 있는 교수들과의 간담회를 마련하는 등 지원하고 있다.

◇학보의 미래=정파성과 상업성으로부터 상대적으로 자유로운 대학 언론은 순수하게 공익에 봉사하고 공동체의 미래를 객관적인 입장에서 제시하는 언론의 이상을 실현할 수 있는매우 드문 기회일지도 모른다. 물론 이를 위해서는 이러한 언론의 필요성에 대한 대학 본부의 공감과 지원이 필요하다. 학보 역시 첨예한 자본의 원리에서 독립할 수 있는 특권을 누리는 만큼 공공재로서의 기능을 충족시키기 위해 끊임없는 자기 성찰과 의제 연구에 힘써야할 것이다.

학보는 몰락하는 학생 사회가 가진 최후의 보루다. 물론 학생들의 무관심과 냉소적인 반응에도 꾸준히 학생 조직과 학내 정치에 관한 소식을 전달하는 학보의 모습은 자칫 시대착오적으로 비칠 우려가 있다 절반가량 토막이 난 구독률이 . 학보 기자들을 긴장하게 하는 것도사실이다. 그러나 점차 대학생들의 파편화, 개인화가 심화되고 사익에 우선하는 ‘공동체’는이상 속에서만 존재하는 관념으로 화(化)하고 있는 현실에서도 새로운 공론장의 가능성을쉽게 포기하지 않고 꾸준히 고민하는 누군가가 대학 캠퍼스 안에 있어야 한다. 낡은 이론만을 재생산하는 폐쇄된 학생 정치 조직의 근본적인 문제를 지적하면서도 학생 사회의 재건과부흥에 대한 믿음을 잃지 않고 대학 내 소외된 이들의 목소리를 전한다는 자부심, 이것이반토막난 구독률에도, 이탈하는 동료들이 떠나간 자리에도 학보사 기자들이 꿋꿋이 자신의밤을 신문 제작에 쏟는 까닭이다.

독자가 떠난 언론은 공허하다. 학보가 사유하는 젊은이들의 ‘시대정신’이 독선이 되지 않기위해서는 끊임없이 한 쪽 손에는 소통의 도구와 쇄신의 의지를 들고 있어야 한다. 그러나다른 한 쪽에는 급변하는 시대 흐름에 독립적으로 존재하는 공공선을 위한 윤리학이 자리해야 한다. 이 치열한 균형추 위에서 학보의 존재 의의와 미래가 마련될 수 있을 것이다.

Keywords

大学のユニバーサル化、私学中心

台湾では、18ー21歳人口の高等教育在籍率(いわゆる進学率)が2005年で57.42%と、ユニバーサル(大衆化)段階に入っている。大学を国公私立の形態別にみると、国公立が54校、私立が108校と、私学が約67%を占める。学生数(院生を含める)をみるも、総数130万名の中、国公立の学生は38万5千名と約30%にとどまり、私立大学が70%の学生を収容している。また、普通大学生と職業技術教育を施す技術系学生がほぼ半分ずつの割合だ。

韓国の高校卒業者進学率は2008年で 87・9%に上っており、進学者の 80・1%は大学に進んでいる。高等教育機関は在学者全体の 6 割強を占める大学・産業大学・教育大学と 3割弱を占める専門大学(日本の短期大学従来からあった短期大学、専門学校、看護学校等を改組されてつくられた)が中心で、その他に放送・通信大学などがある。形態別にみると、国公立が51校に対し、私立が298校で84%、学生数(学部生のみ)も、総數313万名のうち、国公立の学生が77万名、私立の学生が235万人と、私立大学が学生の4分の3を収容している。

国立大学の法人化

日本では2003年7月に成立した国立大学法人法によって、翌2004年4月より国立大学は法人化されたが、時期を前後して台湾、韓国でも同様の動きがあった。

台湾では2003年に国立大学法人化を盛り込んだ大学法修正案が閣議決定された。これは、国立機関を維持するか独立した法人になるかを各大学の選択にまかせるなど、日本と異なり「柔軟」ではあるが、1994年大学法に規定された大学の自治重視に加えて、効率化の要素も盛り込むものだった。ただしこの修正案は2005年10月の国会で否決され、国立大学制度は維持されることになった。現在では、予算のプールが可能になるなど、国立機関を維持しながら融通のきく制度を実現している。 一方韓国では、2007年3月、教育人的資源部が大学運営の効率化を目指して「国立大学法人の設立・運営に関する特別法(案)」の立法化を表明したが、大学関係者の反発を受け、国会の提出されることはなかった。しかしこれと別に同年4月、個別特定の大学に関して国立大学法人として設置・運営する法律「国立大学法人蔚出科学技術大学校法」が制定された。日本と台湾の折衷のようなかたちで、段階的に個別の大学を法人化していく流れのようだ。なお、2011年にソウル大学も法人化されたが、その際には大学自治の縮減等から学生の間でも反対運動が起き、総長室が1か月ほど占拠される事態となった。

参考資料
岡村志嘉子「台湾の国立大学行政法人化 「大学法」 改正案の焦点」国立国会図書館編『レファレンス03年8月号』、楊思偉「台湾の国立大学法人化に関する予定政策の分析」国立大学財務・経営センター『大学財務経営研究第4号(07年8月)』 、井手弘人 「──「情報公開」の推進で競争環境再編を図る韓国 韓国の高等教育戦略」『カレッジマネジメント163』、水田健輔・金泰勲・金鉉玉・朴炫貞「 韓国における高等教育制度と大学の設置形態」『文部科学省09 年度先導的大学改革推進委託事業「大学の設置形態に関する調査研究」報告書』

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