文化

〈企画〉編集員海外渡航記 カンボジア

2012.10.17

せっかく海外に旅行するのであれば、非日常的な体験をしたい。記者はそう思いながらカンボジアに旅立った。アンコールワット近郊の観光都市であるシェムリアップに滞在した4日間は、結果として記者にとってかなり濃密な経験となった。貧しいながらも経済成長の兆しを見せるこの街で、記者が見たカンボジアの光と影を書く。(P)



国境越え



シェムリアップまでの直行航空便は、あまり安価ではない。そのために、記者はバンコクの空港からシェムリアップまで陸路で向かった。バンコクから国境・アランヤプラテートまでは、午前3時30分発のバスに乗り、3、4時間ほどである。タイの田舎道は舗装されているもののガタガタであり、バスはそこを時速80キロほどで走るので、生命の危機を感じるほどの揺れだった。

国境近くで降りて、タクシーでビザオフィスに向かう。タイのアランヤプラテートからカンボジアのポイペトに出ることになる。運転手にビザのオフィスらしきところに直接連れて行かれるが、明らかに怪しく、手数料も公式の倍の値段であった。こういったぼったくりはよくあることだ。公式のビザオフィスに行っても、日本のパスポートを差し出すと200バーツ(約500円)の賄賂を要求された。それを渡すと出国書類も書きかけのまま通してくれた。

カンボジアの入国手続き所に着くと、首からIDカードをぶら下げた現地人が堪能な英語でシェムリアップまでのタクシーを斡旋してくる。もちろん最初は法外な値段をふっかけてくるので、交渉して下げさせる。それからシェムリアップまで、例のごとく猛スビードで走っていった。運転手はひっきりなしにノキアの携帯(タイやカンボジアではいたるところでノキアの着信音を聞く)で電話をしながら運転している。もちろん現地語で喋っているので何を話しているか分からないが、明らかに商売の話をしているのが分かった。

シェムリアップにて



「さあ着いたぞ」と降ろされたところは、みるからに辺鄙なところであった。にわかにトゥクトゥクの運転手が近づいてきて、「ホテルまでタダで連れて行ってあげる」と言う。タダほど怪しいものはないが、ここがどこかわからないので乗るしかなかった。そこから10分ほどのホテルで降ろされ、部屋を案内される。5ドルで泊まれるそうなので、そこに泊まることにした。

自らをタックと名乗る運転手はちゃっかり部屋まで入ってきて、地図を取り出してアンコールワット観光のコースを決め始めた。「俺が案内するぜ」と彼が言うので、流れに乗せられたまま、30分ほど後にフロントでまた合流することになった。ところが、5分後に「あっ忘れてた」という具合に再び部屋に入ってきて、「4日で16500円だからね」と言うのである。

アンコールワットのチケット代込みだといったが、それにしても相場の2倍ぐらいはあるのではないかという気がした。前払いではお金だけ持って行かれるのではないか、という懸念もあった。一方で記者に同行していた友人は、いちいち運転手をチャーターするのも面倒だしこれでいいのではないか、と言った。結局は交渉して15000円まで下げ、「ジャパニーズスタイル」などと言って指切りげんまんをさせられたのだった。

それからタックが「俺の実家のあるカントリーサイドに行こう」と言い出したので、シェムリアップ郊外の田舎に行くことになる。牛が闊歩していて、地平線が見えるようなカンボジアの原風景の中をトゥクトゥクで走り、タックの実家にたどり着いた。彼の甥と遊んでいると、タックは「i podを持っているか」と言う。差し出すと、おもむろにスピーカーに接続し、彼の知っている日本の音楽を流してくれた。彼が流したのはアジアン・カンフー・ジェネレーションやイエローモンキーといった日本のロックバンドの曲だった。カンボジアの原風景ともいえる田舎で、聞きなれた曲を聴くのは、何とも違和感があった。

雨が止んだら、もう夕方であった。「蛇の卵を食べないか」とニヤニヤしながら連れて行かれた料理屋で、名物であるアンコールビールを飲みながら、カエル、ネズミ、蛇、そして蛇の卵を食べた。味はどれもまずくはなかったが、蛇の卵のゴムのような食感だけはどうも苦手であった。

タックはスマートフォンを持っていて、フェイスブックで友達にならないかと言ってきた。カンボジアの若者は当たり前のように英語を話し、フェイスブックやユーチューブをよく利用する。貧しいとはいえども彼らがインターネットを利用することは、それがもはや必需品であることを示している。

川の上にある料理屋で、ハンモックに揺られながらぼんやりと田舎の風景を見ていると、先ほどぼったくられたことも許せるような気がしてきた。それにタックは22歳であり、記者とほとんど変わらない年齢で、巧みに観光客を相手に稼いでいるのだ。あまり責めてもしかたがない。そんなことを考えながら、再びホテルに戻り、48時間ぶりにベッドに伏した。

翌日、記者と友人は話し合って、宿を変えたいと言った。その理由は、日本人が多く泊まるというゲストハウスに泊まってみたかったからである。しかし、タックはその提案を拒否し、ここのホテルにあと2日タダで泊めるから、その日本人ゲストハウスには行くな、と言う。これはよく考えるとむちゃくちゃな提案である。タダで泊めるぐらいなら、記者たちが別のところに泊まってもお金が入らないという点では同じだ。

交渉しているうちに判明したのは、ホテルのオーナーとトゥクトゥクのオーナーが繋がっていて、同様に、記者たちが行こうとした日本人ゲストハウスにも専属のトゥクトゥク業者があるということだ。つまり、別の会社の縄張りでは仕事ができない、ということだ。そして別の会社に仕事を取られてしまったら、タックの取り分は100ドルから80ドルに減らされてしまうと彼は説明した。国境を出た時からすでに、タクシー、トゥクトゥク、そしてホテルと、右も左も分からない記者たちはカモにされていたということだ。

結局、記者たちは日本人ゲストハウスに宿を変えることにしたが、他の業者の縄張りであるそことは別のところで彼のトゥクトゥクを拾うという条件で納得してもらった。

湖と姉妹



それからアンコールワットとその近辺の遺跡は一通り見て回ったが、それは凡庸な遺跡体験であった。それよりも印象に残ったのは、シェムリアップ近郊にあるトンレサップ湖という琵琶湖のように大きな湖だ。ガイド一人と少年一人と同乗し、ボートに乗りこんでクルーズが始まる。多くの水上家屋がそびえたっており、ガイドによると政府が無償で貧しい人々の住居として提供しているようだ。ボートに同乗している少年もまた貧しいために働かざるをえない子どもで、彼は7歳にもかかわらず学校に行かずにボートを漕ぐ仕事をしていた。

途中、売店に寄って、小学生たちに寄付するための物品を買ってくれといわれる。友人とともに5ドルもする中国製の飴袋を買って、それを小学校に持っていった。飴を配ろうとすると、子どもたちは並ぶこともせず、一目散に飴を得ようとして飛びかかってくる。全員に配ろうとして手を高く上げて渡さずにいると、「ロウ(low)!」と怒りながら掴み合いになった。

ようやく配り終わった後で、一つだけ残しておいた飴をボートの少年にあげた。彼は自分が小学校に行けないことをどう思っているのだろうかと想像してしまった。

そうこうしているうちに最終日になった。最終日で思い出深かったのは、現地の同世代の姉妹と仲良くなったことである。姉妹はたまたま記者たちが現地で知り合った日本人と、数日前に夜の店で仲良くなったとのことだった。記者たちはその紹介を受けて、一緒にお酒を飲みながら談笑した。一応念を押すと、彼女らには一切お金を渡していないし関係も持っていない。彼女らは風俗嬢であり、お祖父さんが病気であるが家族が貧しいために体を売らざるをえないとのことだった。

彼女らは不本意な境遇を辛いと感じているだろうが、その一方で、お互い下手くそな英語でたわいのない冗談や恋愛の話を聞いていると、本質的には記者たちと変わらないどこにでもいる若者だということに思い至った。もっとも、いくら貧乏旅行といえども豊かで安全な帰るべき場所をもった旅行者たちと、どのような気持ちで接しているかを想像するのは難しい。

シェムリアップは観光客で賑わい、経済発展の最中にある。フェイスブックで「友達」になった姉妹や、タックはいつか、彼らももっと収入が安定した職につき、豊かになることを望むだろう。一方で、カンボジアで出会った人々の日本にはない素朴さも、マクドナルドが増えて高いビルが立ち並んでいくなかで、なくなってしまうかもしれない。個性を失わないように、かつ貧困から抜け出すためにはどうしたらよいだろうか。経済も人口も縮小していく日本の私たちが経験やノウハウを与え、これから発展する国からはその発展を分けてもらう。そんな若者と老人のような関係が成り立てば、この難題を解決するためののヒントが見つかるのではないかと思った。

The Cambodia Dailyを読む



カンボジアには、The Cambodia DailyというA4サイズの日刊紙がある。公式HPによると、当紙は93年に米国の実績あるジャーナリストによって創刊された非営利の英字新聞である。93年は国連の管理下で選挙が行われた年であり、創刊の目的は自由な報道によってカンボジアの民主主義を支えるとともに、ジャーナリストの育成を行うことだという。

1部1800リエル(約40円)で約30ページのこの新聞には、創刊者を含む数人の記者による独自の記事だけではなく、朝日新聞やガーディアン、ワシントンタイムズなどといった大手メディアと契約し購入または寄贈された記事も多く掲載されている。そのため、カンボジア国内だけでなく世界中のニュースを読むことができる。

実際に記事を紹介しよう。カラオケ店のオーナーが殺害されたといった事件記事や、プノンペンの下水道を整備して悪臭を駆逐する政府案、現地の新聞記者が政府の腐敗を伝えたところ名誉毀損で逮捕されたことなどが取り上げられている。そのほか、カンボジアのある地方で起きている農地開発企業による住民の立ち退かせについて、住民の反対運動が起こっていることが取り上げられている。

また、日本が、北朝鮮による拉致問題や尖閣諸島問題に対してASEANに求めている対応をカンボジアがとらなかったことに対して、カンボジアを非難しているという記事も掲載されている。背景には中国からのカンボジアへの巨額の資金貸与があるとのことだ。

未だに政治的混乱が続き、権力対反権力という図式が分かりやすいカンボジアにおいて、住民の側に立った記事を書くこうした新聞は大いに意義があると思った。HP(http://www.camnet.com.kh/cambodia.daily/)にもいくつか記事が抜粋されており、日本のジャーナリズムに対しても示唆の富む内容となっている。