「死」を通じて「生」を描く 第54回 未来フォーラム(2012.10.01)

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講師:作家・貴志祐介氏

9月26日、時計台記念館・百周年記念ホールで第54回未来フォーラムが催され、京大出身の作家・貴志祐介氏が「なぜエンターテインメントに残虐な表現が必要なのか」と題する講演を行った。

貴志氏は京大経済学部を卒業後、生命保険会社を経て作家に転身。1997年に『黒い家』で日本ホラー小説大賞、2008年に『新世界より』で日本SF大賞を受賞。また第1回山田風太郎賞に輝いた『悪の教典』の映画(監督:三池崇史)が今年11月に公開予定である。

講演ではまず、現代エンターテインメント小説が残虐な場面や表現を主題として取り扱う必要性について貴志氏が持論を展開した。共感能力を持たない教師が生徒を次々に殺害してゆくという衝撃的な内容の『悪の教典』をはじめ、貴志氏の小説には思わず目を背けたくなるような残虐な描写が散見される。こうした描写は倫理上、教育上の観点からしばしば非難の対象となるが、果たしてそれらは実際に人間の精神に悪影響を及ぼしうるのだろうか、と貴志氏は問題提起した。

第一に、そのような異論は現在までに正しいことが証明されておらず、批判する側の直観に基づくものにすぎない。虚構の中の暴力が現実に作用しうるという考えは、いわば「呪術」のようなものである。第二に、暴力的表現を含む小説やゲームは、現実世界における凶行の多発を説明づけるためのスケープゴートとして批判されやすい。しかし、もしそのような非難が許されるのであれば、どんなものでも暴力行為の遠因として説明できてしまうと貴志氏は指摘した。

そのような非難を受けるリスクを認めながら、なぜフィクションにおいて残虐行為が求められるのか。貴志氏はその要因として、登場人物を徹底的に追い詰めることによって読者に与える緊張感、そして、「死」を通じて「生」を描く可能性を挙げた。私たちの生きている社会は暴力の上に成り立っており、社会が揺らぐ局面においては暴力がその修復のために発動する。したがって、人間の攻撃的な部分が暴露されるとき、はじめて社会、そして人間の生の本質も明らかとなるのだという。

このような創作観を述べた後、東京都条例に代表される、暴力や脱法的行為の描写規制について、貴志氏は自身の危惧を表明した。氏が最も危険視するのは、そのような方向性の規制が進むことによって、表現の自由が侵害されるだけでなく、悪や暴力に対する心の免疫が損なわれてしまうことだという。「痛み」や「死」に対する想像力が圧殺されれば、共感能力のない大人を作ってしまう世の中になりかねない。現実は現実の範囲で対処した上で、そのような規制を設けず、自由なやり方で「生」を書いていくことの重要性を強調し、貴志氏は講演を終えた。

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