文化

新刊書評 尾池和夫『四季の地球科学 ー日本列島の時空を歩く』(岩波新書)

2012.09.16

“見る・食べる・学ぶ”で味わう日本の四季

四季を愉しむ余裕がない、と周囲でよく聞く。かく言う記者も、暑くなれば部屋の電気代を気にし、寒くなれば厚着を用意せねばという程度の生活感覚以外はなんら持ち合わせていない。毎年のごとく「京都市内 こんなに暑いと 聞いてない」と心のなかで恨み節を吟じている始末なのだから、古典情趣などどこ吹く風か。

本書は、よく知られた文学作品などに見出される古人や市井の人々の感慨を通じて、自然が織りなす「四季」に接近していこうとする。詠み手、書き手の意識に寄り添いつつ、自然界という壮大な真理の世界に読者を誘うことができるのは、短歌・俳句をはじめとする古典に造詣の深い地震学者だからこそなせるわざだろう。

日本列島は様々な時代の地質が混在する、世界でも大変珍しい地域だと著者は言う。この複雑な構造を背景に、地震や噴火に見舞われやすくも、非常にバリエーションに富んだ自然環境は育まれた。狭い国土の中に多様な動植物が共生することになったのは、元をたどればこうした「ジオ多様性」に行き着くのである。『おくのほそ道』におさめられた有名な句、荒海や佐渡によこたふ天河 芭蕉  は、世界でもっとも若い海である日本海と、そこに浮かぶ佐渡島、そして銀河系を同時に詠み込んでいる。芭蕉が日本列島を分かつ二つのプレートの継ぎ目を越えたのは、この句を詠んだ数日後のことだった。著者は次のように語る―「日本列島を少し歩くだけで、数億年の歴史をたどることになります。芭蕉ははからずも、大地が生まれ育った数億年の時空を歩いていたのです」。

中高理科でおなじみの知識に関する話から、古人の知恵の宝庫である季語の世界に関する話まで、著者の「四季」をめぐる旅路は読者を飽きさせないウィットに尽きない。少し歩くのに疲れた頃には、食の話で一息つけばいい。甘酒、鯨、戻り鰹に秋刀魚の丸干し。大地を“見る・食べる・学ぶ”「ジオツーリズム」の本質は、本書の中ですでに体現されているのだ。

「災害大国・日本」をどう生きていくかが、今の私たちにとって喫緊の課題となっている向きがある。もちろん、日々の関心として様々な危険を想定しておくことは大切な心構えだろう。しかし同時に、こういう世相だからこそ「ジオ多様性」を再確認し、恐怖ならざる「畏怖」の念を抱けるだけの冷静さが求められている。本書を通じて、危険で美しい自然、そしてそれがもたらす「四季」との向き合い方を今一度考えてみていただきたい。(藪)

関連記事