高校生に薦める1冊(2012.09.16)

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「読書は人生の糧である」とは、どこの偉人の言葉だったかすっかり忘れてしまったが、「高校生の間に本を読んでおきなさい」とは多くの国語教師や親たちがよく言う言葉であり、高校生の皆さんにはすでに耳にタコかもしれない。

ましてや、現代においては毎月大量の本が各出版社から刊行される。調べてみると、新書だけでも各社とも毎月4、5冊ほど出している。こんな文化状況において、一体何から読めばよいのか。その疑問はまっとうであるだろうし、読書を敬遠するのも仕方がない。

そこで今回、おそらく日本一本を読む人種であろう京大の教員方に、高校生の間に読むべき本を紹介していただいた。(編集部)


稲垣足穂『一千一秒物語』(新潮文庫)

~篠原資明 人間・環境学研究科教授 より~

中学のころの先生の言葉に、いまなお印象に残っているのがあります。それは、ひとりぼっちになったときにも支えとなってくれるものを見つけなさい、という言葉です。以後、今日にいたるまで、その言葉は陰に陽になにがしかの影響を与えつづけているように思われます。たとえば、自分にとって大切な著作家を見いだそうとするときです。結果的に、それに該当する著作家は少ないながら、何人か見つかりました。二〇世紀の日本でいうと、稲垣足穂と西脇順三郎が、そうです。稲垣は、月や彗星などの天体を友として、あれこれと創作やエッセイを綴った人、西脇は、雑草なども含めた植物を友として、数多くの詩篇を紡いだ人です。夜空を見あげる人、雑草に見とれる人のことを考えてみてもわかるとおり、二人ともに、ひとことでいうと寂しい人だったように思います。だからこそ、ひとりぼっちになっても支えとなってくれる作品を、自ら作り出さずにはおかなかったのでしょう。

ここでは、稲垣足穂の作品から『一千一秒物語』を挙げておきます。新潮文庫から一九六九年に出たものが、いまでも手に入るようです。稲垣は、一九〇〇年に生まれて、一九七七年に亡くなった人です。大阪に生まれ、兵庫で育ち、東京を経て、京都で亡くなりました。のちに奥さんとなる篠原志代(ぼくの親戚ではありません)が東京にたずねていったとき、部屋には天体望遠鏡がひとつだけ置いてあったというエピソードがあるくらいですから、なんとなく人柄が偲ばれますね。

『一千一秒物語』が刊行されたのは、一九二三年のこと。満年齢でいうと、足穂二二歳のときです。超短篇といいたいほどの短い作品が、現行版では七〇篇収められています。天体が人間とシュールで愉快な関係をとりむすぶ、そんな数々のキラキラした物語が集められているのです。晩年になって足穂は、自分の作品はみな『一千一秒物語』の註であるといっています。しかし、その註たるや、量的にも質的にも、群を抜いているのです。現代思想にとってとても重要な存在である哲学者のベルクソンとホワイトヘッド、精神分析家のフロイトが、足穂独自の立場から、みごとに料理されているからです。いったい、わが国の哲学者で、これほどのことができた人がいるでしょうか。ちなみに、ここに挙げた新潮文庫版には、その主要な註=作品もいくつか収められていて、重宝されます。


見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫)

~吉田純 高等教育研究開発推進センター教授 より~

東日本大震災の後、宮沢賢治が改めて注目されているという。彼が岩手・花巻を故郷とし、その風土をモデルとして作品世界の中に構築した理想郷(「イーハトーブ」)を、多くのひとが被災した東北の復興への思いと重ね合わせたことが、そのひとつの理由ではあろう。しかし、おそらくもっと深く本質的な部分で、拠りどころとすべき価値や信頼の基盤を見失い漂流しつつあるかに見える震災後の日本社会の中にあって、あるべき世界のイメージを再発見するためのヒントとして――ほとんど無意識的なレベルで――彼の存在が求められているのではないか、とも思う。

ただ、宮沢賢治は、多くのひとが小学校や中学の教科書からその作品に触れ、広くその名が知られ親しまれている一方で、その全体像をとらえることが困難な作家でもある。「銀河鉄道の夜」に代表される幻想的な童話世界、「雨ニモマケズ」の禁欲的な倫理性、あるいは農業技術者として農民とともに生きようとした実践性――それらの多面的な作品や生涯のどの側面に注目するかによって、読者が抱く賢治像もさまざまだろう。

この本は、社会学者・見田宗介が、賢治の作品と生涯の軌跡を、ひとつのトータルな思想的世界像として捉えなおそうとした著作である。著者は、「この仕事をとおしてわたしが考えてみたいと思っていたのは、人間の〈自我〉という問題、つまり〈わたくし〉という現象は、どういう現象であるのかという問題である」と述べている。しかし、〈自我〉の問題とは、同時に〈世界〉の問題でもある――〈わたくし〉とは何か、どうあるべきなのかという問いは、同時に、〈世界〉とは何か、どうあるべきなのか、という問いでもある。宮沢賢治は、このきわめて原理的で根底的な問いを、その全作品と全生涯をとおして徹底的に問いつづけた――そして、賢治自身の言葉を借りれば、その「半途で倒れた」作家・詩人・思想家として描かれる。

この本はしかし、そのような骨ばった「論理」だけで組み立てられた本ではない。むしろ、「論理を追うということだけのためにはいくらか充分すぎる引用」が至るところでなされ、宮沢賢治の詩や童話の作品世界と出会う(または再開する)楽しみを、読み進める中で何度も味わうことができる。それは、「賢治の作品の芯や種よりも、果肉にこそ思想はみちてある」と著者が考えるからである(実は、かつては宮沢賢治のあまり良い読者とはいえなかった私自身も、この本を通じて、その作品世界の魅力を再発見することができたということを、ここで告白しておこう)。

それらの豊かな「果肉」からとりわけ強く印象づけられるのは、賢治の世界像の「透明性」ということ――「今、ここ」に直接に存在するように見える世界だけが〈世界〉のすべてではなく、時間的には「現在の中に永遠をよびこむ」、空間的には「この場所の中に無限をつつみこむ」――そうした世界像である。そのように時空のかなたを透明に見はるかすまなざしこそが、現実の世界という檻の中から、〈自我〉と〈世界〉とを、はるかに豊かな可能性へと解き放ちうるということ――そのことへの希望こそが、いま、宮沢賢治が改めて読み直されている理由の根底にあるのかもしれない。


松本修『全国アホ・バカ分布考』(新潮文庫)

~柴田一成 理学研究科附属天文台教授 より~

これは最近20年間に私が読んだ本の中で、最もおもしろかった本の一つである。著者の松本修氏は1972年京大法学部卒で朝日放送「探偵ナイトスクープ」のプロデューサー。さすが京大卒と言える常識にとらわれない自由な遊び心満載の本だ。

ことの始まりは、関西で人気の番組「探偵ナイトスクープ」での読者の手紙:「大阪ではアホと言いますが、東京ではバカと言います。大阪と東京の間で、どこがアホとバカの境界なのか、調べて下さい」。探偵は大阪と東京の間の都市を行ったり来たりしていくうちに、名古屋では「タワケ」ということに気づき、ズッこける。仕方なく、「タワケ」と「アホ」の境界を探すと、最終的に関ヶ原のある道路にたどりつく。道路の西が「アホ」で東が「タワケ」。これで一件落着だったはずが、放映すると、テレビ局に次々と葉書が届く。「九州では『バカ』と言います」、「私の田舎の香川では『ホッコ』です」、「富山県は『ダラ』です」…。というわけで、「アホ」と「バカ」の境界は西側にもあり、また、「アホ」、「バカ」、「タワケ」以外にも多様な言葉があることがわかった。それら「アホ・バカ類義語」の分布を日本地図の上に描いていくと、驚くべきことに、京都を中心とする同心円状の分布となった。これは何を意味するのか?

番組のプロデューサーだった松本修氏はさらに追求する。調べると、何とこれらの言葉は皆、過去の京都で使われていたのだという。アホは最も新しく、その前に少しタワケもある、バカは最も長く使われており、平安時代の京都で使われだした。さらにもっと古い時代に京都で使われていた「ホンジナシ」(および同系語の「ホガネー」)が、現在の東北地方や南九州で使われている。つまり、過去の京都で流行った言葉が時間をかけて京都から地方に伝播していったことを示している。言葉の伝播速度は、1km/年!

著者の松本修氏は、ついにこれらの結果を学会(日本方言研究会)で発表するまでになる。テレビの娯楽番組での遊び心の調査が、ついに学問となったのだ。本書はこのような過程を実におもしろくドキュメンタリー風にまとめており、どこから拾い読みを始めても止まらなくなるくらい知的興奮に満ちている。私の専門は全く異なる天文学・宇宙物理学であるが、学問とはかくあるべきだと思う。いや人生ですら、かくあるべきではないか。若い人々には、どんな分野であるかによらず、面白いと思うことをとことん追求してもらいたいと思う。


辺見庸『もの食う人びと』(角川文庫)

~水野眞理 人間・環境学研究科教授 より~

私たちは食べることが大好きだ。テレビの中でおいしいそうなものが出てくると、おお、これいいねえ、今度食べに行こうか、となる。健康によい食べ物の話には、とくに中年以降の女性は敏感だ。頭のよくなる食べ物の話には、中学受験性の親が敏感だ。体型を改善する食べ物(いろいろあったな、こんにゃく、ココア、きなこ、寒天...)が一時的に売れまくって店頭からなくなったりもする。大食いを競わせる企画も人気だし、とても合うとは思えない食べ物の組み合わせが意外においしい、とタレントが自慢する番組も面白い。こういう罪のない楽しみを批判するのは野暮ったい。

では、世界各地へ行って、そこの食べ物を味わう番組はどうだろう。芸人が恐る恐る爬虫類や昆虫類を食べて、嘔吐しそうになるシーンもよく見る。私はあれだけはいけないと思っている。日本の聴衆だけが画面のこちら側で笑っている。芸人のリアクションが面白くて笑っているつもりだが、ほんとうは現地の人びとを笑っている。現地の人びとは笑っていない。

世界の各地を訪れて、嘔吐しつつ、しかし笑わずに現地の食を食べるルポルタージュ、それがこの書物である。著者が笑いを自制しているというのではない。笑うどころではない極限状況を追いかけているのだ。レストランの残飯を集めて、腐りかけたそれを煮て売るダッカ(パキスタン)の露店。1990年代の内戦下のソマリアで見た国連活動のイタリア、ドイツ、アメリカ軍の食と避難民キャンプの食の気の遠くなるような落差。ウガンダのバナナ畑に埋められてバナナの肥やしになるエイズ患者の遺体。チェルノブイリ原発20キロ圏内(名目上は立ち入り禁止)に居住し、放射能まみれの野菜のスープを著者にふるまう老夫婦。ここに出てくる人々は、私たちのように選んでものを食べているのではない。どんなものでも、それを食べることがその一日を生きることであるからそうしているのだ。

このように書くと、飽食ニッポンの私たちは反省しましょう、とか、貧しい国に食糧援助しましょう、とかいうお説教だと思って、高校生諸君に「引かれて」しまうかもしれない。でもそれは違う。この書物が教育マンガ化され小中学校の図書館に入っているというが、何か違う。ここにあるのは、食べることにまつわる身体の圧倒的な感覚を、現場で味わいたいという願いであり、極限状況に身を置くことなど考えられない読者もその願いに引きずり込まれてしまうのだ。そして、小説も書き、詩人でもある著者の文章はとてもいい。

「そこは、水晶のように光る空の下に、バナナ畑がどこまでも続く、それは美しい高原地帯である。おびただしい数のエイズ患者が、病んだ草木のように泣きもせず、ここにいる。」(P227)

ためになるから、ではなく、面白いから、読んでほしいのである。


渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)

~大石和男 農学研究科助教 より~

僕が高校生の頃に読んでいた本といえば歴史小説ばかり。山岡荘八『織田信長』、池波正太郎『真田太平記』、井上靖『風林火山』、海音寺潮五郎『天と地と』などを片っ端から読んでいた。血湧き肉躍る戦国の戦いとともに、明日をも知れぬはかない命を巡って繰り広げられる色恋話にすっかり酔いしいれていたのである。

これらの小説は、戦国時代という時代状況を駆使してコイバナの臨場感を高めるというのが基本的な舞台設定である。戦にあけくれる男性武士/恋に一途な大奥の女性、とか、政治の表舞台に立つ男性君主/それを裏で支える女忍者、といった感じである。なかには井上靖『戦国無頼』のように流浪武士とその追っかけ女性を巡る切ない物語といったものも存在するが、基本的に恋愛がらみの歴史小説には身分格差が深く刻み込まれており、恋愛行動におけるジェンダー非対称を前提に描かれているものが少なくない。つまり、圧倒的に男性に都合のよい物語なのである。

とはいえ、このような小説をいくら読んだところでせいぜい合戦記のささいな蘊蓄が増えるばかり。小説で描かれている「トノサマ恋愛」のようなハイパー「リア充」生活(?)は現実社会に出現するはずもなく、恋愛指南本としての価値もない。そんなことならもう少し人生の役に立つ本でも読んでおけばよかったなあ、というのが当時を振り返っての反省ということになる。

さて少し話題を変えよう。本紙を読んでいる高校生にぜひ出会っておいて欲しい経験がある。それは〈なぜ学ぶのか〉について指針を与えてくれるものとの出会いである。

実は大学では〈なぜ学ぶのか〉を教えてくれる授業がほとんど存在していない。大半の授業は文字通り「業(わざ)を授ける」ことを目的としており、学ぶことの意義や目的については無造作に学生に委ねられたままとなっているのだ。「学ぶ目的なんぞは自分で見つけろ!」というわけである。もちろん運が良ければ授業において受けた感銘がそのようなきっかけになるだろうが、それは偶然の産物であり、結局の所学生は自身でなんとかして目的を探し出さなければならない。

もっともこの問題は、次のような問いにもつながってくる。〈学問とはなんぞや〉である。学問の正体がわからなければ、それが自分たちの人生とどのように関わってくるかも知りようがない。

そして僕が曲がりなりにも到達した答えは「自身の内部に巣くう暴力性を人間が飼い慣らそうとしてきた苦闘の足跡」というものである。戦争や差別、貧困などは、人間というよりも人間が寄り集まって形成した社会によって生み出されたものである。これが時として非情な暴力性を発揮する。この人間自身によって作り出された社会的な暴力とつきあうための工夫と智恵が学問である、と言い換えることもできるだろう。

とはいえ、この学問をもってしても人間のもつ暴力性はなかなかに押さえ難い。とりわけ今日のように社会が高度に複雑化し、情報や物流の速度が飛躍的に高まる中、我々の生活は個人の自由度が増しているのか、それとも没個性的に共通のプラットフォームに押し込まれようとしているのかを簡単には断じ得ない状況にある。果たして我々人類は幸福を手に入れつつあるの言えるのだろうか?

現代社会のありように対する問い直しは、変化の激しい現代だからこそ必要な作業である。とはいえ川の流れを観察しようとするならば、流れの渦に身を任せるのではなく遠く隔たった岸辺に立つ必要があるように、現代を眺めようとするならばそこから一度自分の視点を引き離す必要がある。ではどうすれば良いのだろうか。

ひとつの方法は、歴史的な視点を導入することである。とりわけ「近代化」の始まる前の我々の暮らしぶりは、わずか百数十年前とはいえ容易には想像の及ばない世界となっており、現代社会を相対的に眺めるのに格好の視座となろう。

そこでお薦めしたいのが、渡辺京二(著)『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)2005年、である。これは幕末〜明治初期に日本を訪れた西洋人が好奇の目で日本人とその生活を眺めて記したものを丹念に寄せ集めて解説した書であり、物質的な面での生活状況よりもむしろ人間社会を構成する内面的要素、たとえば礼儀作法や物欲、好奇心、そして子供に対する態度といったものに焦点を当てているという点で、当時の日本人の心性に迫った作品となっている。同書を読めば、我々の暮らしぶりが明治以降にあまりにも大きく変貌してしまったことにきっと驚かされるに違いない。ほかにも類似の書はあるので興味のある人は探してみて欲しい。

同じ歴史とはいえ、戦国大名の奏でる「大文字の歴史」ではなく一般庶民の織りなす「小文字の歴史」の方にこそ、我々は深く学ぶべき点があるのである。


吉田満『戦艦大和ノ最期』(ちくま学芸文庫『「戦艦大和」と戦後』)

~西山伸 京都大学大学文書館准教授 より~

著者の吉田満は、東京帝国大学在学中の1943年、学徒出陣で海軍に入り、士官として戦艦大和乗組となり、1945年4月の沖縄への特攻に参加することになる。副電測士として軍艦の司令塔である艦橋に勤務した吉田は、米航空部隊との激しい戦闘の末大和が沈没した後、いくつかの幸運に恵まれて味方の駆逐艦に救助されて生還してくる。本書は、大和出撃から吉田の生還までの7日間を描いた戦争記録文学の傑作である。

吉田が「初版あとがき」に記しているところによれば、「この作品の初稿は、終戦の直後、ほとんど一日を以て書かれた」のだという。本書は文語体で書かれているが、吉田の文章のもつリズムが戦後生まれの読者もぐいぐいと引き込んでいくはずである。戦闘の描写が生々しいのはもちろんだが、本書では吉田本人の心の動きが細かく追われているだけでなく、同船した同僚、上官、部下への繊細でやさしい目線が貫かれている。特に同じ学徒出身士官として乗り組んだ日系2世の中谷少尉が、アメリカに暮らす母からの「ただ職務にベストを尽して下さい そして、一しょに、平和の日を祈りませう」という手紙を見て涙を流しているくだりは、何回読んでも目頭が熱くなる。

1952年の発表当時、本書に対して戦争肯定の文学であるとして厳しい批判が浴びせられた。確かに本書には、与えられた職務を忠実に果たそうとする大和乗組員の姿が描かれる。しかし、本書を最後まで読めば、大和の特攻作戦に集約されるこの戦争の愚かしさ、虚しさを感じとるのは困難ではない。

そもそも、職業軍人ではなく大学生の立場からいきなり軍隊に放り込まれた吉田のような人たちは、戦争をどのように受け止め、その中でいかに振る舞うべきと考えていたのか。彼らは、当時の教育によって洗脳され、戦争の正しさを一途に信じて戦ったのだろうか。そうではない。彼らは、激しい葛藤と深い懊悩の末、自らに与えられた役割を果たすことで、自分自身を納得させたのだ。のちに吉田は、そうした彼らの行為を「自己に課せられた役割への誠実な献身」と表現した。通常は美徳とされるこうした資質をもつ人々が、結果的に愚かしく虚しい戦争を支えていく、その恐ろしさを私は感じる。本書が突きつける課題は重い。

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