〈企画〉ヒッチレース体験記 ~福島からの生還~(2012.06.16)

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6月9日、吉田寮受付付近にて吉田寮祭の開催が告げられた。寮祭は6月9日から17日の9日間実施され、吉田寮らしい様々な個性的なイベントが行われた。今年も本紙編集員がヒッチハイクでレースをするヒッチレースというイベントに参加した。ヒッチレースとは吉田寮祭のなかで最も過酷なイベントの一つである。参加者は寮祭開始直後に車で全国各地へ送られ吉田寮まで帰ってくる。参加者はお金、身分証を持つ事を許されず、持ち物は支給されたもの(ノート・ペン・飲み物など)と連絡用の携帯電話だけである。今年の参加者はほぼ全員吉田寮生、熊野寮生の計17名であり、それぞれ福島、新潟、富山、兵庫、香川、徳島、神戸、山口など全国各地へと飛ばされた。(湘)


ヒッチレース開始 飛ばされたのは…


6月8日深夜、吉田寮の入り口は少しそわそわしたヒッチレース参加者と、どうせ他人事だと笑う参加者でない寮生で溢れかえっていた。吉田寮祭の開始の合図とともに、今年のヒッチレース全参加者の挨拶とレース出発地までの護送車のくじ引きが行われ、私は意気揚々と「面白いネタを持ってかえってくる」などと宣言し、くじを引いた。私の乗る車が発表されると、私の近くにいた寮生であり去年レースに参加した京大新聞編集員の47に、「ハズレ(※)引いてしまったね」と笑われてしまった。どうやら、私はのっぴきならないような場所に飛ばされるらしい。そんな不安を抱きながら私の週末の運命を左右する車に乗り込んだ。同乗者はドライバー2名に私を含めたヒッチレース参加者6名。車にはカーテンが引かれほとんど外が見えなかった。

6月9日午前6時前、じゃんけんに負けた一人がどこかのサービスエリアで降ろされ、午前8時頃、また一人がどこか田舎の無人駅で降ろされた。再び高速に乗り、しばらくして高速を降りるところでドライバーから「コンビニに行く」と告げられ、カーテンを引き外を見たとき私は自分の目を疑った。そこには「会津若松」の字があった。そう、私たちは京都から北陸を越え、はるばる東北は福島に来てしまったのだ。福島県を東へ進み、私はじゃんけんに負け続け、とうとう車内が私とドライバー2人の3名となってしまった。

午前11時過ぎ、結局私は福島の田舎に異様な存在感を放っている「リカちゃんキャッスル」(後で調べたらそこは福島第一原子力発電所から30数キロメートルの所であった)という場所に降ろされ、私をそこまで拉致してきた車は颯爽と去っていった。

(※)ここで言うハズレとは、一番遠いという意味で使用しております


飛ばされたのは、福島でした


福島まで来てしまったからにはその日のうちに京都まで帰るのは無理だと決めつけた私は、東京まで行き友人の下宿先に一泊でもさせてもらうのがいいと思い、東京までいく事を決めた。まずリカちゃんキャッスルで声をかけて車に乗せてもらう事を考えたが、子連れのファミリーの車に得体の知れない20歳前後の男を乗せてくれるはずもないだろうと思った。そこで近くの農協まで行き、駐車場に停まっている車に声をかけるも、東京なんか行かないと一蹴されてしまった。考えてみれば、農協は地元民が利用するものであり、東京行きの車なんて捕まるはずなどない。場所が悪いと思った私は少し歩き、車が一番走っている通りで「南へ」と書いたノートを掲げる事にした。数分後、近くにあったガソリンスタンドの兄ちゃんが「兄ちゃん、何やってんの」と話しかけてきた。私が事情を説明すると、身分の証明もできない私の話を「兄ちゃん面白そうな事やってんねえ」と信じてくれ、なんと近くのインターチェンジまで送ってもらう事になった。近くの小野インターに降ろしてもらった私はガソリンスタンドの兄ちゃんに深々と礼をし、「to東京」の文字を書き入れたノートを掲げ始めた。雨の中傘をさしながら1時間ほど待っているとおじさんが一人乗った車が止まり、話をすると郡山までのせてくれるという。郡山までの道中話をしているとそのおじさんが復興支援をしているという事がわかった。そのおじさんの会社は元々は空気清浄機のフィルターをつくっていたらしいが、震災をきっかけに被災地の家屋を直すなどの復興支援に切り替えたという。高速をしばらく走った後、郡山インターで高速を降り、インターからすぐのところでおじさんに何度もお礼を言いながら車を降りた。このときの私はこれから起きることを知るはずもなかった。後に高速をおりてしまったのを大きく後悔するとは。

おじさんの車を降りた後、インターの入り口付近で再び「to東京」の文字が書かれたノートを掲げ始めた。何回か場所をマイナーチェンジさせつつ、2時間ほどすぎた後、片方の手はノートを掲げ、もう片方は傘をさし続けた事により、私の肩や腕、指までが悲鳴を挙げ始めた。それに雨の中立ち続けたせいで私の靴の中にまで水が浸透してきて、靴下までびしょ濡れになっていた。作戦変更。私は近くのコンビニに停まっている東京方面のナンバーを探し、話しかける事にした。しかし、東京方面のナンバーは千葉と習志野しかなく、千葉ナンバーの車のおじさんは明日東京に帰ると言い、習志野ナンバーのおじさんは私がしゃべり終わる前に「ダメ。ダメ。」と無愛想に繰り返した。「ダメ」と連呼され自信をなくした私は、少しインターから離れようと思い、歩き始めた。数分歩くと地下道があったので、階段に座って今後の事を考える事にした。しかし疲労のためか眠気が襲ってきたので、結局30分ほど座りながら仮眠をとる事になった。仮眠のため少しすっきりした私はインターの入り口まで戻り再びノートを掲げ始めた。とりあえず高速に入りたい一心で「to高速内SA・PA」とノートの文字を変えたり、立ち位置をマイナーチェンジさせたりするも、一向に車が捕まらない状況から、「人ってこんなに冷たいのね」などと独り言をつぶやいたりしていた。


ついに郡山から脱出 東京は西荻窪へ


2時間ほど経った後、ついに一台の車が停まってくれた。その車に乗っていた、少しおしゃれなおじさんに東京方面の途中まででもと謙虚に話すと、なんと東京まで行くから連れて行ってくれるという。しかも止めてもらう友人宅が西荻窪駅の近くだというと、自宅が近いから駅まで連れてってくれる事になったのだ。

東北自動車道を南進し、首都高に乗り換え、新宿方面へ向かう。時刻は午後8時半、西荻窪駅に到着した後、私は何度もお礼を言い下車をした。その後、友人と連絡を取り、友人宅で夕飯を御馳走してもらい、また段ボールと油性ペンを譲ってもらった。友人と何時間か語らった後、私は眠りについた。翌朝、6時半と少し寝坊をしてしまったので、寝ぼけている友人にお礼と出発の挨拶をして、そそくさと友人宅を出た。


目指すは関西 4時間気まずさ耐久


前日に西荻窪まで乗せてもらったおじさんに言われた通り、東へ向かい環八通りまで出た。環八通りを南下するも、疲れたので「to京都」と書いた段ボールを10分ほど掲げるも車は停まってくれない。「やはり東京の人は冷たいのか」と思ったものの、福島は5時間停まってくれなかった事を考えると、そんなことはないのかもしれない。結局すぐにヒッチハイクを中止し、東名高速の用賀にある東京インターまで徒歩で南進することにした。しかし私は甘かった。結局荻窪から東京インターまで2時間ほど歩く事になったうえに、前日とは打って変わり初夏の日差しに汗かきの私は汗だくになる羽目になった。東京インターに着いた後、インター直前の信号待ちの車に話しかける事にした。幸運な事に2・3台目で、出勤の途中に海老名SAまで乗せてくれるおじさんに巡り会い、海老名SAで降ろしてもらった。

SAなら停まっている県外ナンバーに話しかければ、すぐ捕まるだろうと安易な考えを持っていた私は期待を裏切られる事になる。そう、SAに停まっている車には人が乗っていないのだ。絶望に浸っている暇など無いので、とりあえず関西方面のナンバーを探し、話しかける事にした。十台目ぐらいに神戸ナンバーのワゴン車に乗ったおじさんが乗せていってくれるという。しかし、おじさん一人かと思いきや、家族も乗っていると聞くが助手席に座るよう言われ私は車に乗り込んでしまう。家族(妻・娘)が車に戻ってくるときおじさんは後部座席で作業をしていたため、助手席に私一人が乗っているところを目撃するはめになり、私は「え、まちがえた?」と話し合っているのを聞いた。その後おじさんが妻と少しもめているのを聞きながらも、何もなかったように一応乗せてもらう事となった。海老名から京都方面まで向かう道中、私はある事に気づく。私がいる限り、防犯上得体の知れない私を一人おいて車に残す事は出来ないため、おじさん一家は昼食をとる事が出来ないのだ。気まずいまま東名高速を西進し名古屋のSAで止まった際、初めて後部座席の妻からどこで降りるのかと聞かれ、私は自分が本格的に厄介者と認識されていると感じた。そのためか、会話ができていたおじさんも口を聞かなくなり、さらに気まずさのレベルが上がった車内の空気に、降ろしてもらう事になった大津SAまで私は耐えなければならなくかった。

大津SAでおじさんとなんだか気まずい雰囲気でお礼を告げて別れ、SAを徒歩で出て東海道まで歩いた。東海道で「to京都」の段ボールを掲げると、若い兄ちゃんの乗った車が止まってくれた。幸運な事にどうやらその人は衣笠方面へ向かっているらしく、ナビと引き換えに吉田寮の前まで乗せてもらう事になった。

6月10日午後3時前、私はスタート地点である吉田寮に戻ってきた。道中辛い事もあったが(結局最後まで靴下は濡れたままだった、数時間気まずい空気にさらされたetc…)、最近の日々の暮らし方がずさんになっていたためヒッチレースで少し気分転換もでき、乗せてくれた人々の事を思うと日本も捨てたもんじゃないと思えた。もし機会があればまたヒッチハイクをしてみてもいいかもしれない。

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