新刊書評 『犠牲のシステム福島・沖縄』(2012.04.01)

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原発事故の背後にある構図


2011年3月、東日本大震災と、それによる福島第一原発での事故から1年経った。この間現場の作業員の方々の努力で、何とか最悪の事態は避けられ、現在は落ち着いているようだ。新聞などで原発関連のニュースを見ることも少なくなってきた。

しかし、今回の事故は誰のせいで起こったのか。原因を東電のずさんな管理に帰してしまってよいのだろうか。それともいわゆる「原子力ムラ」が悪いのだろうか。

本書は犠牲のシステムとして福島と沖縄を見る。福島第一原発は東京電力が所有しているが、東北電力管内にある。これは都市部が利益を得るために地方が危険を負担しているという状況に他ならない。つまり、人口過密地域である都市(多数)の利益を守るためには、過疎地域である地方(少数)が犠牲になってもやむをえないのである。同様の構図が、沖縄の基地問題にも見て取れると筆者は言う。
ところで、こういった「多数のために少数を犠牲にする」という論理を見ていると、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の「電車の例」を思い出す。

これは簡単に言ってしまえば「多数を救うべきか少数を救うべきか」という問題を扱った思考実験である。あなたが運転している電車が暴走している状況で、その電車がそのまま進むと、線路上で工事をしている5人の作業員が撥ねられて死んでしまう。しかし、右にそれる待避線には作業員が1人いるだけで、5人を救うには1人を死なせるしかない。この例は主観が第三者に変わったり、5人を救うための道具立てが別のものになったりするものの、基本的には「5人を救うために1人を死なせる」という状況は変わらない。

もちろん、これはサンデル教授が聴衆にどちらを救うのが正しいのか考えさせるために作った虚構であり、明確な正解などはない。しかし、少数の犠牲を強いる人々、利益だけを受け取り危険を他人に押し付けようとする人々がよく使う論法が、ここにあるのではないだろうか。

ではそういう論法に対して、私たち、あるいは私たちの中の良心的な部分はどのようにして立ち向かうのか。

サンデル氏のこの例に対しては様々な批判や反論の指摘があるが、何人かの倫理学者たちがよく言うのが「現実にはそんなことはありえない」というものだ。この極端な二者択一はあくまで思考実験上のものであり、現実の選択枝は様々な種類がある。日本の電力事情を例にとれば、電力の消費の方を抑える、あるいは火力発電等のコストを使用者が受け入れるなどといった、リスクやデメリットを全体で共有する選択がありえる。

原発事故の責任は、一義的にはそれを管理、運営してきた関係者にある。これは自明のことであるが、それと同時に、原発のリスクに目をつむっていた私たち自身にもあるのではないだろうか。もちろん、多くの大学生はまだ選挙権を持たず、意思表示の機会は少ない。しかしそれでも、事故をテレビ越しにでもリアルタイムで経験した以上、その背後にあるものを無視することはできないのではないだろうか。(石)

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