文化

学生スタッフ募集 京都大学新聞で得たこと ~新入生の皆さんへ~

2012.04.01

私は京都大学新聞に6年間いました。2006年の3月、入学式も待たずにボックスの扉をたたきました。大学を出て行くいま改めて振り返り、この京都大学新聞で得たことをまとめておきたい、そして新入生の皆さんにも共有しておきたい、と思いました。

ミクロ的に見ると、取材活動を通じて傾聴力がついた、文章や写真の腕が上がった、など個々の技術を挙げることができますが、大きく見ると「視野を広げ知見を深めることができた」という一言に尽きます。

視野を広げるという点では、例えば私が入学したのは経済学部でしたが、そこで教わる学問の範疇にとどまらず、好奇心のままに取材し記事にすることができました。それは例えば、文学部における東洋学の系譜であったり、iPS細胞をはじめとする最先端の研究であったり、医学部と某企業との産学連携であったり、京都大学をめぐる文教行政であったりしました。そして、自分が興味を持つ対象だけでなく、他のメンバーの関心領域も目に飛び込んでくるので――新聞発行前のチェックのため見ざるをえないのですが――本当にいろいろな分野(学問分野に限らずカルチャーであったりもします)のシャワーを浴びながら育つことができました。総合大学の新聞であるが故の長所だったと思います。

知見を深めるという点では、一介の学生ならばまず触れられないようなところまで、触れることができました。例えば取材対象一つとっても、一般学生はもちろんですが、授業での接点がない教員であったり、本来話す機会がない職員であったり、総長はじめ大学役員であったり、山中伸弥教授のような最先端の研究者であったり、森見登美彦さんのような著名な卒業生であったり、山内溥・任天堂相談役のような京都の財界人であったりしました。京都大学に在学していて、かつ京都大学新聞の記者であればこそ直接会えた人がいて、直接伺えた話がありました。
こうした幅広く深い取材活動は、知的好奇心を満たしてくれるだけでなく、当事者意識をもって熟慮する機会をも与えてくれました。例えば、対立する組織同士がお互いに知りえない本音を知ったときなどは、膠着状態に一石を投じる――すなわちアウフヘーベンされた――案を考え解決に導きたくなるのが人情というものです。ただし、あまり行き過ぎると記者の範疇を超えてしまうので注意を要しますが。

また、図らずもメディア・リテラシーを磨く一助にもなりました。一般紙の記者とともに会見に出たり、時には各社独自の取材を漏れ聞くことで、どんな取材によってその記事が出来たかを肌で感じることができました。今では掲載された記事から逆に、会見の雰囲気や加工前の発言を想像してみたりもします。少なくとも、個々の報道に振り回されることなく、どっしりと受け止められるようになったのではと思います。

簡単にまとめましたが、京都大学新聞社という場所がどういう場所かを伺い知るきっかけになりましたら幸いです。              (梓)