年間ルネベスト 本をこよなく愛する人へ(2012.03.16)

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大学生活はある意味壮大な暇つぶしである。今の「大学生」はそうでもないのかもしれないが、少なくとも京大では必ずしも授業に出なくとも獲得できる単位も多い。アルバイト、サークル活動、エトセトラエトセトラ……。とにかく自由にできる時間が膨大にある。様々な娯楽がある現代でも学生が本を読むのは、この豊富な余暇があるからではないだろうか。

それはさておき、書評「ルネベスト」の一年間の仕上げであるこの企画も、今年度で5年目を迎えた。今年は3月11日の東日本大震災や、秋のTPP交渉参加といった、京大の教員が社会に向けて大きく声を挙げた問題が起こった。

そんな中、京大の暇人学生たちは何を読み、何を考えたのだろうか。(編集部)

京大生協ブックセンタールネ調べ 2011年1月1日~12月31日


《本紙に売れ行き上位100冊を掲載》

備考
・教科書類と思われる書籍は除外。
・TOEIC・TOEFL対策本など、各種試験・資格の参考書等は除外。
・辞典、辞書の類および六法全書などは除外
※以上、京大生の「普段の読書傾向」を分析するため、ブックセンタールネ提供の総売上データを編集部にて 適宜編集していることをおことわりします。

総評

ライトノベル勢が人気 娯楽的指向が強まる

本棚を見ればその人の為人がわかるというが、京大生は一体どんな本を読んでいるのだろうか。ここではブックセンタールネで一年間に売れた本の動向を追っていきたい。

まず例年と大きく異なるのは、村上春樹や伊坂幸太郎といった大御所を抑えて有川浩が大躍進したことだ。昨年も「阪急電車」が16位にランクインしていたが、今年は「図書館戦争」シリーズを始めとして9冊がランクインし、そのうち3冊がベスト10入りしている。これはもともとハードカバー本だった同シリーズが文庫化されたことによるものだろう。2008年にアニメ化されるなど、もともと人気だったのが、安く手に入るようになったために売上が伸びたと思われる。

万城目学の「プリンセス・トヨトミ」も4位と健闘しているが、エンタテイメント小説は有川と森見に二分されていると言ってよいだろう。

何よりも、昨年度は「1Q84」という大作があり、book1〜3までがそれぞれ51位、39位、4位だったにも関わらず、村上春樹が1冊もランクインしていないことは驚きだ。


また、小出裕章助教の「原発のウソ」、中野剛志准教授の「TTP亡国論」がそれぞれ12位、14位にあるのも注意を引く。原発とTTPという全国的な関心事が現れていると思われる。小出助教については、65位に「原発はいらない」もランクインしている。京大の教員の発言がテレビや新聞などで大きく取り上げられ、全国的に有名になったことが影響したのではないだろうか。同様に、20位の「僕は君たちに武器を配りたい」という書名とともに知られる瀧本哲史客員准教授の「武器としての決断思考」が1位の快挙をあげるなど、京大教員の本も売れている。


一方、昨年度と同様に人気なのがマイケル・J・サンデルの「これからの正義の話をしよう」とドラッカーの「マネジメント」、岩崎夏海の「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」である。一昨年亡くなった梅沢忠夫の「知的生産の技術」も昨年から変わらない。その他、外山滋比古の「思考の整理学」は例年通りトップ10を維持している。

今年のランキングはいわゆるライトノベルと呼ばれるエンタテイメント小説が勢力を伸ばした。西尾維新などは有名だが、今回大きく売上を伸ばした有川浩も、作品の装丁は一般的な文芸書と同じものの、デビューは第10回電撃ゲーム小説大賞であり、ライトノベル作家と言えるだろう。

村上春樹がランクインしていないなど、娯楽としての読書はより「わかりやすい」ものが求められている一方、原発問題やTPPなどの時事的な問題、大学卒業後の進路や生き方という大学生特有の問題意識もランキングに反映されている。(石)

93位『一般意思2.0』

東浩紀/講談社

本書で東浩紀は、ルソーの「一般意思」という概念を拡大解釈して、インターネットを利用した政治についての夢を語っている。その「夢」とは、無数の人々が政治を意識せずにインターネット上で発言や消費などの行動をとった結果としてのデータの集積によって、政治に関する意思決定を導き出すというものである。

この構想はグーグルの検索システムをイメージすると理解しやすい。グーグルの検索システムは、ウェブ上の莫大な情報を集積して成り立っている。収集する情報の数が多いほど、検索の正確性は増す。それと似たように、人々の無数の意思決定や発言などを集積して「一般意思2.0」として、集めるデータの数が多ければ多いほど、それはより国民の総意に近づくという。

社会学者の鈴木謙介の分類によると、インターネットを利用した政治について、データの数が多ければ多いほど人々の意思を反映できるとする発想は「数学的民主主義」という。鈴木は、究極の形態まで突き詰めるとうまくいかなくなるということを著書で示した。東自身が著書の中で、「一般意思2.0」をあくまで政治家や専門家の意思決定の「制約条件」として使うことを提案しており(このことは後述する)、完全な数学的民主主義の形態を理想としたわけではない。

とはいえ、数学的民主主義を現在の政治と共存させようとすると、いくつかの問題が生じる。

第一に、数学的民主主義の理想は、主体的で理性のある個々人が、私的な利害を超えて「公」について議論することはほとんど不可能だという考えから導かれていた。とはいえ結局は、現実と数学的民主主義を折衷するのであれば、主体的で理性のある個々人はなくてはならない存在となる。

第二に、東は、ウェブ上のあらゆる記録や履歴から集積された人々の一般意思を、説得すべき大衆の意志というよりも、むしろ匿名的で集団的な「モノ」として、物理環境や財政と同じような物質的な制約条件として捉える方がよいと考える。結局、最終的に判断を下すのはその一般意思とは離れたところにいる政治家や専門家であるということだ。すなわちここでも主体的で理性のある個々人が必要とされる。

第三に、東はすべての政策審議をネット中継し、専門家や政治家の議論を視聴する人々の感想を大規模に収集し、可視化して議論の制約条件とする制度の導入を提案する。しかし、こうした場に「無意識的に」参加する人はいない。事実、東自身が「市民の積極性を前提とする従来の政治参加の回路は、結局のところ、問題の政策に強い利害関係を持つ特殊な人々か、あるいは政治参加そのものを目的とした「プロ市民」しか集めることができない」と述べている。

結局問題は、主体的で理性を持った個々人が個別の利害を超えて公共的な事柄を議論するという「公共性」を成り立たせるのは極めて難しいが、それが求められているというところに収斂する。もちろん東はそうした試みが不毛なのではないかと感じるからこそ、このような提案をしたのであろう。しかし、完璧な数学民主主義が成り立たない以上、ある程度の公共性が一部の人々に求められる。

評者は、東の構想が実現すれば確かに政治的な意思決定はスムーズになるかもしれないと思う。しかし現時点では東の構想は技術的に不可能であり、そもそも選挙で選ばれる政治家が頼りないことを考えると、この構想が実現しているところを想像することができない。

そこで評者は、インターネットを利用したより良い政治として、本書のモデルよりも、次のようなモデルが現実的であると考える。それは、現場で問題に対処しつつ情報を発信するリーダー的な存在が、インターネットを利用して寄付や共感の表明を容易にするやり方を通して、人々を巻き込んで社会を変えるまでの大きなムーブメントをつくりだす、というやり方である。本書の主要な主張というよりは取って付けたような主張であるが、東は、「ゆるい」政治参加、すなわちネット上の偶然の出会いを種として育つ、自分と直接関わりのない問題に対して行う緩やかなコミットメントが重要とも述べている。

例えば、待機児童の問題や自殺防止の問題について、人々は専門的な議論をすることができないが「いいね」や「リツイート」を通じて共感を表明することができる。さらに、簡単に寄付をできるような仕組みを作り、それが投票のような行為にもつながっていけば弱い動機でも社会が変わる原動力となる。

ここで重要なのは決して人々の議論(理性)には期待をせず、共感能力や生活実感に訴えかけるような社会変革の実践が期待されていることである。

大衆を動物のように扱う東の構想には反感を感じる人は多いであろうが、本書を読んでなんとなく「実現すれば政治がよくなるかもしれない」と思って終わってしまうのであれば、人々が議論を闘わせることを重視しない東の認識に囚われてしまうことになる。

そこで、まことに蛇足であるが、より理解を深めるために、『ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか』(鈴木謙介、NHKブックス)、『統治を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会』(西田亮介・塚越健司編著、春秋社)などの関連書籍を読むことをお薦めしたい。(P)

71位『ビブリア古書堂の事件手帖』

 三上延/メディアワークス

電子書籍元年と呼ばれた一昨年から早2年。電子書籍の爆発的普及こそまだ到来していないものの(それとも評者の知らないところで進行しているのだろうか?)、「書物」という媒体の在り方をめぐる言説が活発になっているようだ。ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールによる対談を基にした『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(2010年、阪急コミュニケーションズ)は、その内容と装丁の作りが「紙の書物」愛好家の話題を呼んだ。ページを繰る時の手触りや重み、「ツンドク」としてうず高く積み上げられた時の独特の存在感は、電子書籍には代替できまい。ましてや所有者を点々とし、果ては晴れて「稀覯本」の称号を得るようなドラマが、電子書籍にあり得るのだろうか。

本書は、流転する数々の古書に秘められた歴史と、それが巻き込む人間たちによって織り成されるドラマを綴った、探偵小説仕立てのライトノベルである。書物が展開・構造上のキー・ファクターとなっているミステリーの一ジャンルとして、「ビブリオ・ミステリ」というものがある。『図書館戦争』シリーズや『“文学少女”』シリーズなど、表現行為のメトニミーとして、あるいはプロットのフレームとして書物が扱われているライトノベルが近年話題を呼んできたが、「ビブリオ・ミステリ」の系譜にあたる本書では、書物が書物として現れる。いわば、書物もまた一人のキャストなのである。

本書の主人公・篠川栞子は、北鎌倉に人知れず佇む「ビブリア古書堂」の若き女店主である。古書に関する知識と目利きの腕にかけては同業者にも一目置かれているほどの彼女だが、ある「事情」により入院生活を余儀なくされている。重度の活字アレルギーを持つ語り手・五浦大輔は、ある日、祖母の遺品の中にあった『漱石全集・新書版』を彼女のもとに持ち込む。一つには査定のためであるが、それ以上に、その全集の一冊に不可解な点があったからだ。手渡されたたった一冊の全集本を繙く中、やがては五浦の出自に関する秘密を彼女は明らかにしていく……。

「ビブリオ・ミステリ」といえど、ミステリー作品として読む限りの本作は予定調和の謗りを免れない。不出来な探偵小説にしばしばあるように、全てが「名探偵・篠川栞子」の手のひらで踊っているような、滑稽な印象さえ受けてしまう(いや、だからこそよいのだという人もいるかもしれないが)。古典の水先案内としては、古書の市場価値をはじめとするプロフィールに説明が偏りすぎており不適格である。しかし、書物と真摯に向き合う、いつくしむというのがいかなることであるのかを教えてくれる数少ないフィクションでもある。そう、ちょうど誰かを愛するように、書物を愛するのである(と恥ずかしいことをたった今述べたが、活字アレルギーであるはずの五浦君がわざわざ彼女の古書店で働くのも、きっと「そういう」下心があってのことなのだ)。

電子タブレットの盛況ぶりが騒がれる一方、今日も図書館、街の書店には多くの人の姿がある。人類の知性と歩みを共にしてきた「書物」は、今後も栞子のようなビブリオ・マニアがいる限り生き永らえていくのだろう―ちょうど、写真が絵画を駆逐しえなかったように。たまには大学近くの古本屋にでも出向いて、一冊一冊の「書物」がたどってきたドラマを想像してみようか。(薮)

12位『原発のウソ』

小出裕章/扶桑社

2011年3月11日の東日本大震災の発生と福島第一原子力発電所事故から1年が経過した。まだ1年しか過ぎてないのかというよりも、もう1年も過ぎたのかという思いが強い。未だに多くの人々が苦しんでおり、放射能の影響で故郷に帰ることができない人もいる。

本書は京大原子炉実験所助教で原発の危険性を40年訴え続けている小出裕章氏の著作である。福島第一原発の今後の展望から始まって、放射能とはどういうものか、放射能汚染から身を守るにはどうしたらいいか、原発の本当の姿、原子力は「未来のエネルギーたるか」、原子力のこれからの展望などが書かれており、原子力、原発についての一通りの知識を得ることができる。原子力は二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーではなく、原子力発電の過程では大量の二酸化炭素が発生する。先進国では原発離れが加速している。「資源枯渇の恐怖」から原発が推進されたが、石油や石炭などの化石燃料が枯渇するよりも早くウランが枯渇する可能性がある。原発推進派の言い分を否定し、「原発の“常識”は非常識」として原発の真実を追求し原発の危険性を訴えていく。

原発にはメリットもあるが、リスクも大きい。すでに広島原爆の80万発分の「死の灰」が生み出されており、「核のゴミは誰にも管理できない」という言葉は真摯に受けとめなければならない。太陽光や風力、波力、地熱など代替エネルギーの開発と普及に努めなければならないし、一人一人が節電の意識を持たなければならないと思う。原発推進の流れは、企業の利権が絡んでいる以上もう止められないと小出氏は言う。しかしこのような悲劇が起こってしまったからには企業は自社の利益だけを考えるのではなく国民にとって原発推進が本当に必要なのか真剣に考えなければならない。何にもまして彼らが守らねばならないのは国民の安全であって権益ではないはずだ。原発の“常識”がすべて“非常識”というわけではないかもしれないが、原発推進が本当に私たちにとって良いのか考える必要はあるだろう。

だが、「原発を止めても困らない」「問題解決には原発を止めるしかない」という小出氏の主張は少し理想主義的だとも思う。原発を止めれば電力不足で困ることになるし、そもそも原発を止めればこの問題は本当に解決するのだろうか。この問題を解決するのは簡単なことではないが、原発を維持したまま問題を解決する方法は本当にないのだろうか。

原発問題については様々な意見があるだろう。この本は原発問題について考えるいい機会を与えてくれると思う。この本を読んで改めて“原発”という問題に向き合えた気がした。(亀)

24位『物理数学の直観的方法〈普及版〉』

長沼伸一郎/講談社

1987年に刊行され、その翌年にベストセラーとなったこの本は、昨年、普及版・ブルーバックスとして発行された。これまで何回か刷り直されてきているが、かれこれ25年近く読まれていることになる。つまり今、教師や大学教員・研究者になっている人が、学生時代に読んでいたということが十分あり得る。

しかし私が高校や、この京大で物理数学を学んできた中で、この本が目指すような「基本的な物理数学」の概念を直観的に捉えさせようとする講義は、それほど無かったと思う(とりわけ理学部配当のモノ)。というのも「基本的な物理数学」すなわちベクトル解析、フーリエ変換、複素積分などは、実は高校生や中学生でも(学習指導要領なんか相手にしないで)理解しているヤツがいるわけで、京大に来るような学生は丁寧にやらなくても理解している・理解できるだろうと思っている教員もいるのであろう、親切に教えてくれないこともある。もしかすると、本書で取り上げることを知らない学生はすでに「出遅れている!」と言われるかもしれない。つまり、この本の影響は京大ではまったくなかったのではないだろうか。

それはともかく―分厚い参考書なんて読み切ったこともなく、勉強・学習計画は学校・予備校任せだった学生が、京大に入って「自学自習」に慣れるのもただでさえ大変なのに、数学や物理の講義では訳の分からない記号ばかりが出てくるのにサークルやバイトがあって宿題以外に勉強は手つかず。ほとんど内容を理解できないまま試験を向かえ、なぜか試験は楽勝だったものの、あとは長期休暇で放置―という、ある京大生の状況が目に浮かんでくる。

もちろん学問分野を問わず、難しくてしっかりと理論づくしである教科書・参考書には果敢に挑戦しなくてはならない。何を読めばよいか分からなければ、学部や院の上回生や教員に正直にきけば良いと思う。最初から「イメージでつかもう○○」というような本は薦めない。一回、難しい理論・数式にぶつかってからこのような類いの本を読むと良いかもしれない。

この『物理数学の直観的方法〈普及版〉』は、大胆なイメージ化で概念を理解することに主眼があり、参考書ではなくむしろ読み物であろう。用意された10章は独立して読むことができ、面白い概念について取り上げている。また「やや長めの後記」では行列・代数学について哲学的な内容まで踏み込んでいる。「基本的な物理数学」を一通り学んだ者であっても面白いだろうし、他の人に教えるときに役に立つかもしれない。

大学では難しい概念に取り組まなくてはならない。難しい概念を如何にして自分自身で理解したり、他人に伝えなくてはいけないかという問題はつきっきりである。ときには比喩を使って概念を扱うこともあるだろう。そういうことを考えさせられるこの一冊である。(春)

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