文化

京都で田舎に泊まる

2012.03.16

先月25、26日に、京都府京丹波町仏主(ほどす)地区で、集落の再生を考えるための交流会及び民泊が行われた。

仏主集落については、本紙2011年11月16日号において記事を掲載している。その内容は、京丹波町仏主(ほどす)地区で、府の「ふるさとボランティア(さとボラ)」が渓谷道の復旧作業を行ったというもので、記者は同行して取材した。今回はその続報である。

仏主地区は船井郡京丹波町の和知地区にある。面積は約1600ヘクタール。現在18戸26名の農村集落で、20歳以下の住民はおらず、高齢者の割合が50%を超える「限界集落」の定義に当てはまる。

不便な地域であるために人口の流出が進み、また高齢化と合わさって、集落や農地の維持が課題となっている。財源もあまりないなかで、どのように集落を再び盛り上がらせ、維持することができるか。

渓谷道の復旧作業の後に行われた地元の人々を含めた交流会では、そのような課題をどうやって解決するのかが議論された。そこでは、物品販売や外部の人を巻き込んだ振興策などが提案された。今回は仏主の名所めぐりとグループワーク、そして前回提案された「民泊」が実際に行われることとなった。(P)

今後の仏主をどうする?

今後の仏主について話しあうグループワークは、テーマを事前に決めて3つのグループに分けて行われた。

仏主の主要な問題として、生活が不便であること、高齢化と人口減少が著しいこと、農地の維持管理が難しくなってきていることなどがあげられる。

生活については、病院や学校が遠いこと、職があまりないために若者が流出することが問題である。また、元気なうちはいいが、病院が遠いために、老後が心配であるとの声もあった。

高齢化と人口減少については、いきなり定住を呼びかけるのは難しいために、観光などの目的で呼び込みを行うにはどうすればよいかを話し合った。現地に住む人々は、生まれ育った仏主の環境が当たり前のようになっているために、外側から見ると魅力的であることに気づきにくい。そうした魅力を伝えていくためには実際に人を呼び込むのが一番である。

人を呼び込むときに、特別豪華なおもてなしをしなくても、入浴する場所や寝床があれば、お金を払ってでも来たい人がいる。雪かきの手伝いや獣害対策、草刈りなど、ボランティアを必要とすることもあるので、泊まり込みでなくともそうしたボランティアを募集すれば、やりたい人はいるだろう。とはいえ、食事を用意することが負担にならないようにすべきである、一回来るだけではなく持続的な関係に発展させる必要があるとの意見があった。

新しいツーリズム

また、直接にツーリズムに関わらない人も利益を得るという「コミュニティ・ベイスト・ツーリズム」も提案された。コミュニティ(集落)に住むすべての人が、コミュニティの維持や管理に関わっているという観点から、このシステムは重要であるという。このシステムが成り立つためには、適切に取り仕切るリーダーと、自律的な計画及び合意が必要であるそうだ。

農地の維持管理については、5年以内に集落の人たちだけではすべてを維持することができなくなるだろうという。集落内に跡継ぎを探すか、外から労働力を呼び込むしかない。現在、田んぼを維持するために米を収穫して販売しており、食味検査では高い数値を示している。しかし、採算は取れていない。面積当たりの収穫量を増やすと味が落ちてしまうために、再生産できる価格で売ることができたら良いという。生産量が少ないために大規模な宣伝をするわけにもいかず、宣伝のノウハウがないことから、板挟みになっているというのが現状である。

オーナー制

解決策の一つとして、「オーナー制」の導入が提案された。オーナー制とは、田畑の一区画に資金提供をして,その成果を受け取る仕組みである。収穫の保証があるものやないもの、オーナ自身が作業するものやしないものなど様々な方式がある。

仏主の場合は資金援助のみならず、実際に田を維持する人手が必要である。人手に関しては、ボランティアを募るか、オーナーが直接作業するか、などのいろいろな選択肢が考えられるとした。他にも、宣伝のために特定の小学校や大学生協と提供して米を食べてもらうのはどうかという案も出た。

また、農地と山地の間である山間地の管理も重要であるとした。薪や竹を使わなくなったために間伐をしなくなり、山の領域が下がってきて鹿が農地の近くまで降りてきて、獣害が発生するようになった。現在は環境保全のために金網の使用は避け、人里に入ってきたら食用にすることで共存している。農地の端っこである半耕作放棄地に資源として活用できるヤナギやミツマタなどを植えて管理するという案も出た。

口コミで広げる

学生らは、食事や風景、そして何気ない会話のなかでの普段聞けないような猟など田舎の生活についての話といった、決して都市や郊外に住んでいては体験できない「別の世界」があると話した。携帯の電波が通じないことも、初めは不便に感じるが、無いなら無いでやっていけることに気付く。

一方で、定住するとなるとやはり、生活が不便であることや金銭的な不安がネックとなる。それでも集落の維持管理に協力するために、少しずつ関わりの輪を広げて、積極的に参加していく人を呼び込む必要がある。フェイスブックやツイッターなどとインターネットを活用した広報という案も出たが、口コミに勝る広報はなく、実際に参加した学生らが周りの人々も誘っていくべきだと話した。

実際、豊かな自然や農作業体験、現地の人々の温かい人柄は、多くの学生にとって魅力的なはずである。そうした呼び込みをするために、今回のような事業に頼るだけではなく、学生の側から提案して集落に訪れ、個人的にも集落の人々と関わるような、自主的な関係を続けていくことが大事だという結論になった。

また、現地の人々は、これまでの話し合いで提案されたことについて継続的に話し合う機会を設けるほか、具体的にどんなボランティアを求めているか、何を検討すべきかなどを列挙した。

民泊

民泊では5つのグループに分かれて、仏主の住民の家に実際に泊まった。用意して頂いたおでんと掘りごたつを囲んで、地元の方と京都府の職員の方と語り合った。

個人的な話になるが、記者は「3番目の息子」に似ていると言われ、実際に対面してなんとなく気恥ずかしい思いをした。そうしたこともあり、事前に連絡をするのであればまた来ても良いと言ってくださった。都会育ちである記者は初対面の部外者を受け入れてくれる温かさを心地よく感じ、また普段とは全く違った環境にいるのにかなり落ち着いていることに不思議さを感じた。お風呂や温かい布団まで用意して頂き、朝には立派な山芋もいただいた。

変えること、変えないことの間で

【記者の視点】

 
前回の記事で、市町村合併や財源不足が背景にあり、外部の人を巻き込みながら地方主導で郷土の再生をしなくてはならないと書いた。仏主には本当に魅力的な資源がたくさんあり、新しく何かを作るのではなく、むしろありのままの仏主こそが魅力的だと記者を含めた学生らは口をそろえた。

しかし、「本音」にも触れなくてはならない。人口が流出し高齢化した地域を再生するためには、都市との交流人口を増やしてから、定住者を獲得するというのが定石だ。とはいえ、職がなく、農業のビジネスモデルが確立しないなかで、いくら魅力的とはいえども定住者を獲得するのは難しいだろう。

戦後の日本は首都圏への資本の集中や郊外への大型店舗の進出による地元経済の破壊を促進してきたために、地方住民がありのままに生きることを難しくしてきた。車に乗らなくては日ごろの生活も不便であり、同じ集落の人々とも、車ですれ違ったら挨拶をするぐらいで、あまりきちんと会って話す機会はないという。一方で「子どもの安全」や社会的弱者を包摂する場としての「コミュニティ」が求められる中、皮肉にも地方の役割が改めて見直されている。

また、地域エコノミストの藻谷浩介氏によると、人口生産性の低い大都市への人口集中は、人口減少を促進させると述べている。またインターネットを用いた地域再生の研究者である丸田一氏は、団塊世代の受け入れ先としての地方に可能性を見出す。そうした文脈でも地方の再生は求められている。とはいえ、小泉内閣時代の「三位一体の改革」で地方財政を大きく削減されたことなどにより、もはや政府にもあまり頼ることができない。そうした中で地方が自力で再生するのは簡単ではない。

仏主は今のところ「絶望」的な状況にあるわけではない。そのことで逆に、切迫して何かをしようという動機も生まれなければ、むしろ「何か取り組みをしよう」などと言わなければ、このまま楽に過ごせるのに…といった本音も存在する。

また、何もしなければ集落の維持は難しいが、インターネットなどを使って懸命に宣伝して、実際に活気づいたとしたらそれはある意味「ありのままの仏主」ではない。そうしたジレンマも存在する。

今回の話し合いは田の維持に必要な労働力などの具体的な数字をあげながら行われ、解決の「方向性」を定めるだけではなく、オーナー制や民泊の実践など具体的にこれから何をするのかというところまで落とし込んだ。とはいえ、こうしたことが実現できるかどうかは、結局は変化を受け入れることができるかということにかかっている。

仏主は本当に美しく、人々は温かい。このまま、ありのままでいることも変化していくことも痛みを伴う中で、本当に変わるべきか、そうでないのかというのが記者には分からなくなってしまったというのが正直な感想だ。

京都府立大の森林サークル「森なかま」の人たちは、サークルのレジャーや合宿で仏主を訪れることはできないか、検討しているという。記者は、結局「どうすべきか」という明確な結論を見出すことができなかったが、とにかく今回で来た仏主の人々や他大学の学生との繋がりをこれからも続けていきたい。

仏主は、3月いっぱいは雪景色であるという。雪が解け、田植えが始まったころ、あるいは都会育ちの記者がまだ見たことない蛍が群がりだす頃、再び仏主を訪れたいと思う。