〈生協ベストセラー〉安富歩『原発危機と『東大話法』 傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店)(2012.02.16)

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著者である安富氏は京都大学経済学部出身であり現東京大学教授である。著者は日本社会に蔓延する「東大話法」が日本を原発問題を含む危機に陥らせているという。

東大話法は「自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」などの20の規則からなる。ただこの規則だけを紹介しても分かりにくいので、東大話法が使われている場面を紹介する。京大原子炉実験所の小出裕章助教と東大大学院工学研究科の大橋弘忠教授の討論である。

小出氏が「想定外の事態があるから、そこはできるだけ安全余裕を持たしておかねばならない、それが原発のような危険なものを相手にするときの原則だ」と言っているのに対して、大橋氏は「想定外のことを論じるなど、安全余裕を完全に間違えて理解している」と反論する。ここで安全余裕というのは「ある点で危険に達するとして、その点までの距離」と考えるとよい。大橋氏は想定可能な範囲で原発の安全性について語っており、小出氏の指摘とかみ合っていない。

ここでの大橋氏のような論法が東大話法である。東大話法を用いるということは、客観性に身を委ねて判断をしないことである。すなわち、「何が起きるかわからないではないか」ということに対して、「考えうるあらゆる可能性を検討したから安全である、安全でないというならば反例を挙げてみよ」というのは「想定外のことが起きたときにどう思うのか、あるいは誰が責任を取るのか」ということへの思考停止である。政府や東電の会見を参照しても、彼らは東大話法を使っていることが分かる。

このような思考停止は、無責任であることに他ならない。原発を推進する側に責任意識がないというのは大いに問題がある。一方で、日本は制度上民主主義の国家であるから、選挙権があった国民にも責任は存在する。

原発を推進する「立場」にあった人間は、本人の価値判断はどうであれ、「このような立場であったから原発を推進した」と言うであろう。反対に、制度上は原発を止めることのできたはずの人々は何というであろうか。止めることができる「立場」にはなかったと言うのではないだろうか。

このように、著者は責任の所在はどこにあるのか分からない日本社会を批判している。人々が思考するときに立場が先に来ることによって、自分の価値判断を保留してしまっている。それが現在進行形で存在している日本社会である。震災後に反原発の考えから行動を起こしている人々も、もしその行動がいっときの祭りのようなものであって、時間がたてば忘却されるようなものであれば、無責任の誹りを免れない。

ここで評者は原発問題をどうすべきかを語るつもりはない。原発以外のあらゆる問題を語るにしても本書が役に立つと考えている。どのような価値観から話していて、誰が、どれほどのリスクを、どこまで引き受けるかということを、しっかりと明記することが、何かを提案する人の責任である。リスクを引き受ける側もいったいどこまでのリスクを引き受けるのかを確認し、それを主体的に引き受けたのだと認識すべきである。(P)

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