松久寛 工学研究科教授「「御用学者」考」(2012.02.16)

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福島原子力発電所の事故以来、御用学者という言葉が氾濫している。もともとは、御用学者は江戸時代に幕府に雇われて歴史などの研究をしていた人を指していた。私が子どもの頃のチャンバラ映画では、十手を持った役人が「御用だ、御用だ、お上の御用だ」と走り回っていた。いまでも京都の町には、「宮内庁御用達」という店がたくさんある。要はお上の下僕である。一方、学者という言葉には、迎合せず真理を探究するというニュアンスがある。この御用と学者という正反対のニュアンスをもつ2語を結合させたところが絶妙の皮肉で面白い。

1960年に水俣病の有機水銀原因説をはぐらかすために、日本化学工業協会が日本医学会会長を委員長として多くの東大教授などを集めて水俣病研究懇談会を組織した。これによって水俣病の原因があいまいにされたために、単に加害企業の責任逃れだけではなく、水銀の放出が続き被害は拡大したのである。これが御用学者という言葉のはしりであると思う。京都大学で、御用学者という言葉をよく耳にしたのは、1970年初めの大学紛争が一段落し、学生が公害などに取り組み始めたころである。瀬戸内海の汚染、尼崎の国道43号線の騒音など公害を告発するグループはいくつかできていた。そのころ、多くの学者は行政に協力し諮問委員会などに参加していた。そこで、公害問題にかかわる学生によって御用学者糾弾という言葉が使われていた。一般的に、行政の委員会では、ストーリーは官僚によって作られており、強硬に意見を言わないとそのまま通って行くのである。黙っていると、物わかりのいい先生と評価され、次々にいろんな委員会にお呼びがかかるのである。最近、電力会社から金をもらっていた原子力関連の委員会の学者は、「金をもらっていたが、意見は影響されていない」と弁明している。この弁明が真実なら、彼らは御用学者ではないが、電力会社に対する詐欺にならないのか不思議である。

1973年に放射性物質が入っていたと疑われるポリ容器が、京都大学出入りのごみ処理業者によって、大文字山の東側にある比叡平に他のごみと一緒に不法投棄された。これを住民が発見し、京都大学に抗議し、すぐに、京都大学総長は謝罪をした。その時に、ある新聞社が、京都大学に転任してきたばかりの放射線が専門のA教授にコメントを求めた。A教授は、「問題はない」とコメントし、新聞に掲載された。それを見た京大の執行部はA教授を問責した。A教授は、大学に都合のいいことを言ったので褒めてもらえると思っていたのだが、逆に叱られたのである。そこで、彼は新聞社に取り消してくれるように頼みこんだが、新聞社は取り消せないと答え、結局、「直ちには問題がない」というA教授の追加コメントが後日掲載された。今の、原発でよく使われている言葉である。

そのころ、公害裁判などでは被害者である住民に説明責任が課せられたが、専門家はだれも協力しないので、常に泣き寝入りをさせられていた。大学の教員も、住民から協力を依頼されると、「私は専門でない。多忙である」などと断るが、企業や行政から頼まれると、二つ返事で引き受けた。もちろん、住民側に立つ教員もいた。しかし、彼らは大学からは疎んじられた。東大の宇井純氏は自分も含めてそのような人達を「塩漬けにされた助手たち」と称した。年月を経るうちに、他大学では、塩漬けにされた助手たちは大学から消えていった。有形無形の圧力がかかり、いたたまれなくなったのである。一方、京大では、塩漬けにされた助手で教授になった人もいるし、学生運動をしていて教授になった人もたくさんいる。京大では、体制に対してもの言う学生、職員、教員がたくさんいたからであろう。この京都大学新聞もその一翼を担ってきた。しかし、これからはどうなることやら。福島原発事故以後、原子炉実験所の小出裕章さんらがよく登場する。彼らの存在で、東大は御用学者ばかりだが、京大はそうでもないと評価されている。しかし、彼らが助手のままであるということは、東大も京大も五十歩百歩である。これは、京大全体の問題なのか、それとも彼らの所属組織だけの問題なのかは今後の京大の行方を占う上で重要である。国立大学である限り、政府の意向に従うのは当然であるという考え方がある。しかし、その資金は国民の税金であり、国民の利益を第一に考えるべきである。もともと、大学の自治や学問研究の自由という概念は政府の干渉に対する自治、自由である。

いつのまにか、公害から環境に名前が変わった。この絶妙なネーミングがまた曲者である。公害というが、水俣病などは加害者と被害者が明確であり、私害である。あるいは、被害者の数が多いと公害になるのだろう。公という言葉によって、加害責任があやふやにされるのである。さらに、環境という言葉を使うと、まるで自然現象であるかのように加害責任が消えてしまう。責任を追及しない、取らないという習慣が日本の特質である。御用学者による諮問委員会も行政の責任回避のためにあるともいえる。そして、環境省ができるなど環境という言葉が体制化されると、多くの環境学者が生まれた。

しかし、反原発はまだ塩漬けコースである。脱原発とか非原発とかという言葉もでてきているが、塩を振りかける勢力はまだまだ強く、いまがせめぎ合いの真最中である。最近は、視聴者、読者離れを恐れ、原子力村から脱出しようとしているマスコミもあるが、なにせ原子力村は政府、地方行政、電力会社、大手原発メーカー、下請会社、学者、司法、マスコミまで含んだ一大勢力である。これは、単に原子力発電の存続だけではなく、事故の責任も絡んでいる。これまでは、避難や農作物への賠償だけであったが、これから癌などが発生すると傷害罪に問われる可能性がある。なんとか、責任を取らないで逃げ切りたいというのが本音ではないか。そこで、これからも御用学者の出番はまだまだある。一方、反原発学者は「あの人たちは変わり者で強調協調性がない」と排除され続けるだろう。もちろん、反原発が体制化すると、反原発学者がたくさん出てくるであろう。でも、そうなっても、初期から反原発を唱えていた人たちは隅に追いやられたままであろう。太平洋戦争敗戦後、一億総懺悔という言葉で責任をあいまいにしてきたが、これと同じことがなされようとしている。東電や政府という組織の責任が云々されているが、個人の責任は議論の俎上に乗っていない。組織が物を決めるのではない、そこにいる人間が決めているのである。日本では、責任をあいまいにするだけではなく権利と義務もあいまいになっている。その原因は、市民革命で多くの犠牲を出して権利を獲得し、それを守るために多大なコストをかけてきたという歴史の有無ではないかと思う。

最後に、私はこの3月末に定年退職を迎える。幸運な時代を過ごした。①戦争がなかった、②飢えなかった、③身分制度がなかった、④経済成長を続けた、などが理由である。歴史上このような社会が数十年間も続いたのは、日本のみならず、世界でもまれである。しかし、④の高度成長でエネルギー資源や環境を食いつぶしてきた。いま、100年分の化石燃料があると言われているが、このままの成長、すなわち指数関数的な増加(年2%)を続けると数十年で化石燃料は枯渇する。燃料の枯渇で滅びた文明は多くある。この成長のつけは、次の世代にまわされる。核廃棄物は何万年も管理し続けねばならないので、次の世代どころか、ホモサピエンスの次の種族かもしれない。成長を支えてきた我々の世代が、まずこの責任をとる必要がある。少しでも文明存続を長引かせるには社会の縮小しかない。100年分しかない化石燃料でも、使用量を毎年1%縮小すれば、永遠に100年分の残存量になる。毎年2%縮小すれば残存年数は増加していく。退職後はこの縮小社会をテーマとして考えていきたい。

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