南アフリカ共和国の教育事情 アパルトヘイトの爪痕深く(2011.12.16)

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12月3日、総合研究2号館にて講演会「南アフリカ共和国における教育―過去・現在・未来―」が開かれた。講師は南アフリカ共和国で理科教育に携わり、現在岡山大学へ赴任しているランビ・ンデラーネ岡山大学教育学部教授。

南アフリカ共和国は1948年まで英国人による支配がなされ後、アフリカーンスと呼ばれるオランダ人による統治にとって代わり、その支配はネルソン・マンデラが初代黒人大統領に就任する94年まで続いた。アフリカーンスの下で施行された、かのアパルトヘイト法撤廃前後で南アフリカ共和国の教育は一変したという。

アパルトヘイト法(1948~94年)は人種により公共空間や居住区を分断し、職業を制限したがその方針は教育にも及んでいた。バンツー教育法は黒人に対し、制限された教育を施した。不平等な予算、別々の学校と大学が用意され、黒人に対する公立学校の教育は農業、初等の算数、英語、アフリカーンス語、母語、家政学に限られていた。生徒数は過密で、少人数の教師しかいないため生徒が一方的に聞くというスタイルを採らざるをえず、教科書、教育機器、職員室、幼児教育、図書室は一切なかった。また義務教育はなく、多様な年齢の生徒を一堂に生徒が教えていた。ランビ・ンデラーネ教授は学生時代に支配言語が変わり、授業で使用される言語が英語からアフリカーンス語へと変わったという経験を持ち、また母語での名前以外に英語名を与えられ、学内では英語名を用いていたという。

反アパルトヘイト運動はこうした差別的教育への反発をも原動力とした。1976年、アフリカーンス語の授業導入に反発した抗議運動、ソウェト蜂起が生じる。多数の学生が殺されたこの大惨事は、本格的な反アパルトヘイト運動へとつながった。

94年以降、人種に関係なく自由で平等な教育が目指され、教育設備、黒人のための幼稚園、新しいカリキュラム等が整備された。また支配言語の地位を作らず全言語を公用語化し、英語を指導の媒体言語とした。

ただ、課題は多い。カリキュラム実施に必要な熟練教師が足りず、また現職訓練が新カリキュラムの要請に役立っていないこと。黒人の間に貧富の差が広がり、同時に教育格差も拡大していること、積極的格差是正措置(アファーマティブ・アクション)が社会に悪感情を生み出していること、元白人居住区へ有能な教員や黒人の子供が一方向的に移動しており、その流れは逆にならないこと、などがあるという。分離政策の爪痕深く、南アフリカ共和国の教育にはまだまだ難題多しと言えそうだ。(鴨)

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