京大で子供を育てる 第5回 国費二重取り批判 「大学とともにある」ことの変化(2007.12.16)

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1977年に社会福祉法人化による運営が始まった朱い実・風の子保育園。経営が安定化し、園舎の整備も進むいっぽうで、これまでその母体であった京大当局との距離感もまた生まれてきた。それを暴露したかたちになったのが、81年の毎日新聞による国費二重取り批判である。保育所の整備が進み、途中入所措置がとられるなど、両保育園をとりまく環境の変化は「京大とともにある」保育園の意味も変化させていった。 (ち)

◇毎日新聞の国費二重取り批判

それは、81年6月28日の毎日新聞朝刊の社会面だった。

「行革で、国家予算の使途が問い直されているおりから、国や京都市の正規の補助金を受けている京都大学構内の三保育園に、同大学が過去五年間計一億円の『補助金』を出していたことが会計検査院の調査で判明。京大側は『大学職員の子供が多く『補助金』も職員の福祉厚生のワク内』と言っているが、会計検査院や厚生省などは『国費の二重支出』と重視、二十七日から本格的に調査を開始、結果のまとまるのを待って京大に改善を勧告する方針」(毎日新聞1981年6月28日)

見出しには、「京大が構内の3保育所に補助金」「『国費の二重支出』と調査」と言葉が踊る。記事では、朱い実・風の子保育園を運営する社会福祉法人「樹々福祉会」が、国と京都市の措置費を受けているにもかかわらず、京大から職員派遣などの援助を受けていることを「二重取り」だとして批判している。当時、京大から派遣されていた職員は11人。その金額が5年間で1億円に達するとしてセンセーショナルに報じたものだった。

もともとは会計検査院が5月初頭に調査し検討を進めていたところを、毎日新聞が取り上げた。この記事を受けて、樹々福祉会の加藤利三・理事長は、永田量子・朱い実保育園園長と連名で毎日新聞に抗議文を提出。両保育園と共同保育所の関係に理解不足があるとともに、福祉切り捨ての行政改革を踏まえない一面的な報道だと抗議した。京大からの職員派遣は、財政的な基盤のない年度途中入所児のための共同保育所の支援を主たる目的として行われたものであり、これを(社会福祉法人が運営する)両保育園への支援と混同するのは軽率に過ぎる。

また、大学との関係も通常の保育園とは異なる。加藤利三さんは、両保育園の特殊性について「朱い実保育園は、単なる保育園としてだけでなく、教育学部や京大医療短期大学などの実習(医短は77年の京都市認可後から)や研究の場として活用されてきた」と語る。

その後、職員派遣はどうなったか。1977年、社会福祉法人化10年目を迎え、大学事務局と職員組合、保育園の3者で話し合いが持たれた。その結果、78年より10年計画で派遣職員を11人から3人へと減らすこととなった。最後の派遣職員が退職したのが99年、それから京大の人的援助は途絶えることとなる(土地の無償貸与は続く)。

◇親同士のつながり

社会福祉法人化後10年が経過し、経営の安定化が実現しつつあった朱い実保育園。保育実践だけでなく、保育環境の整備を求める運動体としての意味合いも持っていたため、保護者会が非常に活発に活動していた。

まずは月に1回のクラス会。クラス委員、新聞を発行する情宣委員、保育園バザーを企画するバザー委員、会計などをする運営委員。卒園式間近には、卒園式対策委員も選出する。次にその各委員会での会合が月に1回。それぞれの会合に保育園のスタッフがつく。

年間行事としてはバザーとお泊まり保育。バザーは、職員のボーナスが支給される6月と12月の年2回開かれ、手作り市や保育のようすの展示、模擬店などを行った。手作りの品は、子どもの年齢ごとに分けられていた。お泊まり保育は年に1回だが、自主的に何回か行われていた。

風の子保育園に子どもを預けていた人間・環境学研究科職員の西村良子さんは「(保護者会の活動は)公務員が多いからこそできたことだと思う」と振り返る。子ども同士よりも保護者同士のほうが、仲が良いこともあるという。看護師の多い風の子保育園では延長保育や夜間保育が特に必要となり、保育時間以外で園舎を借りてバイトを雇い延長保育が行われた。

◇お互いの存在の希薄化

73年の第二次ベビーブーム以降、出生数は減り続けていた。児童福祉の焦点は保育所の整備から、女性の社会進出に伴う保育需要の多様化へと移っていく。保育需要の多様化に関する議論は主に、延長保育、病児保育、乳児保育の3点である。71年の厚生白書では、程度の差こそあれ、いずれの点ともに「保育所で普及することは困難」との認識のもと、育児休職制度の整備などにより母親が行うのが望ましいとされている。その後、延長保育や乳児保育が全国で広まりだすと、87年に国は「保育所機能強化推進費」を計上し、保育所に対し助成を行いはじめた。

乳児より更に幼い0歳児にあたる途中入所児については、86年に緊急途中入所制度を設け、定員の5%について緊急途中入所を認めると、93年には10%に拡大された。

70~80年代に進んだ保育環境の整備、減り続ける出生数という外部要因のなかで、京大職員の新規採用枠の縮小も重なり、特に朱い実保育園では京大関係者の割合が低下していった。現在では定員の3割が京大関係者である。また、年20人ほどの途中入所児も80年から減少に転じ、共同保育所が開設しない年も多くなった。その結果、99年には派遣職員退職に伴い閉鎖された(07年12月、女性研究者支援センターで保育室設置による復活=2面に続く)。

京大と両保育園、互いの重要性が相対的に薄れていく過程を80年代のなかで見てみた。両者の関係は、04年の法人化という「とき」と、女性研究者支援という「テーマ」のもと再び結びつくことになるが、次回は京大保育所をいったん離れ、90年代の少子化対策政策のもと、「京大で子どもを育てる」ことを追ってみる。

《本紙に写真掲載》

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