文化

〈生協ベストセラー〉内橋克人編『大震災のなかで―私たちは何をすべきか』(岩波新書)

2011.08.14

東日本を襲った未曾有の大震災は、発生して4か月あまり経った今なお、その被害の全容が把握できないほど甚大な爪痕を残した。収束ムード、取り戻されつつある平安をどれほどメディアが話題にしようとも、彼らには掬いきれない絶望がその陰に存在していることを私たちはよく知っている。

しかし、これほどの絶望が現前していても、いや、現前しているからこそ、「あの地域の復興は諦めよう」といったペシミズムに陥るのではなく、あらゆる専門的・一般的知見を駆使して、再建への方策を講じていかねばならない。その「知見」は錯綜し、ともすれば個人間で矛盾しあうものであるのかもしれないが、再建のために何らかの形で活かされるものであるという意義を共有している。本書は、専門家が思い思いに言葉にする「知見」の雑文集である。大学教授、思想家、住職……多様な背景を持つ33人もの書き手の文章を通じて、あの震災が日本という国にもたらしたものを辿るというのが本書の構成となっている。

ル・モンド紙への応答という形でこの災害に考えを巡らすのは作家・大江健三郎氏。大江氏は広島・長崎の記憶(およびその後の日米関係)を目下進行している福島第一原発の状況と照応させて、「あいまいな日本はまだ続いている」とする。この国の現状と将来に関する判断を他者、他国にあまりに委ねすぎた日本の姿、唯一の被爆国でありながら「核の傘」の意義を公式に認めることに対する違和感。大江氏はこれらの「あいまいな日本」について、逃れがたいものではあるけれども今後許容されない状況に追い込まれる、と鋭く指摘する。

無論、許容しないとする判断の主体は私たち国民である。「原発には生命を脅かす危険性があると言われていますが、それでも支持しますか」、「原発がなければ経済・生活が成り立たないと言われていますが、それでも支持しませんか」という二つの質問に対して、私たちが自信をもって統一された回答を提出すること。それは容易ではないけれども、決断をしなければならない日はいずれやってくるのである。

NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」の代表を務める清水康之氏は、震災で突如「遺族」となった人々の苦しみをどう支えていくか、という論点から支援を説く。清水氏曰く、遺族としての苦しみは、「目には見えない爪痕」である。しかし、社会経済的基盤の回復に偏重する現状では、こうした人間的な痛みをいつまでも放置することになりかねない。まさに、経済大国として向上し尽くした日本の地位と、それに反比例して低下した幸福感―氏は自殺率をその基準とする―の関係と相似をなしているではないか。

とはいえ、経済的・物質的援助とは異なり、人間的な痛みの回復は何よりも当人の努力を必要とする。それはしかし並大抵のことではない。大切な人を救えなかったこと、自分だけ生き残ってしまったことへの罪悪感は、私たちの想像を絶するものであろう。したがって清水氏は、「過去を乗り越える」のではなく「過去を受容する」ことを助言する。言い換えれば、故人との関係性を、自分の納得の行く形に編み直すことである。過去を事実としてではなく、記憶、ストーリーとして物語る―それは事実の捏造にすぎないのかもしれないが、大切なのは、遺族として生き残った人々にとって、生きていてよかったと思える社会を構築することである。被災していない私たちにも、無責任に「頑張れ」と繰り返すのではなく、生き残った人々が精神的に落ち着くことのできる体制に寄与していくことが求められているのだ。

本書には、いかにも専門家体、現実を考慮していないという批判が可能と思える論考も少なくない。だからといって頭ごなしに退けていては、復興・支援の理論的根拠も失われてしまう。想定外の現実に対処しうる方策を新たに考えるのは、専門家のメッセージを受け取った、私たち読者なのである。

《本紙に写真掲載》