文化

京大雑記 「節電」という名の経営「哲学」

2011.07.27

先日、京大新聞の取材で「京都大学学際融合教育シンポジウム ―融合連携の本質―」とやらに顔を出した。噂によれば、最近の京都大学のトレンドは「学際融合=専門を飛び越えた学問分野」らしい。どこかのシマシマユニホームの球団のごとく、伝説のヒガシ京大学に勝ちたい、勝ちたいんや!と血眼になっている京大当局にとっては、まさに「棚ボタ」なハナシであろう。これで本当に「勝てる」のかどうかは別として、とにもかくにも、私が行ったシンポジウムでは、そんなトレンドを色んな部署がメディアや教職員に向けてアピールしていた(退屈だったのは内緒である)。

冒頭、松本総長の話を聞いていたのだが、どうも何かが不自然だ。デジャ・ヴュのようなものを感じたのである。よくよく記憶をたどってみると、この前「京大スピリッツ」でも同じような話をしていたことを思い出した。「今の石油の残量は、富士山のバケツにして6分の1なのだ!」「資源の量は、限りあるものである。そしてこれから、世界のエネルギー使用量はますます増えていくだろう」……。知り合いの新入生に聞いたところ、入学式でも同じような話をしていたそうである。これにはさすがの私でもびっくりした。一つのことを何度も何度も強調して繰り返すのは、時には大切なことであるともいえるが、自明なことをそう何回も言われてしまっては、物わかりのいい京大生諸君はすっかりウンザリしてしまうだろう。

びっくりしたと言えば、最近総長がよく使っている「地球滅亡・その防止の図」(図1参照)である。地球が滅亡までの坂道を転落しそうになっていて、それを技術などが頑張って防いでいる、という趣旨を伝えたいのだが、問題は「哲学」の立ち位置である。総長は「哲学は地球を上側から引っ張っている」と言っているのだが、図をどう見ても、「哲学」から伸びているひもの位置からして、「哲学」は地球を滅亡させるベクトルに作用するほかない。哲学は身を滅ぼすどころか、地球まで滅ぼしてしまうらしい。総長は見事なまでの分析(直感?)でその真実を暴いてみせたのだが、目の前で総長のプレゼンを見ていた、何も知らないインド古典「哲学」専攻の某学生担当理事は、どのような心境でこの図を眺めていたのだろうか。気になるところである。

話は変わるが、京都大学は関西電力からの要望で電力カットへ向けて努力することを決定したそうである。経済界の顔色をうかがう京都大学当局にとっては最高のエエ格好が出来た形となったのではなかろうか。学内を見渡せば、手始めに所々の施設の蛍光灯を減らしているのが目につく。一方で、莫大な電力を使用しているであろう研究施設については、自明のごとく何も言及されていない。文系の私にはよく分からないが、マイクロ波などの発射には京都大学がもう一個要るくらいの電力が必要なのではないだろうか。流石は「研究大学」京大、そういったところはうまくスルーする術を身につけているようである。

このまま上手く事が進めば、京都大学も晴れて関西のエラい経済界の仲間入り、京大の上層部は総長をはじめとする関西の企業の社長達、資本主義の論理をトップからダウンへと一方通行にだだ流し、まさに資本主義ファシズムの登場ではないか。やはりここでも流石「常識破り」な京都大学、ヒットラーやムッソリーニ、果ては「我らが大日本帝国」においてのさばり、戦後あれほど批判を受け続けて来た「ファシズム」を再び21世紀のこの世に現前させてみせんとは。あっぱれと言わんばかりの大偉業である。そんなことを徒然なるままに考える私は、京都大学に入学して本当に良かったと、つくづく身にしみて思うのであった。(穣)

《本紙に写真掲載》

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