文化

〈企画〉地獄の金沢脱出劇 吉田寮ヒッチレース体験記(1)

2011.06.19

ヒッチレースとは吉田寮祭でもっとも過酷なイベントの一つである。ヒッチレースの出走者達は深夜に車に乗せられて寮を出発し、全国の各地へと運ばれる。徳島、岐阜、愛知、それぞれの場所にランダムで捨てられた出走者は無一文、かつ身分証明書なしでヒッチハイクのみにより、京都を目指す。今回は編集員47が富山からのヒッチハイクに挑戦した。

ヒッチレース(富山編)

朝6時半、富山県国道上の静かな「道の駅」で降ろされる。人生23年目にして初の富山県であるが、感慨にふける間もなく寮生Hの車が走り去り、私は吉田寮から数百キロ離れた北陸の地に所持金ゼロで取り残されることとなった。

無一文。富山県。一人きり。自分の身に起こった事態にいささか愕然としながらもすぐに気を取り直し、所持を許されている大学ノートとマジックでもって「金沢」のメッセージボードを用意する。国道の金沢方面車線で30分ほど粘っていると「金沢市街の手前までなら乗せられる」というおじさんが停まってくれた。車内で聞いた所によるとそのおじさんは20年以上競馬の騎手をしていたとのことで、最近の競馬界の経済的不振をしきりに嘆いていた。

結局、金沢東インターの横まで連れていってもらい、おじさんに繰り返しお礼を言いながら下車する。

開始1時間少しで富山を脱出し石川県に入るという好調なスタートは少なからず私にこれからの旅への自信をもたらしたが、このときの私はまだ知らなかった。これが地獄の金沢脱出劇の始まりだということに。

さて、初っぱなの思わぬ成功により横着心が出た私は無謀にも「京都」のメッセージボードを掲げて金沢東インターチェンジ福井側入口付近の車道に立ったが、やはりというか、誰も停まってはくれない。しばらくして行き先を「福井」に変えて親指を立て続けるも効果がなく、結局2時間以上にわたって無視され続けることになった。

ヒッチハイク

無情にも車は停まってくれないのだった(イメージ)

場所が悪い。そう考えた私は5キロほど離れた金沢市街を目指すことにした。関西地方から来た観光客に乗せてもらおうと考えたのだ。「金沢城」のメッセージボードを掲げつつ市街へと歩いたが誰も停まってくれず、とうとう市街までの5キロの道のりをすべて歩くはめになった。人と車がいっぱいの金沢市街に辿り着いた私は金沢城下の公園ベンチで一瞬だけ休憩した後、早速駐車場を巡って関西地方、または福井のナンバーをつけているドライバーに乗せてくれるようお願いしたが、この時はまだ昼前だったためこれから帰りというドライバーがおらず、私が取った観光客狙いの作戦は全くもって空振りに終わってしまった。仕方なく兼六園下の交差点付近で再び「福井」のボードを掲げるが、相変わらず全くの無反応で時間だけがむなしく過ぎていった。そのうち12時をまわり13時になるも何の成果も得られず、このあたりから精神的、肉体的疲労が耐え難いほど大きくなってきた。

金沢市街に出たのは完全に失敗だった。そう悟った私はもう一度高速道路のインターチェンジに戻ることを決心する。痛み始めた足に鞭をうってまた5キロほど歩き、金沢西インターへ。途中、橋を渡る際にカラスに2回後頭部をつつかれる。3回目の襲撃は最初に乗せてくれたドライバーのおじさんがくれたビニール傘を振り回してなんとか撃退する。ヒッチハイク中の場所移動なども考えるともう計15キロ弱は歩いただろうか。やっとの思いで金沢西インターに着いた私はへとへとになりながらも「福井」のボードを掲げ続ける。もう7時間以上金沢で足止めを喰らっている。もしかすると一生金沢から出られないのではという気になってきたその時、ついに信号待ちの車が乗れと合図してくれた。そのドライバーさんは北陸自動車道上の福井手前のSAまで私を乗せて行ってくれたうえ、そのSAでうどんとおにぎりをごちそうしてくれた。まさに捨てる神あれば拾う神ありである。そして何より大きかったのが高速道路に入れたことで、ここから一気に全てがうまくいくようになる。おじさんと別れた直後、1人目に声をかけたおじさんに北福井のSAまで乗せてもらうことができ、さらにその北福井のSAでも京都まで乗せてくれる人を1分かからずに見つけ出すことができた。金沢での地獄のような苦労は何だったんだというようなあっけなさで京都の深草に到着する。そこで30分ほど「三条」のボードを掲げているとおしゃれなお兄ちゃんがなんと川端丸太町まで乗せてくれた。

ここまでくれば寮はもう目と鼻の先だ。無事帰還できた嬉しさで心を躍らせながら丸太町通りを歩く。熊野寮を右手に見て聖護院を超え、近衛通りに着く。出発から時間は18時22分。ついに私の家、吉田寮に帰ってきたのだ。

この時の嬉しさはもう筆舌に尽くしがたいものがあった。これまでに溜め込んだ疲労も、ゆっくり歩くだけでぎりぎりときしむ足の痛みも、全て忘れるほどの喜びだった。ああ帰るべき場所があるということは素晴らしい。もう私はひとりきりではないのだ。(47)