伊從勉 人間・環境学研究科「まちと大学:まちとの共生」(2011.06.01)

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教会という権威に対抗して自由学問の拠点として大学を確立する戦いをまちのなかで長く続けてきた西欧社会では、大学は当然まちにある。それに対し、官立の大学から出発した日本近代百年有余の大学制度では、まちと大学の関係がそれほど明確ではない。戦後、工場と共にまちのやっかいもの扱いをされた大学は、盛んに郊外に転出し、学生も教員ものどかな郊外暮らしを営むやに期待されたが、その夢(学園都市)は破れ、近年はまちに戻り始めた。少子化と人口減少の時代に入ったからと、まことしやかに説明されるが、そうだろうか。そのような物理的問題ではすまない、より重要な問題が隠れている。郊外の大学は、まちをつくることに失敗したのである。学問の真理の追究の場が大学だとは、日本でしばしば耳にする大学の存立基盤の常套句だが、やや抽象に過ぎる。研究の市民的基盤、すなわちまちの存立基盤に大学や学問の存在も基づくことを忘れていると思う。大学の外に自治がなければ大学にも自治がない。またその逆も言える。京都大学にはその歴史がある(*1)のだが、さて。

大学の施設について書くようにとのご依頼なので、私の大学観は青年期に学んだ欧州社会と大学のイメージに影響されており、それと日本の状況とを比較していることは予めお断りしておこう。

今日、大学という研究教育施設、しかも国立大学法人(以下「国立大学」)を冠する京都大学の制度と施設に対して、学生諸君は一体どのようなイメージと期待をいだいているのだろう。私の世代の教員が抱いている国立大学のイメージとは、恐らく、雲泥の差があるはずだ。私の世代とは、一九六〇年代後半から七〇年代前半に学生生活を経験した世代で、今「国立大学」に在籍する現役教員層の最後のジェネレーションである。それぞれに、長い学生生活ののち、七〇年代から八〇年代にかけて教員になり、建物の建て替えなども見てきてはいるが、教員や学生が使用する施設規模単位が、それほど大きく変わったとは思えない。

しかし、一番大きな違いは、恐らく授業料の額である。私が入学した当時、授業料は一ヶ月千円、年間で一万二千円であった。当時の生活費は下宿代を入れても三万円程度と記憶している。今日、授業料は五三万円余、四〇年間で四〇倍以上の高騰である。生活費が五倍にもなっていないことを考慮すれば、異常としかいいようがない。値上げは法人化がもたらしたものではなく、歴代の日本政府がとった「受益者負担」の文教政策の所為である。したがって、今日の「国立大学」に対して、学生として大学に求める条件は、私たちが学生であった時代の比ではないはずである。学生には(というより、高額を支払う保護者にはというべきか)要求する権利があるだろう。しかし、大学の中にサービス施設を充実して、閉じた社会集団(ゲイティッド・ソサイティー)となればよいのだろうか。そうではないだろう。

大学が法人化して以降、かつてなかったことだが、学生や市民を相手にした部分を「国立大学」もようやく意識し始め、その整備を始めた。高い学費を払う学生さんは「お客様」だからだ。おしゃれなレストランが時計台の改修と同時に開店し親御さんを迎える。総長の公用車庫だったガレージが生協イメージを脱ぎ捨てたレストランにもなった。大学ブランドのビールも生まれ、カレーのレシピも開発された。結構なことである。国立大学時代には、こんな余裕はなかった。

私が学生であった七〇年代の大学は、世界的に大学が政治に対する抗議の場となった六八年から六九年のまま、かつて学生が一部占拠したこともあった大学施設は貧しいもので、占拠した学生は同じく貧しい教師の研究環境を知った。個人に係わる施設の貧しさを教師と学生が共有していた。しかし、大学共通の施設はそれなりに立派なもので、歴史と学風がもたらした所蔵書籍(ハコの図書館はお粗末でも)そして研究教育施設とそこで積み重ねられた業績の蓄積が国立大学の存在意義を担保していた。つまり、授業料は安いのだから施設は多少貧しくとも我慢する、しかしそこで展開する学問研究は世界水準にあるという共通認識が救っていた。

大学の施設は、基準面積という旧文部省が定めた大学施設の設置基準面積係数(学部・研究科によって異なり、理工重実験・理工農軽実験・文系実験・文系非実験の4種類)に学生と教員の実数を乗じた数値に事務スペース加算を行った総計が権利面積であり、現存施設総面積との差が不足分となり、要求可能な施設面積となる。基準面積係数は現在ではより単純化し少しは増えたのだが、未だにその計算方法は変わらない。つまり、頭数による計算が施設面積の基数なのである。したがって、施設増加の要因は頭数の増加、つまり新設研究科や学生増員などが生み出す需要であって、それは質的改善を意味するものではない。

大きな変化のひとつは一九九一年の大学設置基準の大綱化で、施設面では大学として備えていなければならない体育施設などの設置義務が外された。市中に運動グラウンドがもてないために七〇年代に大学はまちから出て行かざるを得なかったのだが、この変化は、大学の設置条件を大きく変え、郊外大学キャンパスの存在意義を色あせたものにした。疑似都市を標榜して建てられた郊外キャンパスが退屈な場所でしかなかったのは、もともと社会がそこに形成されるはずもなかったからであった。そのような時代に、何故京都大学工学研究科は桂に出て行ったのかというと、それは、不足する施設面積を吉田構内で充足することが出来ないことが明らかになったからである。

一九九〇年代は景観保護がようやく日本の都市でも認識されだした時代である。大学環境の自然・社会的条件が厳しくなり、大学だけの都合で過密化や高層化が許されなくなった。そもそも九〇年代始めに、京都大学施設面積の不足分を31メートルの高層校舎を建て充足しようとしても不可能であることが検証された。しかし、どうしたことか、その数年後、31メートル級の校舎が、次々に建ち始め、吉田神社参道に近い工学部総合館は、時計台の存在を薄くしてしまった。

ところが、それから数年にして、工学研究科の桂キャンパスへの転出が決定された経過は、未だに理解に苦しむ推移であった。九〇年代の経済不況期に、事務床需要の減少を補うために都心部に高層マンションが林立したように、京大構内に高層校舎が林立した。しかも程なくその方針は放棄せざるをえなくなった。二〇〇四年公布の景観法による市中景観計画の策定(二〇〇七年)により、鴨東地区は20メートルの高度規制となったからである。大学の施設長期計画の見込外れといってよいだろう。さらには、九〇年代にはいくつもの新研究科が京都大学に誕生し、面積需要の頭数が増えた。それが不足面積を大きくし、吉田構内で解消させることが全く不可能となった。しかし、それは量の問題であって質のそれではないのは、先述の通り。

さて、欧州での学生生活を経験した私は、学生諸君がクラブや同好会でキャンパスにたむろしている姿に、世の中の動きとはかけ離れた、違和感を禁じ得ないでいる。日本社会における大学スポーツやクラブの歴史は理解しつつも、クラブの基礎がまちに置かれている西欧社会のようなクラブに、何故大学生が出て行かないのだろうかと思っている。いつまで、高校生活のようなことをしているのだろうという印象だ。日本の大学は未だに、ゲイティッド・ソサイティーならぬゲイティッド・アサイラムつまり隔離施設ではないのか。

したがって、私の個人的な見解では、学生諸君は今日の高額な学費に見合った娯楽施設を「国立大学」に求めるのではなく、大学本来の機能の質の充実を在学期間中に得られるよう費用対効果として求めるべきであろう。あるいは、国立大学としての当然の学費の低減化を、大学運営者にではなく、日本の政治に求めるべきであろう。そして、「本を捨てずに、まちに出て」、市民として遊んでほしい。まちが校舎なのだから。

大学の運営側からしても、資金の投資は大学本来の研究教育機能の質的充実に向けるべきはいうまでもない。まちの機能と二重化する部分は、民業圧迫を極力さけるべきであると思う。大学内の二つのレストランの開店は、工学研究科の転出と共に、百万遍近辺の活気と質を奪ったようにみえる。むしろ、福祉厚生のある部分は、まちの機能に頼ってもいいと思う。例えば、現在のキャンパスに、二千人を収容するような大学ホールを建て、入学式や卒業式を自営することは無駄である。京都会館の第一ホール(*2)を用いれば済むことである。あるいは、小学校の入学式や卒業式と見まごうような、親子の式への同伴参加を遠慮してもらえば済むことではないだろうか。

こうして、量的な大学施設の充足が吉田キャンパスのみでは不可能となったこの機会こそ、とるべき選択肢は、量の追求は複数キャンパスに分散させ、施設の質とまちへの参加を明示する方向であろうと思う。構内に閉じた大学という一九世紀的隔離施設のコンセプトから、まちの街区を構成する施設としての大学へ、まちなかに展開する方策を検討し、吉田構内はそのシンボルゾーンとしての役割を果たすべき時代となったと思う。まちと共存する世界的レベルの大学として。

*1 一九一八年から二一年まで、京都政界の腐敗を見かねた京都帝国大学法科大学の教授四人、工科大学教授が一人、京都市会議員を務めた時代がある。それらの人物のなかに、大学内の自治確立にも活躍した人物がいた。丸山・伊從・高木編『近代京都研究』思文閣出版、二〇〇八年、編者あとがき参照。

*2 現在、京都会館第一ホールを取り壊して、オペラハウスにする構想を京都市は発表している。大阪と大津市に既存の巨大オペラハウスが存在する中で、興行的には成り立たない施設を、コンサートホールに続いて京都市はつくろうとしている。この種のことを、「京都大学」はすべきではないという一例である。


いより・つとむ(人間・環境学研究科教授・共生文明学/文化・地域環境論/環境構成論)

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