〈企画〉大学授業料を考える(2011.03.16)

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53万8000円。2010年度の京都大学の学部授業料である。国立大学の法人化法人化以後、大学の主な収入源である運営費交付金は毎年1%ずつ削減され、また、実現はしなかったものの来年度の大学予算を大幅に削減する動きもあった(本紙2011年1月16日号参照)。一方で、学内では学費の無料化を求める「学費ラッダイト運動」も起こった(本紙2010年11月16日号参照)。

そんな中で、ただ黙々と学費を払い続けるだけでよいのだろうか。「学費は廃止するべき」、「今の学費は安すぎる」など、それぞれの立場や主張はあるにしても、なぜ53万8000円という学費を支払っているのかを考える必要があるのではないか。そして、大学の授業料が向かうべき方向を見定めるには他国の授業料制度が大きな道しるべやコンパスの針になるのではないか。

そこで今回は、日本の大学授業料史と各国の大学授業料制度の2つの視点から迫りたいと思う。 (編集部)

授業料増額の経緯 「公共性」と「受益者負担」


日本の学制は、1945年の第二次世界大戦での敗戦によって大きく変わった。旧制の学校制度では小学校を卒業した時点で中等教育機関へと進路が分岐するが、進学先によっては高等教育機関へと進むことができないルートが存在した。GHQによる占領政策の基本は軍国主義の否定と民主化であり、教育政策においては「教育の機会均等」の実現を目指していた。このため、現在まで続く「6・3・3・4」型の単純な学校形態が生まれた。袋小路をなくすことで「機会均等」を目指したのである。また、住む地域によって大学に通学できない状況を改善するために、各県に国立大学が建設された。これもまた「機会均等」の1つの形である。そういった政策の中で、国立大学の授業料は低額に定められた。これも経済的格差によって高等教育から疎外される学生を減らすためである。一方、私立大学は自身の資産と授業料に収入を依存していた。

1960年代になると、低額な授業料の根拠として、大学を初めとした高等教育機関を一種の公共財として、教育の普及や高度化が社会に対して経済的な利益をもたらすと考える「教育投資論」が登場する。もちろん、大学は入学試験による選抜などの排他性と競合性を持っているため、そのままの意味で「誰もが対価なしに利用できる」公共財ではない。しかし、大学はそこにおける教育によって社会に人的資源を提供し、また研究によって技術的な発展をもたらす。社会にもたらすこの「外部効果」によって大学は公共財として認められる。さらにこの時期に政府は高度経済成長を支える理工系の技術者育成に力を入れた。

60年代後半になると、ベビーブーム世代、いわゆる団塊の世代が大学受験生として登場する。公立の小学校、中学校、高等学校が増設され児童・生徒が吸収されたのに対して、国立大学はほとんど拡張されず、国は私立大学の許認可規準を緩くすることで対応しようとした。その一方で高度経済成長を見越した理工系学生の募増計画もあり、私立大学の数は急増し多くの大学進学希望者を受け入れた。

私立大学の授業料は戦後一貫して増加し、国立大学との差は開くばかりであった。これは敗戦後のインフレも影響しているが、それだけではない。国からの充分な援助がないままでの前述の爆発的な学生の増大により、上げざるを得なかった部分もある。さらに、この頃には許認可の規準が緩くなったこともあり、それまでは篤志家が自らの財産をもとに設立する財団法人的な性格を持っていたのが、借入金によって事業を興し、授業料をはじめとする利益によって借入金を返済するという、事業的性格が強くなっていた。

こうした中で、私立大学と国立大学の間の学費格差の是正が叫ばれるようになり、また国内の大学進学者のほとんどを私立大学が受け入れている状況で、国立大学にだけ公共性を認め、経済成長に寄与しているように考えることは困難になってきた。1971年の中央教育審議会の答申『今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について』において、私立大学に対して国からの援助を強めるとともに、大学教育によって学生個人も利益を得るとし、受益者負担額として授業料を徴収するべきであるとした。最終的に、当時の文部大臣は1972年4月に1万2000円から3万6000円に値上げされたのを皮切りに、国立大学の授業料の値上げを実施した。

70年代後半になると、オイルショックや経済の低迷による国の財政の逼迫も影響したであろう。そんな中で受益者負担論は次第に強調されるようになり、さらに80年代になると、コストに見合った対価を払うべきだとする対価主義も理由として挙げられるようになった。さらに私立大学の助成も物価上昇を鑑みれば増加しているとは言えず、年々授業料は上がり続けた。
 こうして国立・私立大学ともにこれまで上昇し続け、特に国立大学では2、3年に1度ほぼ定期的に授業料値上げが敢行されている。

2000年代になると、国立大学の法人化がにわかに現実的になる。国立大学の法人化は、「競争的環境の中で世界最高水準の大学を育成するため」(2002年11月閣議決定)の大学の構造改革の一環として進められ、翌年関係法案が成立し、2004年4月から国立大学はそれまでの文部科学省内の施設等機関ではなくなった。各大学は学科を新設するなど(法人化前は省令の改正が必要)、自由に新たな取り組みを行えるようになり、授業料についても個別の判断で改定できるようになった。ただし「学生の経済状況によって左右されない高等教育を提供する」という国立大学の役割を果たさせるため、文部科学省は2003年度の授業料を標準額として、そこからプラスマイナス10%以内に抑えるよう定めている。実際には、標準額は2005年以降現在まで据え置かれている。法人化後は、例えば京都大学では2005年度の値上げ以降は授業料は変更されておらず、53万8000円のままである。

授業料増額の過程には「公共性」と「受益者負担」の概念が影響している。現在、大学は外部効果としての公共性だけでなく、地域に直接利益をもたらす意味での公共性、例えば公害問題の解決や、企業などとの連携も推進されている。これからの大学が社会に「公共性」を示せるかどうかで、今後の動向は大きく変わっていくだろう。(書)

各国授業料事情


ここでは、日本と比較する対象としてフランス、中国、フィンランド、エジプト、アメリカの5カ国の授業料制度を取り上げる。それぞれ特徴的な制度を持っている。

フランス編


フランスでは6歳から11歳までがエコール(小学校)で、その後4年間(12歳~15歳)がコレージュ(中学校)で教育を受ける。コレージュの後3年間(15歳~18歳)はリセ(高等学校)で後期中等教育を受けるが、義務教育は6歳から16歳までである。エコールでは教科書は貸与され、ノートや鉛筆などは支給される。コレージュでは教科書は貸与されるが文房具は自前となる。リセは義務教育ではないので教科書も自前となるが、授業料の支払いはない。

リセには3年制の普通リセ(普通過程と技術過程)と、2~4年制の職業リセ(職業課程)がある。どちらにも農・商・工などの産業系のコースが用意されており、前者はテクニシャン・中間職、後者には熟練職に導く専攻が置かれている。

リセの後は高等教育への道が開かれ、総合大学や単科大学の他にグランゼコールという専門分野の高度専門職養成機関がある。フランスでは一部のエリート大学やグランゼコールを除き、リセ卒業時に行われるバカロレア(大学入学資格を得るための統一国家試験)に合格すれば任意の大学に入学できる。

国立大学の場合、学費は登録税と保険費を合わせた3万円しか1年間でかからない。

グランゼコールには理工系や商業系などがあり、理工系は公立が多く、年間の学費も0〜1000ユーロ(0~12万円)ほど。それに対し、商業系は公立と私立が半分半分ぐらいで、学費も7000~8600ユーロ(80万〜100万円)と高額である。その代わり、グランゼコールの学生は、比較的安い家賃で住居の提供を受けることができる。この場合、学生本人の資金状況にはよらず、グランゼコールの学生であるというだけで支援を受けることができる。グランゼコールでは教師が一人で多数の生徒を相手にするという“マス教育”ではなく、“少数精鋭”の高度専門教育を行うため、大学に比べると学費が高いのだと思われる。

以上より、フランスではグランゼコールを除き学費はほとんどかからない。グランゼコールにしても支援があるので、学費負担は多少軽減される。といっても、フランスでは進級が難しいので怠けていると留年してしまうので、学生はアルバイトをする時間さえも無いという。学費が高いけど時間的余裕のある日本の大学とではどちらがいいのだろう。        (空)

エジプト編


大学進学率は38%(2005年)。就学率については、男女間で格差があるが都市部を中心に改善されつつある。大学は原則的に4年制で医学部は6年、工学部は5年制をとる。また専門職業教育のためのインスティチュート(2~4年制)もあり、その一部では大学に準ずる資格が取れる。14校ある国立大学が大学制度の中心をなす。私立大学は90年代半ばより認められ数校が存在する。

大学ごとの入学試験というものは存在せず、高校卒業時に全国統一の試験(サナウィーヤ・アンマ)があり、この成績の優劣で希望する大学/学部の合否が決まる。ちなみに文系学部は理系学部に比べかなり低い点でも入学できるのだとか

そのため受験競争は激しく、私費で家庭教師をつける受験生が多い。

1952年革命の完全独立後、社会主義政策が進む中で大学教育も無償化された。1981年の教育法でも「国立学校における無償での大学前の教育はすべての国民の権利である」「与えられる教育への対価として授業料を生徒に求めることは許されない」(第2条)と授業料無償を明記している。他方で私立大学は高額な授業料を徴収するため進学するのは富裕層に限られている。

無償化によって大学進学への路が出身の貧富にかかわらず開かれたことで進学率は上昇した。国立大学は一校当たりの学生が10〜20万人とマンモス校化。しかしこれに設備や教員の拡充が追いつかず大教室がすし詰めになり立ち見も出る超マスプロ講義や、実験器具の不足など、劣悪な環境を余儀なくされている。例えばアレクサンドリア大学法学部では教員と学生の比が1対1200である。

また高等教育を受けた卒業生たちに政府が政府機関や公営企業への雇用を通じて職を保証するという制度前提が70年代以降の経済自由化の中で空洞化したため、現在は就職難が深刻である。若年層では4人に1人が失業状態とされる。こうした現状への不満がエジプト革命へ学生ら若者を駆り立てる一因となったのかもしれない。(魚)

中国編


中国の大学は現在、多様化と大衆化の段階に入っている。伝統的な国公立大学の他に、日本の私立大学に当たる民弁大学や独立学院、職業大学といった新たな形式が存在する。国公立大学は2年制の専科大学と4年制の本科大学に分かれる。さらに本科大学は、学術水準によって普通4年制大学、省重点大学、全国重点大学と分かれる。独立学院とは、母体となる国立大学の名前を借り、民間の資金によって経営される大学のこと。母体大学からは教育・管理ノウハウや教職員が提供される。2003年に大学進学希望者の増加に答える形で、制度が創設された。

国公立大学の授業料は大学・専攻毎に異なり、教育水準が高い大学のほうが高額で、その中でも卒業後の進路などで経済的利益が高い専攻(商学、法学、工学など)のほうが高額化する。

1993年までは国公立大学には公費学生と私費学生が存在し、公費学生は1989年から100元の授業料納入が課される一方、私費学生の授業料ははるかに高い水準だった。ちなみに、89年以前は公費学生の授業料は無料だった。経済的理由により進学できないケースが増え、逆に金銭によって入学するケースが増えた。そのため93年から私費・公費の区別を試験校で廃止し、代わりに全学生から一律の授業料を徴収することとなった。その後1997年に全国的に一律の授業料制度が実施された。このとき、試験校は全国で661校あり、全体の3分の2に昇ったという。これは大学生の多くは公費学生だったため、私費学生から徴収するよりも、制度の範囲内でできるだけ高い授業料を一律に設定したほうが利益になったからである。

その後国家による統制はますます緩くなっていき、各大学は授業料の徴収に関しても大きな権限を持つようになった。大学が集中している北京市や上海市では、1999年には平均授業料が2769元だったのが、翌年には5000元にまで増額されるなど、国公立大学の授業料はますます増加傾向にある。

一方民弁大学は職業教育や補習教育の場として、1982年から登場する。その後一時期教育水準の低下が叫ばれるも、現在は国の支持を得て急速に発展・拡大している。問題点としては、経済的に発展し人口の多い地域に集中していること、施設・教育の水準が高くないこと、発展が不均衡であること、営利的性質が大きいこと、奨学金制度の欠如などが挙げられる。また、総じて授業料は高額。

こうした高額な授業料の原因になったのは、高度経済成長の中で人材需要と教育ニーズの拡大、さらに国家の教育への投資の遅れだという。にも関わらず、大学進学への需要が供給を上回っているため、学生の進学意欲は上がっているという。(書)

アメリカ編


まず国土の広いアメリカでは、3000校以上の大学があり、2年制の公立校(コミュニティーカレッジ)や州立大学、都会の私立校に至るまで、さまざまな形態をとり、学費も大きく変わってくる。

一般に公立校の方が安く、2008年の調査によると、州立大学で初年度納付金(入学金と年授業料)が平均で約50万円(ただしその州外の学生には別料金が設けられることがある)。

一方、私立校は初年度納付金が平均で200万円近くになるが、奨学金制度や学費資金の貸付などが充実しているところが多い。ただ州によって物価や地価が大きく異なるため、留学する際は学費だけでなく、生活費などにも気をつけなくてはならない。

高等教育への進学率は、大学・短大のフルタイム進学者(全日制)のみで53・2パーセント、パートタイム進学者(定時制など)を含めて64・6パーセント(2008年度・18歳男女における調査)。働きながら通う学生が多く見られる。

また、途中で大学を中退する学生もアメリカでは珍しくない。日本の大学中途退学が10パーセント近くであるのに対して、アメリカでは40から50パーセントとなる。

選択肢が幅広い一方、宿題をしっかりと出すので、自分のやりたいことをしっかりと絞込んだ上で大学選びをしないと、入学後が厳しいと言われる。

アメリカの大学には、学寮制のところがたくさんあり、また最先端の学問を扱う大学には、世界中から優れた留学生がやってくるため、大学院も充実している。

大学院は多く見積もって、公立校で年間200万円、私立校で年間300万円かかる(生活費などを含める)と言われているが、優秀な学生であれば奨学金を多く受けられるという大学院も数多い。(春)

まとめ


日本の学費は高すぎるのかという問題は、これまでも様々なところで論じられてきた。その際に引き合いに出されるのが「公共性」と「受益者負担」であり、日本においては後者の考え方に説得力が付与されてきた。

しかし、これは純粋に理念的な対立というわけではない。近年、まったく同じとまでは言えないものの、日本と同様の高度経済成長を遂げている中国でも、物価上昇以上に急激な授業料の値上げが行われている。経済発展に伴い、高等教育による個人への利益がクローズアップされているのか。特に中国では、その極端な所得格差によって、大学入学には十分な学力があるにも関わらず、学費を支払えないために大学に行けない、という問題も顕著だ。日本でも同様の問題が起こる可能性はあり、また現在起こっている可能性もある。また、「国立・私立大学の格差をなくすため」に国立大学の授業料が大幅に増額されてきたが、教育機会の均等を考えるなら、私大への援助を大きくするべきではないか、という議論もある。

一方でまた、フランスやエジプトといった授業料が比較的低い、あるいは無償の国でも、大学そのものの地位が低いこと、教育水準が低いことなど、問題を抱えているのも事実だ。

こうしたことから考えるに、授業料の設定は大学や高等教育の理念に直接的に関わる問題であると同時に、単純な無償化や増額という解決では済まされない問題であると言えよう。当然ながら、本企画では扱えなかったものの、奨学金や減免制度との兼ね合いも重要だ。

授業料問題は国公立大学の法人化もあり、今後ますます複雑化していく様相を呈している。これを機会に、一つ学費について真剣に考えてみるのもよいのではないか。

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