『善の研究』刊行100周年国際シンポを開催 内外研究者ら集う(2011.01.16)

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昨年12月18日と19日の両日、文学研究科が『善の研究』刊行100周年記念国際シンポジウムを開いた。

今回のシンポジウムは、京都大学名誉教授で京都学派を形成した1人である西田幾多郎が執筆した、『善の研究』刊行100周年を記念したもの。『善の研究』に限らず西田幾多郎の思想、さらには西田哲学と宗教や西洋哲学、弟子の田辺元との関係について、京都大学をはじめとして国内、国外の研究者がそれぞれ講演、セッションを行った。主な講演者は藤田正勝・文学研究科教授、氣多雅子・文学研究科教授、朝倉友海・東京大学大学院人文社会系研究科助教など。

講演者のうち井上克人・関西大学文学部総合人文学科教授は2日目の基調講演のなかで、『善の研究』における西田幾多郎の位相について語った。

井上教授は、西田が『善の研究』の序で「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明したい」と述べていることに注目する。純粋経験とは「主客未分で知識とその対象が完全に一体となっている最も直接的な意識」である。それは今ここにおける意識、「現在意識」であり、記憶の回想や一般概念の現前、快・不快の感情もすべて含まれる。「純粋経験」の直接性は「具体的意識の厳密なる統一」にあり、その統一は元来「1つの体系」を成し、この中から様々な意識状態が分化発展する。ここで注意したいのは、判断や思惟といった反省的意識もまた純粋経験の一種とされる点、さらに反省的意識の統一性は経験を可能にする潜在的な力となる点であると井上教授は述べる。

ところで、西田は『善の研究』では常に純粋経験に立脚しながら思惟を展開させるが、井上教授によると、その根底には意識の無限な統一機能を認識しようとする「自覚」の最高形態、西田の言う「知的直観」があるという。こうして哲学的思索の自覚的反省のプロセスは、潜在的統一力としての純粋経験の直観に基づきつつも、純粋経験(=真実在)は絶えず思惟から隠されてしまう。すると「説明」とは隠れた真実在をまさにそのようなものとして顕す高度に目覚めた「意識化」の営みということになる。

さらに、西田にとっての「真実在(=直接経験)」は多様な意識現象に先立ち、それを可能にする超越的な存在(統一的或者)でもあるので、純粋経験の直接的な現在意識は自らを立ち遅らせ、思惟に対して超越的に将来的に現前していると言える。この全体化できない「隔時性」から井上教授は「統一的或者」を根源的な「時」と呼び、思惟もまた「真実在」をまさにそのようなものとして将来へ向けて現前化=現在化する営みとして、「時」的性格を持つという。

最後に井上教授は『善の研究』は西田の執筆時の思惟の経験と、私たちの読書による思惟の経験が「時」において重なっており、100年の時を隔ててなお、『善の研究』は1つの「時」を開示しているとして、講演を締めくくった。

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