豊田長康 国立大学財務運営センター理事長 「京大を『評価』して思ったこと」(2010.11.01)

Filed under: インタビュー
????????????????????
国立大学が法人化されてから早6年以上が経過し、この春からは第二期中期計画がスタートした。法人化で最も大きな変化の一つとして開始された第三者機関による大学の評価(注参照)。02年3月、認証評価の試行作業時に京大医学部の教育を「評価」し、D判定を下した、現国立大学財務運営センター理事長の豊田長康氏に大学を評価するとはいかなることなのかを聞いた。(魚)

―京都大学医学部の試行評価をされたとのことですが、大学の評価というのはどのように行われているのでしょうか。

僕は試行段階の大学評価学位授与機構の教育評価の専門委員という立場で、それで京都大学に低い評価をつけたのですが、その後の正式の学位授与機構の評価では京都大学は良い点がついたので、僕たちが評価をしたあとでかなり改善をされたのだろうと、あるいは評価に対する対応策というのが分かったのだろうと思いますね。また評価のシステムも変更されているかもしれないので、あくまで当時の話として聞いてください。

まずは大学から評価に必要な書類を出してもらいます。かなり膨大な量がありますが、それに評価委員が目を通すと。全て読むのは難しいのでその中でも重要なもの、基本的な資料(実績報告、業務手続き報告)を中心に読みます。評価する側も大変です。疲れる!それから大学へ直接お伺いをして視察をするわけですね。あと主にはヒヤリングになるわけですけれども、大学の幹部の方や、教員の方々、あるいは学生やOBの方からもお話を聞きます。学生さんとかは大学の方から出してもらう形になっていました。

当時のことをお話しすると、それまでも視学員としていくつかの大学には行っていましたが、その中でも京都大学は最も印象的でした。

まず教員の方の対応なのですが、あの時は評価する側もされる側も初めてだったので、双方よくわからない面があって、評価者に対して警戒心を持っておられるのですね。悪く言うと険悪な雰囲気です。まさに「あなたたちに何が分かるのですか」という感じでね。自分たちがやっていることは一番正しいのだという姿勢で、何もとやかく言われるいわれはないとバーンとはねつける訳ですよね。評価者としては余り心証が良くなかった(笑)。ある評価委員の方は「こんな恐ろしい大学はありません」と言っていました。

ヒヤリングでは、まず京大医学部が自分で立てた教育の目標に照らしてどうこうしているという報告書を提出されているのですが、それに関して「これは本当に実施されているのですか」などと聞くのです。例えば僕だと当時の入試のアドミッションポリシーが「知・情・意」だったの。僕は「知は分かるけれども、情と意はどのようにして選抜するのですか?」と尋ねました。答えは「一部の学生には面接している」と言われたかな?「でも一部だし、面接で評価できるのですか」とかね。一時が万事そういうやり取りなわけです。

ですから評価としては目標に掲げられていることをきっちりと実行していないと必然的に低くせざるを得ない。京大医学部は、教育の目標としては非常に高邁というか、一般的なことが書かれていたのですよ。でも色々聞いてみると、どうも放ったらかしじゃないのかな、という印象を強く受けたのですよ。だから必然的に評価が低くなる。非常に目標と実態がかけ離れている印象を受けましたね。学生に聞いても「自由というのが京大の校風」「私たちは京大の自由さに憧れてやって来た」「だから授業はサボってもいいのだ」と。だから高邁な目標の割には何もしていないなあという感じだったね。

でも僕たちが救われたと感じたのはまずOBの方々。OBの方々に話を聞いたら京大の良いところと悪いところも言ってくれるのですよ。むしろ僕たちに「京大がこういう教育をやっていたら良くないから困る」と指摘してくれというのですよ。良い点・悪い点両方教えていただいた。

もう一つ非常に楽しかったのが、学生さんへのインタビューね。これは最高だったなあ。

医学部の1~6回生と院生30人くらいを集めてね。どうやって彼らが選ばれているのかは分からないのですけれど、「みなさん授業に出ていますか?」と聞いたら非常に出席率が悪いわけですよ。まあ京大だけではないのですけれどね。「どうして出席しないのですか」ときいたらまず「京大は自由だから授業出るも出ないも自由なんだ」というのね。そうしたらまた別の人が「私は医学部の研究室に配属される授業があって、学会発表や外国に行くとか非常に有意義だった」というのね。講義はつまらないけれども、と。そうして学生の間で議論が始まったのですよ。京大の教育、医学部の教育はどうあるべきなのかということに関して、僕はこう思う、僕はそうじゃないという議論が自然発生的に始まったの。こんな議論を始める学生は他の大学には一切いません。

他の大学の学生は大人しいですよ。僕たちが話しを聞くとね。学生側の答え方によって評価の点数が付けられて、低い点がつくと大学の予算が削られるかも知れないと、大学のことを非常に心配しているわけ。非常に慎重で学生の本音を聞き出すのに非常に苦労するわけですよ。「本当に君たちが困っていることを正直に言ってくれれば良いのであって、君たちが何を言ってもそのことで大学の予算が削られることは絶対にありません。この際、大学に改善して欲しいことを言ってください。それを私たちが大学のエライ人にお伝えをして変えていただくようにします」と誘導するわけ。そして自分たちの言うことが大学の不利益にならないとご理解いただけると、本音をかなり言っていただけるのですよね。学生同士で自分の大学の教育が良いか悪いかなんていう議論は起こりえないわけです。ところが京都大学の学生はそういう議論が自然発生的に起こっちゃった。非常にびっくりしてね。こういうところが京大生の凄さだと僕は強く感じましたね。

その議論はその場では決着は付かなかったのだけれども、僕が「時間が来ましたのでこれで終わります」と言ったのですよ。そしたらある学生がバッと手を上げて「先生!次のこの時間はいつあるんですか?」と言うわけね。もっと議論がしたかったと。それを聞いてね、京大の学生というのはすごいことを言うなあと思った。自由の校風というのを悪く解釈すると授業をサボるとかいうの「だけ」になっちゃうのだけれど、もっと活かせば他の大学では出来ないような学生の自主性を生かした教育が成功する可能性があると強く感じました。

―先ほど「目標は高邁なことが書かれていたけれども、実態はかなりいい加減なものだった」と仰られていましたけれども、はじめから独自の「学生の自主性を生かし…」というような目標であったらどうでしょう。

仰る通りで、僕は他の大学とは違った教育目標を京大の場合は立てても良いのではないかと思うのですよ。「学生の自主性を尊重する教育」とかね。それを全面にバーンと出して本当にプロダクティブな教育に持って行くと。他の大学のような在り来りな教育目標とは違った京大の独自性を生かした目標を掲げないと。

もちろん学生だけではなく教員の方の協力も必要になるわけですけれども、京大生のそういう自分たちで自立してやるんだという良い所が非常に生かせるのではないかと思います。

―そのような目標を文部科学省は認めるのでしょうか。

認めざるをえないでしょう。あとそういう目標を立てたら評価委員はそれ自体には何も言えないのです。あくまで各大学の目標に照らし合わせて達成出来ているのかを見るのでね。もし京大医学部の教育目標が「学生の自主性を重んじ…」とかだったら評価は変わったのではないかなと思います。

―「良い評価」を得るために、「自主的」に取り組むという状況は倒錯しているのでは?

まず認証評価のほうは大学として最低限やらなければならない評価報告なんですよね。これは大学という組織で最低限これだけは満たさなければならないものなので。それと法人評価の場合は、認証評価を通ることは前提なのだけれども、それと各大学が独自に決めた個性ある目標計画に基づいて判断することになっているので、タテマエ上は各大学がやりたいような目標を立てればよろしい、と。確かに法令上は文部科学大臣が認可することになっていますけれども、実態として各大学が勝手に決めてそれをどうしてもマズイところだけ修正する形式なのでね。

たしかに自分たちはやりたくないのに評価のためにやらねばらないというのは、認証評価ではありますが、法人評価ではそうではないわけです。だから目標設定としても「学生の自主性を重んじ…」とかもありなんです。

―認証評価で具体的な例をいうと、授業回数の厳守などの締め付けがあります。

ぼくもね、ホンネ言うと13回を15回にしたところでそんな変わらないと思いますよ。ただあれは「大学設置基準」にも規定がありますよね。あの時間というのもいい加減な計算だけれども、どこかの認証評価で指摘した人がいたのでしょうねえ。

ちょっと立場上言いづらいけれども、設置基準で決まっている以上はそれを順守しているかどうかは評価の対象にせざるを得ないというのがありますね。これは評価者としてはやむを得ない。それで、みんなブーブー言っているわけだけれども、ただどういう内容の授業にせねばならないか、とかは設置基準に書いていないわけね。例えばその時間は学生の自習時間だ!としても構わないわけね。

だから京大全体の教育目標を、学生の自主性を活かす方にして、そのための工夫はPBL(問題解決型授業)以外にも色々あるはずで、だから学生の方で色々な世界の教育を調べて検討して,京大独自の学生の自主的教育システムというものを、学生さん自身が提案しても良いと思いますよ。

―学生から「大学はこういう目標を立てろ!」と。

そう、学生の方から提案をするの。それが出来るのは現段階では京都大学しか可能性がないのではないかと思います。

―それまで内部評価しか無かったのを第三者機関で始めたということには、どういった意図があったのでしょうか。

以前から大学自身による自己点検評価というのはありました。それからこれは文部省がやっていたのだけれど、視学制度といって、各学部ごとに文部省内で選出された視学委員(官)が現場を視察して改善点を指摘するという、簡単といえば簡単な外部評価的なものはあったわけです。結果は特に外部に公表されるものではありませんでした。ですから評価と言っても今のものに比べると非常に簡略なものでしたね。あと文部省がやっていたものなので、内輪ですよね。

それが法人化後は第三者機関が公開で評価をするわけです。なぜ第三者機関かというと、国でやると評価が政策に大きく左右される危険性がある。国の政策に見合っているかどうかで判定されてしまう。それは大学のあり方として良くないだろうと。

また評価にも二種類あってね、大学認証評価と、国立大学法人評価の二つを受けなければならない(私学の場合は認証評価だけで良いわけですけれども)。その法人評価の結果如何によっては、交付金に影響が出てしまう。第二期中期計画が始まるにあたって少しだけ加味されているはずなのですよ。そういう状況になったと。

―第三者機関から認証評価を受けるということは大学という組織にとってプラスになっているのでしょうか?

これには色々な議論があって、もちろんプラスになると信じて評価する側も国もやっているわけですよね。評価することによって大学が良くなると。ただ第一期目の反省としては、評価に対応する労力というのは書類の作成など色々な準備をしなければならないし、二種類の評価に違った報告書を作らねばならない。法人評価の場合は中期目標・中期計画に基づいて評価するわけですが、その目標と計画が物凄く沢山のしかかってですね、数が多すぎて評価疲れが起きる。評価にあまりにもエネルギーを割くことによって、本来の教育研究への時間やエネルギーが削がれる可能性があると。評価をあんまり厳しく膨大にやるとそうなってしまうのですよね。だからあくまで評価はそういう教育とか研究とかいう大学の機能を高めてもらうためにやっているものなので、それが下がると意味が無い。だから大学側にもそれほど負担にならないように評価をしようと、第二期には中期目標.計画の項目数を減らそうという指導がなされたわけです。ですから法人評価に関しては多少ですが、負担は減る方向になると思います。

―現在も大学予算削減の話がありますけれども、それがプレッシャ―となって、「自主的な」形をとりながら国から見て望ましい大学になろうなろうとしているのではないか。

まあ以前から産学連携の奨励など政策誘導はありましたけれども、たしかにそういう危険性はありますね。

あと上位校と地方大学の格差という問題があって、法人化前後から競争的資金が始まりましたけれども、やはりそういうものを獲得しやすいのは有力校なわけ。だからますます有力校と地方大学の格差が広がりつつある、この間の評価で最低だった弘前大学なんかは抗議を出しているけれども、彼らは苦しい中で頑張っているのになぜ最低の評価で予算を減らすのかと言う。ところが政治家の中にも研究は旧帝大だけでよいと公言する人もいる。選択と集中をもっとするべきだというのもいる。私は旧帝大にももっと頑張ってもらいたいけれども、そのぶん地方大を削るというのも違うんじゃないかと思う。今でもすさまじい格差がある中で、ロングテールをさらに削れば裾野がガタガタになりますよ。裾野があって初めてトップが出るわけで、もっと富士山くらいの傾斜の方が日本全体の教育研究力にとってプラスではないかと思います。こんなきつい傾斜を作っている国は他にありませんよ。

―評価結果を外部に公表するようになった意義としてどのようなことが挙げられるでしょう。

公表されるようになったことで、誰でも大学の状況を見られるのですね。でも弘前大学なんかが低い評価を受けて、本当は頑張っているけれども低い評価だったと。これは非常に誤解をまねくというのか、ランキング的なことで発表してしまうと、数値だけが一人歩きをしてしまう。評価というのがほんとうに正しいのかとかはね、分からない面もあるわけ。評価には色々な観点があってしかるべきだし。地方大学は地方大学なりの評価をしないと、旧帝大と一緒に評価と言っても、元々持っている資産も規模も違うわけで、それを競争させても結果は目に見えている。だから一つの評価軸で評価をすると大きな間違いを犯す危険性があると思う。だから地方大学だったら地域への貢献など、どれだけの存在意義が地域においてあるかといった観点も重視すべきだと思う。論文数だけで評価して最低だと評価し公開すると非常にマイナスです。今の評価が完璧なのかについてはまだまだ試行錯誤だと思います。

何のために評価をするか、やはり日本全体にとって大学がより利益をもたらすようにすることだと思うのですね。まだまだこれからも改善の余地はあると思います。

―ありがとうございました。

(注)大学評価: 国立大学法人は、「大学の質的な向上促進」と「社会への説明責任を果たす」ために、第三者機関からの評価が義務付けられている。認証評価機関が、その定める大学評価基準に基づき評価を行う認証評価と、中期目標の達成具合を測る法人評価の二種類がある。


とよだ・ながやす 1976年に大阪大学医学部を卒業後、三重大学医学部附属病院助手、三重大学教授を経て、2004年に三重大学学長。2010年より国立大学財務運営センター理事長。2002年、大学評価・学位授与機構の専門委員として京都大学医学部を試行評価した。

トップページお問い合わせサイトポリシー著作権について個人情報の取り扱いについて
京都大学新聞社 〒606-8317 京都市左京区吉田本町 京都大学構内 TEL:075-761-2054(直通) 075-753-7531(内線2571) FAX:075-761-6095