インタビュー

久保昭博 人文科学研究所助教 「戦争小説の誕生と兵士達の沈黙」

2007.11.01

第一次世界大戦は数多くの「戦争小説」を生み出した。多くの小説家やジャーナリストは自らの従軍体験を文字化しようと試みた。彼らは自分自身の体験をどのように描いたのだろうか。人文研の久保昭博助教に聞いた。(ち)

―久保さんの専門はフランス近代詩だそうですが、第一次世界大戦はどのような転換点になったのでしょう。

専門は近代詩なのですが、この研究班では、戦争小説を主に扱っていきたいと思います。もともとダダやシュルレアリスムといったアヴァンギャルド運動に関心があったのですが、そこで第一次世界大戦は、しばしば原因として位置づけられる。つまり大戦の衝撃があって人間の理性が破壊され、そこから言語破壊装置としてのダダや、狂気や夢がテーマとなるシュルレアリスムが生まれてくる、というものです。

しかしダダやシュルレアリスム的な過去との断絶、反抗や破壊の傾向は大戦以前からあるので、すると大戦とはいったい何だったのかということになる。あるいはより即物的に、第一次大戦によってトリスタン・ツァラをはじめとする人びとがチューリヒに集まったところからダダが生まれたという意味で大戦を原因と位置づけることもある。

それ自体は正しいのですが、するとこの戦争がもたらした芸術表現上の衝撃はいったい何だったのかということになって、いずれにしても本当に原因-結果で第一次大戦と文学史を捉えることができるのかに疑問を持ったのがきっかけです。

そこでひとつの切り口として小説、それも戦争小説に着目してやってみようと思いました。戦中からルポルタージュも含め、戦争について書いた文学作品が大量に出版されて、「第一次世界大戦小説」というジャンルが作られたと言っても過言ではないほどです。

―戦争小説といっても好戦のものと反戦のものがありますが、1920年代に出たものはどちらなのでしょうか。

第一次世界大戦以前は好戦的、愛国主義的なものが多く見られます。フランスでは普仏戦争以来ドイツに恨みがありますからね。またそれには世代的なものもあって、特に若者世代に愛国主義的風潮がありましたし、カトリシズムの再復興という流れもありました。

そこに一つの楔を打ったのが、1916年にフランスのゴンクール賞を受賞したアンリ・バルビュスの『砲火』です。バルビュスは、もともと詩や小説を書く傍らジャーナリズムの活動も行っていました。第一次世界大戦は彼が41歳のとき始まったのですが、高齢にも関わらず彼は約8ヶ月間従軍した。その時の経験をもとにして書いたルポルタージュ風の小説が『砲火』です。

この小説では、作者バルビュスと重ね合わせることのできる語り手の「私」が、自分の属する連隊内における兵士同士の友情を美しく描く一方、雨の降りしきる夜の塹壕でグニャッとした死体を踏みつけたり、また砲弾で肉体が文字通り砕け散るような悲惨な情況を生々しく描いています。この作品は発売直後から驚異的な売れ行きを示してその後の戦争小説のモデルを作ったのですが、この戦争表象の両面性が各方面から賛否を呼びました。とりわけ愛国主義者からは、この小説が士気喪失につながるという批判がありました。

たしかにホメロス以来、「戦争」は文学の一大テーマです。しかし近代的な戦争によって、戦争の経験がかつてないほど変化したことが、このテーマを再活性化させ、このようにひとつのジャンルを形成するとも言えるほどの大量の文学作品を新たに生み出したのではないでしょうか。

―ジャンルとなる特徴はどのようなものなのでしょうか。

身体表現の方法などいくつか特徴があると思いますが、私が注目しているのは文体的特徴です。バルビュスなどを読んでいると、以前の文学表現から逸脱するような口語表現や俗語が多く取り入れられている。口語表現の前史としては、既に19世紀末より農民や市井の人々の言葉を取り入れた文学作品が見られますが、このような文体の多用が「戦争と文学」の一つの切り口として考えられるのではないか。

また、口語表現についてもう一つ補助線を引けば、大戦中の1916年にソシュールの『一般言語学講義』が出版されていますが、同じ時期にソシュールの弟子にあたるシャルル・バイイが文体論を新たに作り出しています。彼は文法ではなく、言葉の情動表出性を研究対象とし、その中で口語的な表現に着目していったわけですね。このような形で少しずつ広まっていた傾向が、第一次世界大戦を扱った文学作品で大きな展開を見せるのは、非常に面白い現象だと思います。

―口語表現というと、具体的には。

例えばこの時期に、戦場で使われる俗語をまとめた辞典が刊行されます。新兵器の愛称や部隊の略称、食事など軍隊生活のあれこれを表すスラングですね。また第一次世界大戦には北アフリカの植民地からの兵士もいましたから、外国語、つまりアラビア語やフランス国内の方言も兵士たちの俗語として使われるようになる。こうして軍隊内で独特の言語が醸成され、ほとんどクレオール的といってもいい状況が生じます。それは復員した兵士同士が何を喋っているのか、一般の人には分からないという事態に到るほどでした。俗語辞典もそのような状況から生まれたのですね。そうしてこのような言語の状況が文学にも反映されるようになる。

―バルビュス以降の戦争小説はどのように展開したのでしょう。

バルビュスは俗語を兵士の連帯を詩的に表現するために使う。つまり地方から来た下層階級出身の兵士が、地方性と階級性を丸出しにする言葉で喋って、それらの総体が非日常の共同体をつくりだしていくのですが、それに対して地の文、つまり「私」の言葉は規範的言語の枠から出ることはありません。簡単に言うと、方言で喋られた言葉をカッコに入れる、つまり直接話法で表現する。すると全体の規範的な語り口のなかで、方言や俗語は遠近法の中にうまく収まり、戦争小説の風味として効いてくるわけですね。

一方、バルビュス以降の戦争小説として、口語文体の観点から興味深いのがセリーヌの『夜の果てへの旅』です。彼はバルビュスよりずっと若く、20歳のときに第一次世界大戦が始まりました。彼は戦争が大量の人間と物質だけでなく、言説も動員することに自覚的であったように思います。こうして彼は動員された規範的言語に対する批判として俗語を用いていく。例えば、「Vive la France(フランス万歳)」という勇ましい表現がありますが、そういった規範的な言葉をカッコに入れて、「『フランス万歳』と奴はぎゃあぎゃあわめいた」といった風に、地の文で俗語文体を使う。地の文が呪詛の言葉のように効いてくる。そこで文学言語の規範性、透明性が消失し、小説は文体と文体、言語と言語の闘いの場となる。

―バルビュスとセリーヌの違いとはどこから生じてくるのでしょう。

文学作品が大量生産され、大戦を語る言葉がずらずらと出てくるのに対し、一方で「自分の経験を語れない兵士」が出てくる。ベンヤミンも言及しているこのような「兵士の沈黙」について、文芸評論家のジャン・ポーランは、それを「言語の病」と呼んで、兵士たちは戦争文学の中に自分たちの姿を認めることはなかったと指摘しています。言葉と経験とが決定的に乖離してしまっているというわけですね。すべてを世代論で片付けるわけではありませんが、この種の「病」をまず自覚せねばならなかったのが、セリーヌの世代の作家たちでしょう。ちなみに彼は、アンドレ・ブルトンやトリスタン・ツァラといったアヴァンギャルド運動の中心人物と同世代人です。

つまりセリーヌは、バルビュスのようにナイーブに言語を表象する文学は書けないところから出発したのだと思います。言葉に対する信頼を失ってしまって、言葉そのものを問わなくてはならなかった。そのことと直結するかどうかは分かりませんが、彼自身、「俗語は憎しみからしか生まれない」と言っています。

「兵士の沈黙」を内包させつつ、言語の表象可能性を批判的にずらしながら書くとしたらこうなるというのが『夜の果てへの旅』の文体で表現しようとしたことではないかと思います。表現の内容なのではなく、手法そのものに特異なものがある。

―戦争小説ではたいてい一人の兵士の生を描いていくわけですが、そこで筆者がどこでその生を描くのをやめるか、どこで筆を置くのかというのが問題になってくると思います。『夜の果てへの旅』ではセリーヌはどこまで彼の生を描いていくのでしょうか。

『夜の果てへの旅』で主人公の戦争経験にあてられているのは冒頭の4分の1だけです。ただその後も彼には波乱万丈の人生が待っていて、まずアフリカに行く。そこで植民地の悲惨を目の当たりにし、それからガレー船に乗せられるといった奇想天外なやり方でアメリカへと渡る。そこでフォードに短期間就職し、第一次世界大戦張りの非人間化された身体に出会ったりもする。これが全体の半分。

残りの半分ではフランスに帰国した主人公が、パリ近郊に医師として住みつき、貧困にあえぐ人びとの中で生活する模様が描かれます。ただし彼は決してそうした人びとに同情的眼差しを注ぐことなく、悲惨と憎しみとをそのまま描き出す。そのようなわけで第一次世界大戦が分量的に占める割合は少ないとはいえ、大戦はその後のテーマの展開、また「憎しみ」という作品のトーンを定着させる点で決定的な出来事となっています。

―戦争小説ながらも、セリーヌが戦争以降を書かなくてはならなかった、そこまで書くことによって主人公に責任をとったところに彼の苦悩があるのではないでしょうか。

この小説の冒頭は「それはこんなふうにはじまった」となっています。つまり第一次世界大戦に始まる一連の出来事は、「それ」としか名指すことのできないものなのですね。このような原体験としての大戦がどのように「書くことの問題」に続いていくか、それがこれからのテーマになっていくと思います。

―ありがとうございました。

《本紙に写真掲載》


くぼ・あきひろ 1973年生。京都大学人文科学研究所助教。専門はフランス文学、文学理論。