「パレスチナ問題とユダヤ人の起源~神話の歴史化に抗して~」 シンポジウム抄録(2010.06.16)

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6月13日、京都大学人間・環境学研究科棟地下講義室にて「特別シンポジウム パレスチナ問題とユダヤ人の起源~神話の歴史化に抗して~」(主催:京都大学大学院人間・環境学研究科岡真理研究室、共催:同研究科学際教育研究部、京都大学イスラーム地域研究センターが開催された。日本におけるパレスチナ研究の第一人者である板垣雄三・東京大学名誉教授と、実証的な歴史学に基づきユダヤ人という概念がどのように作られてきたのかを解明した「ユダヤ人の起源」がイスラエルをはじめとする各国でベストセラーとなったシュロモー・サンド:テルアビブ大学教授の2人が講演を行った。今回のシンポジウムは同著の日本語版出版に協力した広川隆一事務所がサンド氏を日本に招いたことがきっかけで実現したもの。当日は定員を大きく上回る265名の学生・市民が来場し熱気に満ちたシンポジウムとなった。

「考え方の組み換えを争う場としてのパレスチナ問題」 板垣雄三:東京大学名誉教授


みなさんこんにちは、今紹介頂いた板垣です。今日はシュロモー・サンドさんがメインで私は前座の気分です。サンドさんの直接のご紹介は広河さんがあとでされるでしょうから、私は外回りからサンドさんの本を我々が読むときの参考になる話をしようと思います。

パレスチナ問題に私はこれまで半世紀を越える間、色々な関わり方をしてきました。京大で話をしても色々と思い出してしまいます。大学紛争の名残でなかなか授業の再開が出来ない京大文学部に私が外人部隊として雇われて再開第一号の授業をしたことがありました。パレスチナ問題の講義なら「粉砕」されることもないだろうとの考えがあったのでしょう。一週間の集中講義で、まだ占拠されていた学部長室から授業を受けに来る学生もいました。するとある晩私の宿に密かに学生がやって来ました。「私はこれからパレスチナに行く。それにあたって心構えを教えてください」と言うのです。私は懇々とまず言葉を覚えること、それから現地の人々の暮らしぶり、風習を学びなさいと話しました。後になって考えると私の所にそうやって話を聞きに来た人が、その半年後に今はベングリオン空港と名前が変わったリッダ空港を襲撃した日本赤軍ではなかったのかと思うのです。

あの事件以来その直後に起きたミュンヘンオリンピックの選手村事件もあり、国際テロという言葉が生まれました。だから9・11が起きてから急に「テロとの戦争」が始まったのではないのです。

日本でパレスチナ問題というとそれは2つの民族、2つの宗教の争いという認識が主流でお互いに譲り合えばよいのに、というのが標準的な感覚だと思います。しかしこれは基本的に植民地主義の問題なのです。イスラエルという国は植民者の国家です。しかしそう単純に割り切ることは出来ない。日本の我々も色々な形での植民地経験をしています。私は今朝上京区の高麗美術館に行って「浅川伯教・巧が愛した朝鮮美術」という展覧会を見てきました。この浅川兄弟は日本の植民地下にあった朝鮮陶器の研究をしていた人で、現地の人達とも心を通わせていたそうです。そのような事例もあれば、満蒙開拓団の残留孤児問題など未だに尾を引いている悲劇もあります。パレスチナ問題は自分たち自身の植民地経験と切り離して考えることは出来ないのであって、これに引き付けて考えることが大切なのです。

私はサンドさんに会って欲しかった人が2人います。ひとりは今村仁司さん。ジョルジ・ソレルの暴力論の新訳を最後にして亡くなってしまいました。ポスト構造主義などいわゆるヨーロッパ現代思想を紹介する仕事を数多くした方ですが、パレスチナ問題にも関心を持っていました。

もうひとりが大岩川和正さん。この方はかなり前に亡くなってしまいました。日本のイスラエル研究と言うのは、戦前だと第一次大戦後に、のちに東大の総長もした植民地政策研究家の矢内原忠雄さんがその研究の最初にシオニズムにおけるパレスチナへの入植活動を扱ったのが始まりです。そしてイスラエル国家が建国された第二次大戦後は大岩川さんが研究の先駆けを成したのですが、彼は自分はイスラエルを研究しているけど本当はパレスチナの研究者なのだと言っていました。パレスチナが植民地問題だという意識があったのです。残念ながらこの意識は多くのイスラエル研究者に分かち持たれているとはいえません。

今日の講演の題は少し変な「考え方の組み換えを争う」としているのですが、これはどういうことなのか話そうと思います。先ほど私は半世紀以上パレスチナ問題を研究してきたと言いましたが、この間ずっと自分はパレスチナについて「こういうことが分かった」とか「こういうことに気がついた」という気になってはいけない、絶えず考えたことを問い直していく作業が必要だと思っています。

パレスチナ問題について考えるときは言葉や概念を明示することが大事です。一つ一つの言葉ごとに引っかかり、これでよいのかと考え直していかなければならない。例えば「パレスチナ/パレスチナ人」という言葉一つ取ってもそこには色々な意味があり、どう使うかで全く違ったものになってしまう。元々「パレスチナ」とは第一次大戦後にヨルダン川から西を統治することになったイギリスが一体を呼称したもので、そこの住民はみな「パレスチナ人」でした。しかしユダヤ人の移民が増加する中でユダヤ人以外が「パレスチナ人(アラブ)」となる。そして1948年にナクバがあり、イスラエル領内に留まった人が「イスラエル人のアラブ」追い出された人が「パレスチナ人のアラブ」となったのです。更にその中で自覚を持った人が「パレスチナ人」となる。今ではイスラエルのアラブ系住民もパレスチナ人の自覚を持ちつつあります。つまりパレスチナ人とは支配する側が創った概念であるし、人々が支配に抗して自分たちはどう生きていくのか模索する中で選び取られた概念でもあるのです。

このように支配をする側/される側で自分たちの意味を問い返していくということがあります。同様に「イスラエルの土地」という概念もそう。ヨルダン川の西側でよいという人もいれば、ヨルダン川の両岸だと主張する人もいる。無理やり新たな概念を作り出そうという人、新たに概念を選び取ろうとする人、様々な動きがあるのです。

ところで不思議なのは「帰還」という言葉です。2000年前に先祖がいたとの理由で―皆さんは2000年前に自分の先祖がどうしていたのかなど分かりますか?まるで外出先からプラッと帰る感覚で他人の土地にやってくる。いかにインチキ、嘘っぱちな話ではないかと思いますが、日本のメディアなどは亭々とこの言葉を使っている。また「世界のユダヤ人」という言葉も使われますが、誰が「世界の仏教徒」などと言うでしょうか。タイもスリランカも「仏教徒として一体だ」となるでしょうか。他には「中東和平」なる言葉も然りで、植民地の支配する側/される側は混ぜこぜにされてしまいます。

一つの言葉がどのように現実との関わりを持っているのかという課題はヨーロッパで色々と議論されてきました。こうした現代思想にとってパレスチナ問題は隠れた動機付けになっています。またドゥルーズやデリダの思想にはアルジェリアでの植民地経験が影響しています。日本ではそういった背景を脇において単にフランス語を縦書きに訳していますが、それでは彼らの思想を十分に理解することにはならないと思います。

知識人への動きにパレスチナが大きな影響を与えているのは、広い意味での欧米の植民地がイスラエルだからです。欧米ではその内側では歴史的にユダヤ人を差別する植民地主義を抱えてきました。キリスト教自体が伝統的に反ユダヤ主義を抱えて成り立ってきたのです。キリスト教は自分たちの宗教を異邦人の信仰、ユダヤ人ではない人の宗教としていました。ユダヤ人いじめの上に成り立っている。そういう反ユダヤ主義の極限がホロコーストという形で現れてしまい、それをどうするのかということで、ユダヤ人に国を作らせることで解決しようとしたのです。自分たちの責任を取らずに、現在のパレスチナ人に立ち退いてもらって自分たちの身はキレイにしようとしたのです。

もう時間がありませんので最後になりますが、ヨーロッパの植民地としてのイスラエルがあるのと同様にアメリカも植民地国家であると言えます。更には日本という国家も大和朝廷が周辺地域を征服していく過程で形成された植民地国家です。この3国は世界で問題となっている植民地主義/人種主義/軍事主義をそれぞれ抱えていると言えます。サンドさんは悲観的ですが私は楽観的にイスラエルはアラブに土着化していくだろうと思います。何より世界が最早単純な2項対立ではなく、歴史的に多様な民族や宗教が混在してきたアラブのようになる「アラブ化」が起きると思います。その中でイスラエルの「パレスチナ化」が起こるでしょうし、もっと言うとアメリカの「アメリカ化」も生じる。そして日本はその時どうして行くのか。それが私たちにとってのパレスチナ問題であると思います。

「ザ・ヒストリアン~記憶から神話へ〜」 シュロモー・サンド:テルアビブ大学教授


こちらで講演をさせて頂くことになりましてありがとうございます。今日のお話では本そのものについて詳しく言及することはしません。東京でも私の話を聞いた人がおられるでしょうから同じ話をするのは止めましょう。私は歴史家でありイスラエル市民でもあり、私の中でこの2つは不可分なものです。歴史家とはアヘンを生産する人です。つまりこれから私は皆さんにアヘンを提供するということです。

皆さんは学校で歴史を勉強されたと思いますが、正にアヘンを植えつけるのが学校の歴史教育です。しかも国の歴史を学校で教えるのはごく新しいことで、どんなに民主的な国家であれ権威主義的な国家であれ、国の歴史を学ぶのはこの100年から150年のことでそのような教育はかつてありませんでした。

なぜ歴史を学校で教えるようになったのか。近代の国民国家が共通の言語、文化のほか共通の過去への認識を必要としていたからです。歴史は非常に政治的な機能をもっており、歴史を「学ぶ」こと無しに現代の政治を学ぶことは出来ないほどです。

私が国民の歴史という神話を、伝説やウソではないが科学的な証明や反証が出来ないものと考えています。始めからウソであると分かっているのは神話ではありません。あくまで神話の根拠はウソではないことが前提です。つまりNational historyは神話と科学の中間的なものとして位置づけられるのです。これは集合的な記憶の必要から生じたものですが、この集合的な記憶は、個人の記憶に比べ構築性が強く、創られたものとしての側面がより強い特徴があります。近代について言うと歴史家はこの集合的な記憶をつくるのに大きく寄与しました。それ無しには集合的な記憶の構築は出来なかったでしょう。以上少し抽象的でしたが歴史の役割について話しました。

私はテルアビブ大学で歴史を教えていますが、この大学に歴史学部はありません。単一の学部ではなく一般の歴史を教える学科とユダヤ人の歴史を教える学科の2つがあるのです。私はモスクワ、パリ、ロンドンなど色々な場所に講演等で行きますがイスラエルのような分け方をしている国はありません。イスラエルに2つの学科があるのは歴史を学ぶとはどういうことかを示す最もよい例でしょう。このイスラエルの例外的な学科の構成は最近出来たものではありません。建国直後から、エルサレムのヘブライ大学では1953年に導入されました。なぜこのような分け方をしているのかといえば、ユダヤ人の歴史は完全に他の歴史を分離できる、よって一緒に教えるのは不可能だとの発想があるのです。ちなみにユダヤ人が例外的な歴史を歩んでいるということについては、あのナチスが1934年のニュルンベルグ法で規定したことでもあります。

ここまでお話ししたところで私にこの本を書く資格はないことが分かったはずです。まさに私は学問の領域侵犯をしたわけです。イスラエル国内では「なぜお前がユダヤの歴史を書くんだ」との批判がなされました。

ここで問題になるのは先ほど板垣さんが言われたように研究上で使用する用語です。私はこの本を書く前に執筆した別の論文に「世界は人類を通して考える」というタイトルをつけました。普通は逆に「人類は世界を通して考える」であり戸惑われた方も多いでしょう。先にネタバラシをするとこれはマルティン・ハイデガーの思想に基づくものです。人間は物事を考えるときコトバを用いなければなりません。つまり先人の持つ言葉、以前の世界によって物事を考えているのです。同じようにレヴィ・ストロースも私たちの集団性は神話を通して考えると言っており、私たちは神話を通して考えるのではなく、神話が私たちを通して考えるということなのです。

広河さんにお会いしたのは42年前でした。その時私は左派で反シオニストではありましたが一般の人と同じくシオニズムがユダヤ人を作ったと考えていました。同じく占領には反対していましたが占領者と同じ「エレツ・イスラエル」という言葉を活動で使っていました。地理的な言葉で使うのは自明でした。他にはユダヤ人がイスラエルに来ることを「移民」ではなく「新しく上る」と言っていました。移民は非ユダヤ人に対し使う言葉でした。反対にユダヤ人がイスラエルから出るのは「下る」と言ったのです。例え左派でも既存の言葉を普通に使っていたのです。

この本を書くに当たっては言葉を問い直すことを試みました。「ユダヤ人」と言う言葉がどのように使われたのか…という感じです。コトバそのものが私たちの意識に与える重要性がわかります。そうすると例えばフランス人、ベトナム人、日本人という言い方は出来る。共通の言葉や文化を持っているから。しかしユダヤ人というのは共通の文化や言葉を持つ存在ではありません。前者が集団性の共通要素や歴史的実体を想起することが出来るのに後者ではそうした世俗的、日常的な共通性が存在しないのです。

この参照点としてポストシオニズムという歴史学内部の動きがあります。ベニー・モリスやイラン・パペといった歴史家たちは、ナクバというパレスチナの悲劇を指摘することでシオニズムという集団的記憶を問い直す作業を行いました。

こうしてナクバと言う言葉はイスラエルの歴史に新たな要素を加えました。しかし若い人たちがどう反応するかを見るとイスラエル国家が犯罪の上に成立したことを認めるとしても「他のどの国もそうした罪の上に出来ているわけであって」イスラエルが特別なのではない、というわけです。つまりポストシオニズムの歴史家たちが提示したナクバはシオニズムの記憶を問い直すには不十分なのです。それを端的に象徴するものが私の大学にあります。一つがディアスポラの家という巨大な博物館でユダヤ人の苦難の歴史を伝えています。もう一つがグリーンハウスという小さな小屋です。現在は教員食堂として使われているこのキレイな小屋ですが、食堂のメニューには「昔この大学の敷地にあった村の長老の家であり、その長老は大学にこの土地を売った」と書かれているのです。こうしたアイデンティティポリティクスは日常生活に頻出します。

シオニズムを正当化するための根拠として「民なき土地に土地なき民を」という言説があります。この「土地なき民」とはユダヤ人が2000年前に離散していた、それが民として目覚めかつての土地に戻ってきた、という思想です。これが根底にあるためパレスチナにユダヤ人が移民することを殖民と考える人は誰もいません。このような元々いた村に帰ってくるから殖民ではないという考えに反対したのがイラン・パペです。
ただパペはパレスチナへの殖民は歴史家として糾弾しましたが、ユダヤ人という人種概念は前提としていました。つまり過程としてのパレスチナへのナクバは植民地化と非難しても、基本的な離散は否定しなかったのです。一方私が本で指摘したのは離散などなかったという根本的な提起です。もしこれを認めるとユダヤ人がパレスチナに「帰還」する根拠がなくなるので非常に大きな批判が来ました。しかし私の「離散は無かった」という主張は科学的な根拠に基づくものなのです。

歴史に基づいて「ユダヤ人の離散は存在しない」との主張を受け、生物学に逃げる動きが見られます。ちょうど今週のニューヨークタイムスにユダヤ人は生物学的に証明できるとの主張が掲載されました。ホロコーストの被害者は「ユダヤ人という人種概念」に押し込められ迫害を受けたのですが、今度はイスラエルに住む権利を主張するため自らユダヤ人という人種が存在すると言い始めたのです。

かつて人種という概念により差別されたユダヤ人がその数十年後に自ら人種的に、鼻の形や目の色でユダヤ人を定義できると主張しているのです、シオニストが研究を続けても見つけられず、更にはヒトラーですら生物学的なユダヤ人の定義付けに失敗しているというのに!ユダヤ人の人種的立証など誰も出来たことは無いのです。もし誰かが実証できたら私は明日にでも歴史学の教授を辞めますよ。

ユダヤ人性なるものがイスラエルという国家にとってなぜ重要なのかといえば、それがイスラエル国家の正当性に大きく関わるものであり、中東政治にも大きな影響を与えるものだからです。イスラエルはユダヤ人の国家であり、イスラエルに居住していない海外のユダヤ人にとってもイスラエルは自分に属する場であり何時でも気軽に変えることが出来る別荘なのです。旧ソ連やイランにもユダヤ人はいます。たとえ今イスラエル以外の場所に住んでいても自分がユダヤ人である限り、イスラエルは自分に帰属しているという別荘感覚があるのです。

さらに言えば色々な地域にいるユダヤ人はイスラエルに移民しないほうがイスラエル政府にとっても都合がよいのです。もしアメリカのユダヤ人が皆イスラエルに移住してしまえばアメリカ国内のユダヤ・ロビーも無くなってしまうからです。アメリカにいながら自分はユダヤ人であり、イスラエルはユダヤ人の国家であるとの意識でいてくれるのが良いのです。このように見るとイスラエルは底そこに住む人の国家ではなく、ユダヤ人の国家と言えます。

以上イスラエルにとってユダヤ人国家であることは世界中のユダヤ人から重要な国と見なされることを話しました。しかしこうして国家のユダヤ人性を保持することは、そこに住む人全員が平等に扱われないことを意味します。つまりイスラエルはいくら多元的でリベラルであると標榜しても決して民主国家ではないのです。最初から国内における一つの要素しか代表する気はないし代表することが出来ないのです。

もしオバマがアメリカ大統領としてイスラエルの占領地からの撤退を実現できたとしても、イスラエルは民主国家にはなれません。それはイスラエル国民の4分の1は非ユダヤ人でありイスラエルは彼らの国家ではないからです。アラブ人はイスラエルに属していないと言う事実をマジョリティーのユダヤ人は理解していません。先日ユダヤ人でシオニストで穂ホモセクシャリティの学生にこの話しをしたところ「イスラエルはリベラル私のような存在も認められる自由な国家だ」と反論されました。

イスラエルという国は例え占領地から撤退してとしても今の形では持たないと思います。20%のアラブ人が締め出されている限り彼らは自分たちの国を持つため反乱を起こすでしょう。今でもガラリヤはアラブ人が人口の多数派を占めており、現在の抑圧状態が続けばいずれユーゴスラビアのような抑圧/被抑圧間の暴力的衝突が発生し悲劇的な状況が生じるでしょう。本日はありがとうございました。

パネルディスカション


2人の基調講演のあとには会場からの質問に答える形式のパネルディスカッションが行われた。最後に出された質問は「これから私たちはどうすればよいのでしょうか」というものだった。

サンド氏:2日後には広島で講演を持ちます。「アウシュビッツとヒロシマ」という演題ですが南京とデール・ヤーシン村についても話す予定です。これらの土地で犯罪が起こる前の集合的な記憶とはどのようなものかを話す予定です。

新しい抵抗を作り続けていって欲しいと思います。占領や独裁に対するこれまでの取り組みは不十分なものでした。

板垣氏:マミラ墓地というイスラームの歴史が始まった頃からの墓地があり、ムハンマドの郷友なども埋葬されています。その土地を削って今「人間の尊厳センター」なる建物が建設されようとしている。ホロコーストの記憶が大変大きな意味を持つからといって、このような場所を簡単に壊しても良い、墓場の墓場の上につくるというのは大変な思い上がりであると思います。

このように人間や物事を上下関係で見るのではない新しい普遍主義に基づくNational movementが必要です。無論Nationalismはその敵対者として登場するでしょう。我々自身の新しい抵抗の輪を創りださなければならないのです。

広河氏:私はサンドさんと42年の付き合いになります。この42年間私自身も含めて我々は世界を変えることは出来ませんでした。しかし、逆に世界も我々を変えることは出来なかった。志は抵抗し続けることでしか維持出来ません。

何に抵抗をするのか。パレスチナ人の村がナクバで沢山消えていったように、日本の歴史が消してしまった村というのもアジアにはたくさん存在します。イラクやアフガニスタンで誤爆の名のもとに消された村にも、日本は間接的に関わっています。そういった消された記憶を発掘することが必要なのではないでしょうか。

あまりにも記憶すること、知らせることが奪われています。その一因はメディアの大きな変化にあります。デジタル化は企業としてのメディアは辛うじて存続させるでしょうが、何を伝えるのか、ナニを運ぶのかという意識は消されてしまう。調査をして伝えるということが無くなってしまう。その危機感を持っています。

日本はこれから非常に住み心地の良い国になると思います。都合の悪い出来事はすべて消されてしまうから。日本と世界の問題が繋がっていると分からず、関係の無いものだということになってしまうでしょう。(了)


いたがき・ゆうぞう 1931年、東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒。専門は中東・イスラーム研究、パレスチナ問題とユダヤ人問題、文献戦略研究。東京大学東洋文化研究所、同教養学部、アインシャムス大学中東研究センター(カイロ)ほかで、歴史学、国際関係論、比較政治、地域研究、イスラーム学などを教える。東京大学名誉教授。東京経済大学名誉教授。著書に「イスラーム誤認」(岩波書店、2003)、「歴史学の現在と地域学」(岩波書店、1992)など多数。

シュロモー・サンド テルアビブ大学歴史学教授。1938年、オーストリアのリンツ生まれ。両親とともにイスラエルに移住。テルアビブ大学で歴史学を専攻、パリの社会科学高等研究所で博士号取得。1984年以降、テルアビブ大学でヨーロッパ史を教える。著書に「政治過程の幻想」(1984)、「言葉と土地 イスラエルの知識人」(2006)、2008年に出版された「ユダヤ人はどのようにしてつくりだされたか 聖書からシオニズムまで」(原著ヘブライ語、邦題「ユダヤ人の起源」)は、イスラエルでベストセラーになる。

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