福岡伸一 青山学院大学教授 「科学者と市民のあいだ」(2007.10.16)

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ある種の政治的判断には、科学的議論と政治的議論の2つのレベルがある…一時期世間を席巻したBSE問題が明らかにしたのはこのことではないだろうか。安全を謳う政府と安心を喧伝するメディアとの乖離は、この2つのレベルを同じ言葉で議論する仕組みの必要性を感じさせた。政府とメディア、その対立の渦中にあった科学者は専門家として何を伝えようとしたのか。狂牛病論議の際、『もう牛を食べても安心か』『プリオン説はほんとうか』の著作により、市民にこの問題を問うた福岡伸一・青山学院大教授(分子生物学)に、BSE問題から現在までを振り返ってもらった。

錯綜する狂牛病論議のなかで


―最初に著された本が『もう牛を食べても安心か』だったわけですけれども、このような一般向けの本を出すようになったきっかけは何だったのでしょうか。

これまで研究者として、分子生物学の分野で研究するなか、以前から不思議な病気として研究していたのが狂牛病でした。日米牛肉論争以降、コメントを求められることが多くなり、そのなかで、狂牛病の議論というものがあまりにねじまがってしまっていると感じました。狂牛病を議論するさい、狂牛病という病気がまだよくわかっていないというのが大きなポイントで、特定危険部位を除去すれば安心して食べられるという言説がまかり通っていたわけですね。まるでフグの毒のように。もちろんフグの毒と狂牛病はまったく違い、狂牛病では病原体が増殖しながら体内を蠢いているわけです。

議論がおかしいと思って発言しているうちに、あたかも国の政策を批判する論客みたいになってしまいましたが、それは私の本意とするところではありません。そのことも踏まえて、ひとつには、科学者が何をどれだけわかっているかという情報を発信することは大事なことだろうと思いました。また、研究者は国の税金を使っているわけですから、研究者自身も自分の研究がどういったものなのか、できるだけわかりやすい言葉で伝えて社会還元するのが研究者の責務じゃないかと思ったんですね。

―ホームページのほうでもポリシーとして書いていますね。

もうひとつは、サイエンスというのはデータや数値、グラフで表される非常に客観的なものだと考えられています。けれども、一番大事なのはそのデータが一体何を意味するかというアウトプットの部分で、そこは分かりやすい言葉で語られるべきだと思います。それがシンプルで分かりやすい言葉で語られないとしたら、まだその現象は分かっていないか、それを語っている先生がよく分かっていないかのどちらかではないか、と。そこから一般向けの本を出してみようということになりました。もともと文章を書くことにそれほど抵抗はなかったですから。

何をすべきかを語れない科学者


―狂牛病では、異常プリオンタンパク質が病原体だとされていますが、『プリオン説はほんとうか』では、アンチ・プリオン説として「異常プリオンタンパク質はあくまで病気の結果生じるものであり」と書いています。地球温暖化問題も二酸化炭素が原因だとされていますが、「二酸化炭素の増加は地球温暖化の結果として生じたものだ」とする論者もいます。しかし、何らかの問題があるとして、どちらにしても政府は何らかの手を打たなくてはならない。そういう状況ではどうすればいいのでしょう。

確かに似たところはありますね。どちらにも相関関係がある。狂牛病になった脳を見ると、異常プリオンタンパク質が存在している。だからその2つは密接に関連しているといえる。でもその相関関係は、因果関係かどうか見極められない。狂牛病になったから異常プリオンタンパク質が増加しているのか、異常プリオンタンパク質が増加しているから狂牛病になったのか、それは時間の前後関係は分からないわけです。

温暖化の問題でも、データを見ると確かに地球の気温は年々上昇している。また二酸化炭素の濃度もじわじわ上がっている。でも、大気中に二酸化炭素は0.037%というわずかな濃度があって、その100分の1が1年毎に増加している、といわれています。これも、二酸化炭素が増えたから気温が上昇したのか、気温が上昇したから二酸化炭素が増えたのかはわからない。いずれにせよ、相関関係を捉まえることはできても、実験的に介入してみないとわからないわけですね。

実験してみるといっても、実際に大気中の二酸化炭素濃度を上げてみるのは大規模すぎてできない。狂牛病のほうも、純粋な異常プリオンタンパク質を精製するのは、技術的に非常な困難がある。

そういったときに何をどうすべきか。1つのコンセプトとしては予防原則を立てる。「何かこのまま放置したら、10~100年後に大惨事が起こるかもしれないけど、今すべきことは何か、それをどの程度すればよいか」を考えなくてはならない。でもここまでくるともう科学の問題ではない。相関関係や状況証拠など、何が起きているかは分かりますが、何をすべきかを科学は語れない。結局、科学者が集まっても「何をすべきか」は結論が出ない。それを国は、科学者を集めて有識者会議を開く。国と科学者が互いに下駄を預けて、責任を転嫁するような構造があるわけですね。

地球温暖化を防止するために何をするか、牛肉を食べるか/食べないかという判断はどうなされるべきか、それは科学的議論の先にあることです。でもそれを論じる仕組みで、まだそれほど有効なものはない。

リスク論とコンセンサスという方法


―たとえば、リスク論がありますね。

リスク論はリスクの大きさを定量化して、優先順位をつけようとしているロジックですね。リスク論のいうリスクの大きさは、人が何人死んだかで考える。死者の数にすると狂牛病はとるに足らないリスクで、年間3万人自殺者がいるほうが問題になる。でもそうではない。これだけグローバル化が進んだ世の中では今や、食の安全は個人の選択の自由ではなく、公的な仕組みがある程度安全を担保してくれないといけない状況にある。

例えば流通は個人がどうにかできる問題ではなく、税金を払っている政府が規制するように国民が付託している。その安全対策として何をやっているかというと、先に述べたように諮問機関をつくる。東大・京大の先生を集めて議論するのだけれど、大抵事務局が議論をうまく誘導して落としどころを作っているわけですよね。諮問機関がこういう結論を出しましたので、政府はこうしました、というアリバイを作っているわけですね。

諮問機関は科学者の集団だから、科学的議論が尽きて予防原則の段階になったら、もう彼らには決められないわけです。ここにもっと利害関係が対立している市民を呼んで、更に市民がその道の専門家を連れてきて、300人規模の会議を行い、何をするべきかを決める。これをコンセンサス会議といって、スウェーデンやノルウェーではこの方策で政策を決めるという動きがある。市民が今後を決定する政策に対し、科学者だけに委ねるべきではないし、委ねることはできない。

―科学者がもっとオープンになっていく必要性はそこにある、と。

科学者は自分の分野に関しては専門家だけど、その分野以外はまったくの素人です。それは誰にでもいえることで、何でも分かったようなことを言わないのが科学者の節度。専門家が素人より多くのことを知っているというのは嘘だと、ソクラテス以来分かっていることですから、専門家はいばるなと。

力不足の日本の科学ジャーナリズム


―いろいろコメントを求められているうちに一般向けの本を出すようになったということで、科学者の立場から科学ジャーナリズムに入っていったわけですよね。日本の科学ジャーナリズムへの怖さのようなものは感じますか。

私自身は科学ジャーナリストだとは思っていません。ただ、日本の科学ジャーナリズムに対してある種の危惧を持っているとしたら、やっぱり力不足だと思います。日本の科学ジャーナリズムといわれると難しいですが、朝日、毎日、読売の各新聞に科学部があって、そこが一応科学ジャーナリズムを担っていると自負しているわけですね。

ちょうど今はノーベル賞の季節で、昨日もノーべル医学生理学賞が発表されて、カペッキ、エバンス、スミシーズの3名が受賞しました、と朝刊に書いてある。彼らはES細胞を初めて作った人とノックアウトマウスの技術を作った人たちですね。それは確かにそのとおりなんだけど、記者たちはノーベルコミッティーが記者向けに書いたものを日本語に訳しているだけ。よく新聞に出ている科学的業績も独自取材ではなく、サイエンスやネイチャーに出ているものですね。それら商業誌のプレスリリースを見て、通り一遍の取材をして記事を書く。日本の科学ジャーナリズムは、オリジナルな一次情報にあたらない。誰かがすごいと言っているものやプレスリリースを真に受けているわけですね、

昨日今日のノーベル賞のニュースにしたって、一体誰が彼らのオリジナル論文を読んでいますかっていうと、ほとんど読んでいないんじゃないかな。もちろんカペッキ、スミシーズ、エバンスらがES細胞からノックアウトマウスを作ったのは事実だし、ノーベル賞に値すると思います。

しかし、彼らがES細胞を作りだすことができたのは、それよりも30年も前にスティーブンスが129マウスを作って、分化を待って止まっている細胞を見つけたのがベースになっている。だから、ノーベル賞受賞者だけを見るというのは、山の稜線だけ見てきれいだというのと同じ。実際そこまで行くところにすばらしい発見があるんだけれど、日本の科学ジャーナリズムはそこをまったく見落としている。そこを書けるのが科学ジャーナリストだと思うので、そういう意味ではかなり力不足だと思う。

彼らは原発事故があれば書かなきゃならないし、データ捏造事件があれば取材しなきゃならないから、いちいち原典にあたれというのは難しいけれども、「この分野だけは論文読んでます」といえるくらいの専門性は必要です。2~5年かければ論文はフォローできるので、ノーベル賞に至る登頂ルートも描けるようになる。

―『生物と無生物のあいだ』の導入部分について、AMAZONのレビューなどでは「ハードボイルド小説のようだ」なんて感想もありましたね。

そうですね。AMAZONのレビューでは無茶苦茶に書かれていますが。そういう書き方が面白くない人もあるとは思います。人に伝えるということで、常々「教科書はなぜ面白くないのか」を考えていました。それは「~である」「~と呼ばれる」というように、科学的発見が全て事後的に整理されていて、なぜその発見が必要とされたのかという過程が、教科書では漂白されてしまっているからつまらないのではないか。

でも発見順に語ればよいかといえば、一応ノーベル賞受賞者を順番に並べたら、それでも生物学史は作れてしまう。でもそれでは偉人伝みたいですね。結局、私自身が生物学を学んできた過程で、理解したり知識がつながったりするプロセスを説明すれば、その前後の物語がよく伝わるのではないかと思いました。だからこの本は、私が生物学を学んできた経験から、生物学史を語って、今福岡は何を考えているんだ、というのを書いてみようとしました。

―「博士、漂流」といってポスドクの就職が問題になってますけど、ポストにつけないポスドクがこういう分野を開拓したらどうなんでしょうか。

それは結構難しいと思います。最初から科学ジャーナリズムに面白みを見出して、縁の下の人たちに光を当てたいという人たちは、もともと文科系の素養がある。あるいは小説が好きだったり、人間のドラマが好きだったりしないとできない。今ポスドクって、日本の科学政策の誤り、見通しの甘さで余ってしまっている。

大学院重点化でドクターは増えたけど、研究者の流動性やスロットが上がらなくて、ポスドク以上のパーマネントな職に就くことが難しくなっている。そんな彼らにとってみたら、ドロップアウトだと感じられると思います。それが好きな人なら最初から好きなわけで、そうでない人にはなんでスポークスマンみたいなことしなきゃいけないの、となってしまうんじゃないかと思うな。

生物学が明らかにした有限性のふちどり


―話は変わりますが、「ロハスクラブ」理事も務められているそうで。なぜロハスに関わっているのですか。

それには諸般の事情があるのですけれども、『ソトコト』に定期的に書かせてもらっています。私にとっては、好きなことを書けるちょっとした思いつきの発表の場になっています。あそこにいる人たちも地球環境や食の安全に興味がある人がいて、その人たちとのつき合いのなかで、ロハスに参加しています。ロハスに感じた違和感とは、金持ちのグルメ運動みたいに見えるということですか。

今までも同じようなことを表す言葉があったと思うんですよね。スローライフなどの焼き直しではないかという。極言すれば、「ロハス」などの「持続可能性」を唱える言葉がどれだけ持続可能性のあるスローガンなんだという疑問です。

もともと「ロハス」自身もマーケティング用語ですからね。ヤッピーやディンクスなどのように新しい購買層としてアメリカのマーケティング学者が定義したものです。流行り廃りの一種じゃないかといわれると、まあその通りです。「ロハス」っていう言葉も数年のうちに廃れてしまうかもしれない。そしたら「ああ、やっぱり」って思ってください。

ただ、持続可能性を求めていく、という思考のあり方は、一種のパラダイム・シフトで、これまでのリニアな思考による大量生産・大量消費から変わったわけですよね。これまで限りない神秘だと思われていた生命の謎も、たかだか2万5千の遺伝子からできていることが分かってしまった。ショウジョウバエや線虫の遺伝子の数が1万程度ですから、人間は自分たちが思っていたほど複雑なものでもない。すべてのものが有限性に縁取られている、これが科学のもたらした自然観・生命観ですね。直線的から循環的な思考になったことは、人間と環境との間における自然観の大きな転換として、今起こっていることだと思います。

ただ、それがロハスという言葉で語られ、すぐ廃れてしまうか、ロハス的な志向のコアとして今後も残っていくかはわかりません。私はできるだけ残そうと思って書いていますが、そればかりは飽きっぽい日本人がどうするかわかりません。

―ありがとうございました。

《本紙に写真掲載》

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