駒込武 教育学研究科准教授 「京都市教委との『包括的』連携協定に異議あり―京大は「学問の自由」を自ら掘り崩すのか―」 (2007.08.01)

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本紙第2404号(7月16日付)によれば、今年6月7日、京大と京都市教委とのあいだで包括的な教育連携協定が締結されたとのことである。締結時点では具体的な協力内容は決まっていないが、中学生を対象としてゼミ形式での授業を行う「ジュニア・キャンパス」(京大・市教委共催)などで協力してきた経験をふまえ「よりいっそう連携を深め」ることを目指すという。

大学の中にいると、ともすれば専門分野を同じくする人びとの間でだけ話が通じればよいという傾向になりがちである。それだけに、中学生や高校生を対象とした授業を経験し、自分の研究がどのような意味を持つかをわかりやすい言葉で語ろうとすることは、大学における教育・研究活動の質を問い返すよい機会となろう。また、京都大学には日本の各地、さらに世界からから学生が集まるが、京都市に位置していることをもっと重視し、市民に対して大学の知的資産をオープンにしていくことも大切な試みだと思う。

だが、それにしても、今回の協定には疑問を禁じえない。その理由は、この協定が大学としての「包括的」なものだからである。

京都市教委が行っているさまざまな事業に対して、個人として、個別に協力することはありうるだろう。その場合、協力するかしないかは、事業の性格にしたがって是々非々で判断すればよい。こうしたことは、これまでも行われてきた。理解できないのは、なぜ今日になって、大学としての「包括的」協定を結ぶ必要があるのか、ということである。しかも、この協定によって、市教委による事業の適切さを学問的に評価し、場合によっては批判する作業が萎縮してしまわないか、懸念される。

たとえば、門川大作京都市教育長は、協定締結にあたり「市の最先端のところと、大学が連携して、教材・教育方法も開発していきたい」と述べている。だが、「教材・教育方法」の開発はそもそも市教委の取り扱うべき事務なのだろうか?昨年12月に「改正」された旧教育基本法では、教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべき」と定めた上で、教育行政の役割は「教育の目的を遂行するのに必要な諸条件の整備確立」だと記していた。教育基本法成立史の研究が明らかにしてきたように、ここで「不当な支配」の担い手として主に想定されているのは第一義的に教育行政機構である。だからこそ、その役割を「諸条件の整備確立」に限定しているのだ。

教育委員会のような教育行政機構の一部たる組織が、「教材・教育方法」のような教育の「内的事項」に関与してよいのだろうか。関与してよいとしたらどのような場合においてなのか。この問題に関しては、旧教育基本法体制下において様々な学説・解釈が対立してきた。教育基本法が「改正」された今日でも、見解は統一されていない。それにもかかわらず、市教委が「教材・教育方法」の開発に携わることを前提的な事実として、京大が「包括的」協力を宣言してしまってよいのだろうか。大学の役割は、従来の教育基本法解釈をふまえた上で、市教委が果たすべき事務と、その限界を明確化することなのではないか?

こうした疑問を拭うことができないのは、今日の京都市教委による事業が、全国的に見ても突出した傾向を見せているからである。それを「先駆的」と肯定的に評価する人もいるかもしれないが、市教委の本来の役割を逸脱した「暴走」として批判する人もいる。

たとえば、昨年から京都市教委は、市内全小学校の高学年児童に『歴史都市・京都から学ぶジュニア日本文化検定』という教材を無償で配布し、小学校を会場として検定試験を実施している。この教材にはNTTドコモなどの企業広告が掲載されているほか、本文でも京セラなど特定の企業名を挙げて賞賛している。こうした記述は、教科書ならば違法である。「教科用図書検定基準」で「特定の営利企業、商品などの宣伝や非難になる」記述を禁じているからである。教科書ではなくて教材だからよいというのが京都市教委の見解だが、教育の中立性や公共性という原則を教材ならば無視してもよいのだろうか? 疑問である。

歴史認識をめぐる問題もある。この教材では、江戸時代に京都は「天皇のおひざもと」と呼ばれたと書かれている。だが、このような表現は従来の歴史書に見られず、実際に存在したかどうか疑わしい。それにもかかわらず、こうした表現を用いて京都の歴史・文化と天皇とのかかわりを無理にでも強調することにより、「愛国心」育成という目的に結びつけようとしている。実際、門川教育長は、昨年5月の衆議院教育基本法特別委員会において、「『ジュニア日本文化検定』は、郷土を愛し、日本を愛する子どもたちの育成につながっていく」と述べた。まだ教育基本法が「改正」される前のことである。

そもそも京都の歴史や文化を学ぶための教材としては、小学校3・4年生向けの『わたしたちの京都』が今日でも存在している。にもかかわらず、なぜ屋上屋を架すかのように、この教材を出版する必要があったのか。住民監査請求により、公費の使途にも重要な決定書が保存されていないなど不明瞭な点の多いことが明らかになったために、現在、不法・不当に支出された公費の返還を求める住民訴訟が提起されている。

「ジュニア日本文化検定」は、ひとつの例に過ぎない。京都市教委は、さまざまな方法で教育基本法「改正」の動向を先取りしようとしてきた。たとえば、05年に開催されたタウン・ミーティング(内閣府・京都市教委共催)でも、教育基本法「改正」に反対しそうな人物をあらかじめ内閣府に通報し、抽選で人為的に「落選」させることを求めた。このように「民意」を聞くはずの場から反対意見を持つ人びとを排除する一方で、市内の中学生や高校生に「やらせ質問」もさせている。民主主義の根幹を破壊する、明らかに不正な「民意」操作である。京都市教委はいまだ事実の解明も謝罪も拒否しているため、タウン・ミーティングから排除された住民たちは、重大な人権侵害であるとして、現在、国と京都市を相手として民事訴訟を提起している。

他方、門川教育長は、教育基本法「改正」を先取りした言動の論功行賞でもあるかのように、教育委員会関係者としてはただひとり安倍晋三政権による教育再生会議の委員に選出された。最近では、「便きょう会」なるものを結成し、市内の小中学校でトイレの便器掃除を素手で行なう運動を推進している。掃除を通して「感動する心」「感謝する心」を養うということだが、なぜわざわざ素手で掃除をする必要があるのか? 素手で掃除をすることによってもしも子どもが感染症にかかった場合、いったい、誰が責任をとるのだろうか? 自宅で自分の意思でするのならばとにかく、学校で一律に行うのは、有害無益の思いつき以外のなにものでもない。

ここに挙げてきた問題ひとつひとつの評価については異論もあるだろうし、教育基本法「改正」の評価も人によって異なるだろう。ことは、すぐれて価値観にかかわる問題であり、生き方にかかわる問題だと言ってもよい。しかし、だとすれば、市教委と提携するかどうかも、個人の判断に委ねられるべきである。教育基本法「改正」に反対してきた住民と市教委が激しく対立している状況の中で市教委と提携することは、決してニュートラルなことではない。

筆者の知る限り、今回の「包括的」な提携は、京大の執行部のトップ・ダウン方式で決められたことであり、教授会では議論はおろか、報告すらなされなかった。しかし、実際に提携事業を担うのは、個々の京大構成員である。大学としての「包括的」提携は、少なくとも可能性としては、個々の構成員の「思想・信条の自由」を侵害する可能性をもつ。同時に、それは、行政的な権力作用から自律した形で教育・研究を進める「学問の自由」を自ら掘り崩すものでもある。市教委との「包括的」協定は、即時破棄すべきである。



こまごめ・たけし 教育学研究科准教授
専門は植民地教育史・東アジア近代史。著書に『植民地帝国日本の文化統合』(岩波書店,1996年)、『現代教育史事典』東京書籍,2001年,久保義三氏らと編著)、『日本の植民地支配―肯定・賛美論を検証する―』(岩波書店,2001年,水野直樹氏らと共著)、『帝国と学校』(昭和堂、2007年、橋本伸也と共編)

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